偽装カップル始まる

 ボクの返事を聞いた五十鈴さんの顔が見ものだった。だってだよ『ぱあっ』としか例えようのない満面の笑顔になったんだ。それぐらい池西の事に困っていたんだな。とはいえ偽装カップルと言われても具体的に何をするのかと思ってた。図書室で勉強ぐらいだと考えていたら、


「では一緒に帰りましょう」

「だ、誰と」

「カップルが一緒に帰らないのは不自然です」


 五十鈴さんの家まで送ることになったけど、並んで歩くともうバクバク状態。足が地に着かないとはこうなることだと初めて知った。カップルならそうするのが当たり前なのはそうだけど、相手はあの五十鈴さんだぞ。でもこれはまだ序の口だった。補習三日目になると、


「それはいくらなんでも」

「この程度は行って当然です。どうかご協力ください」


 手をつなごうって言いだしたんだ。自分でも手が汗ばんでいるのが嫌でもわかる。その手を五十鈴さんは決して放そうとせず、


「ここまで来たら人目もありませんから、もう良いでしょう」

「いえ、どこで誰が見ておられるかわかりません」


 家までキッチリつながされた。補習四日目になるとさらに要求が出てきた。


「どうか美香とお呼びください」

「それは無理、絶対無理です」

「恋人同士が名前呼びをしないと不自然過ぎます」


 この日は押し問答になった末に、なんとか名前呼びでも「さん」付けで許してもらった。さん付けでもバリバリ抵抗感があるけど、


「ではわたくしも淳司さんとお呼びさせて頂きます」


 なんと「美香さん」「淳司さん」と呼び合う関係にされてしまった。補習授業の席は自由だったのだが、美香さんは当たり前の様にボクの隣に座るので、それだけで注目の的になってしまった。


 これも偽装カップルが出来たことを池西に伝える必要があるからと納得させられた。もうこれ以上はないだろうと思っていたら甘かった。補習五日目は完全に目が点になってしまった。


「いつも購買部のパンでは栄養が偏ります。ですからお弁当を用意させて頂きました」


 手、手、手作り弁当だぞ。美香さんに悪いけど何食べたか、まったく覚えていない。そりゃ、そうなるよ。机で差し向かいで食べたけど、目を上げるとそこに美香さんの顔があるのだよ。そして心配そうに、


「お口に合いましたでしょうか」


 かくして憂鬱極まる時間だったはずの補習がバラ色の時間に変わってしまった。それにしても美香さんの教え方は懇切丁寧。ボクぐらいの落ちこぼれになると、基礎の基礎部分から抜け落ちているのだけど、美香さんはそこまで遡って見つけ出し、教えてくれた。


 ボクも浮かれてばかりじゃなく懸命に勉強に取り組んだ。せっかく教えてくれている美香さんの負担を少しでも減らすためだ。生まれてこの方、これぐらい勉強に熱中したのは初めてだと思う。


 こんなことが現実に起こっているのか、実は夢見ているだけじゃないかと、何度も何度もホッペをつねってみたが痛かっただけで、間違いなく現実のものだ。夢のような二週間が過ぎて、


「花火大会が御座います。是非ご一緒に」

「えぇぇぇぇ」


 それってデートじゃないですか。偽装カップルがそこまでやるのは度が越えてると言ったんだけど、


「カップルが花火大会に出かけないのは許されざることです」


 偽装カップルなら余裕で許されると言ったけど押し切られてしまった。そして当日、待ち合わせの場所に現れた美香さんを見て絶句するしかなかった。見事に着こなされた可愛すぎる浴衣姿だった。美香さんは美しいのイメージが強い人だけど、こんなに可愛くなれるのかと驚くしかなかった。


「気に入ってもらえて光栄です。では参りましょう」


 当たり前の様に手をつないで会場に。花火を見たり、夜店を見て回ったり、誰がどう見てもラブラブ・カップルを演じさせられた。当然のように学校の生徒にも出会ったが、みんな目を丸くしていた。そりゃするだろう。ボッチの陰キャと学校一の美少女がカップルになっているなんて誰が想像できるものか。


