第3話 禁忌

 核爆発の数分前。軌道上で待機させられていた火星人の移民船団、大小合わせて120隻以上。外観はそれぞれ違いはあれど、どれも冷たい武骨な色合いとデザインだ。そして現在、その船内環境もまた極寒と化していた。火星側は、全ての宇宙船の計器から核融合炉、生命維持装置に至る全ての機器の電源を既にオフにし回路をオフにしたである。機械制御の断熱機能も暖房も失った船内は急速に熱を失っていった。

 火星船団最大級にして旗艦の役割を務めている宇宙船「オリンポス」の操縦席で、一人の男が宇宙服の上から雪山の登山者のような厚着にブランケットを頭から被って寒さに震えていた。ブランケットの頭の部分は火星人特有のツノで歪に膨らんでいる。

 強化ガラスとサングラスを通して眼前に広がるのは水の球のような青い星。サングラスのこめかみに当たる金属部分が刺すように冷たい。吐息が唯一の光源である外からの光を受けて、ガラスの微細な粉を吐き出したかのように白く輝く。

 オキサイドは目の前に並べて置いた手巻式の腕時計と、デジタルの腕時計をじっと見つめる。二つの腕時計はほぼ同じ時刻を指している。もう少しで凍傷になってしまうのではないかと心配したオキサイドは、恐る恐る手を握っては開く。大丈夫、大丈夫だ、と自分に言い聞かせる。

 予定の時刻になる。船団よりも低い宇宙空間の各所で、同時に核爆発の閃光が走る。宇宙船の位置から見るそれはまるで、4個の小さな太陽が地球表面すれすれの場所に突然出現したかのようだった。宇宙船から見える閃光は三つで、一つは地球の裏側にあるはずだ。

 紛い物の太陽は数秒で消失した。地球の夜の半球は、都市部が次々と停電していき闇に包まれていく。それを見届けて、彼はすぐさま目の前の二つの腕時計に目をやる。手巻き式の腕時計は相変わらず律儀に針を動かし続け、対してデジタルの腕時計は電池切れを起こしたかのように時刻表記が消えた。静寂と極寒の中で、体を巡る血が一気にかっと熱く騒ぎ出す。彼は後ろを振り向く。

「閃光と電磁パルスを確認。全ての機器の回路を再接続、融合炉を再起動しろ」

「再起動!」

「再起動!」

 彼の声が木霊するように船内が一気に慌ただしくなる。最初のこの伝令は人間の肉声で船内各所に伝言ゲームのように伝える他ないからだ。 

 すぐさま微細で鈍い振動が下から伝わる。核融合炉が再起動する振動だ。船内全体の照明が戻り、最大風量で暖房の温風が吹き始める。仮死状態の巨大船の心臓が再び動き始めた。「オリンポス」に続いて、船団の全ての船が同様に続々と息を吹き返した。

 地球の周回軌道上のデブリに擬装した、宇宙船の核融合炉を流用した即席の四つの核爆弾は、あらかじめセットされた時刻ぴったりに起爆した。その爆発によって発生した超強力な電磁パルスは、一つの爆弾がそれぞれ複数の大都市圏に存在するあらゆる電子機器のケーブル類にサージ電流を発生させ損傷を与えた。爆発の影響範囲にある機器の内影響を受けなかったのは、地下シェルターなどなんらかの重厚な遮蔽物に覆われていた物、又は軍用の超強力な防護措置が施されたごく一部の物のみだった。事実上、宇宙港を含めた地球の全ての施設と機器が沈黙した一方、火星の宇宙船団は完全に無傷と言ってよかった。彼らは事前に船の全ての回路を切っていたからである。実際、その力押しの防護措置を行い核爆発を待つまでの間に寒さに命を奪われる者が出る可能性もあったが、彼らは賭けに出た。

 そして彼らは賭けに勝った。ひとまずは。

 男が、カレルレンの息子がブランケットを脱ぎ捨てると、東洋の龍のようなツノが露わになった。

「オキサイドより全船に伝達。『我ニ続ケ』」

 それはまさしく、戦士が発する鬨の声だった。

 「オリンポス」の船尾にある巨大なノズルに火が点り、噴き出す超高温の噴炎が陽光のような輝きを放つ。巨体がゆっくりと加速し、他の船もそれに続く。

 船団は地球へ降下する進路を取った。



 誰もが初めは通常の停電を疑ったが、照明も各種機器も機