 それにしても美香さんの嬉しそうな顔、幸せそうな顔。あれってどんな気持ちで作ってるんだろう。ボクはたとえ偽装でも自然にそんな表情になるけど、彼女の表情はあくまでも演技なんだよな。そしたら、そしたらだよ、美香さんはボクの腕にしがみついて来たんだよ。


「ちょっと美香さん、それはいくらなんでもやり過ぎです」

「花火大会で盛り上がったカップルなら当然です。ご協力ください」


 美香さんの体の柔らかさ、美香さんから漂うとっても良い匂いを感じるのをどうしようもなかった。花火大会の帰り道に前から気になっていた事を聞いてみた。これはもっと早く聞くべきだったけど、


「美香さんには運命の人がおられると聞いたことがあります。こんな事をして大丈夫なんですか」

「それは御心配には及びません。決して淳司さんにその事でご迷惑をおかけしません」


 これをだよ、ボクの左腕にしがみついたながら答えるんだよ。ここまでされてボクの心が揺らいだのは白状しておく。そのまま抱き寄せたくなるのを自制するのにどれほどの努力が必要だったことか。


 それだけじゃない、抱き寄せて、次の事もしたくてしょうがなかった。そりゃ、美香さんの表情は幸せそのものにしか見えないし、いくらこれは演技だと自分に言い聞かせても、ひょっとしたらの想いがボクの頭を渦巻き通したもの。なんとか美香さんの家にたどり着いた時になんとも言えない気分になっていた。


「今日はありがとうございました。こんなに楽しい時間を過ごしたのは生まれて初めてで御座います」


 ボクはそうだったけど、美香さんは違うだろう。でもそんな指摘をするのが憚れるぐらい美香さんの顔は嬉しそうだった。別れ際にもう一つ気なっていることも聞いてみた。


「御両親とかは良いのですか」

「ええ、淳司さんにはご迷惑を絶対におかけしないようにしておりますから、ご懸念の無きように」


 でもこれで夏休みは終わらなかった。翌日からは英語、数学、化学が待っていた。もちろん物理もだ。連日図書館で美香さんに勉強を教えてもらった。それも美香さんのお弁当を食べて、午前も午後もバッチリと。


 成果は確実どころか、如実に上がったと思う。いくら偽装でも、美香さんの彼氏が赤点スレスレの劣等生では恥ずかしすぎるじゃないか。美香さんの彼氏に相応しい男になろうと懸命だった。美香さんも、


「さすがは淳司さんです。ここまで出来れば宿題考査で結果が出せるはずです。後はこれと、これと・・・」


 そうやって渡される宿題。その宿題にも美香さんのメッセージが入っていて、どれだけ励まされた事か。かなりハイ・クラスの問題集のはずだけど、かなり自力で解けるようになっているのは実感している。


 美香さんの勉強のお手伝いは本気なんてものじゃなかった。塾や予備校クラスでは比べ物にならないし、家庭教師でもここまでしてくれる人はいないと思うもの。


「いえ、わたくしは、ほんの少しだけお手伝いをしただけ。すべては淳司さんの努力の賜物でございます」


 高二の夏はこうやってバラ色に輝きながら人生最高の夏になってくれた。ただ一点、美香さんが本物の彼女では無い点を除いて。それでも満足だ。課題だった成績も美香さんのお陰でなんとかなりそうだもの。


 それにしても美香さんの本当の愛を受ける運命の人は羨ましすぎる。代用品のボクでもこれだけ幸せにしてくれるのだから、本物は・・・妬いてもしょうがないんだよな。運命の人についても聞いたことがあるのだけど、


「その人はわたくしを変えて下さいました。今のわたくしがあるのもすべてその人のお蔭です。その御恩は一生かかっても返し切れるものではございません」


 運命の人について語る美香さんの顔は明らかに上気して、敬慕の念が溢れださんばかりだった。そんなものじゃないな。目を潤ませ、声を震わせながら、


「その人に認めてもらうのがわたくしの生涯の目標でございます。そのためにはいかなる努力も苦しいと思ったことは一度たりとも御座いません。そうすることが、わたくしの喜びなのです」


 こりゃ、ボクなんか眼中にあるはずない。偽装で彼氏やってるけど、一瞬でも美香さんがボクに気があるのじゃないかと思ったのを笑ったよ。なんか運命の人に悪いことをしている気さえした。

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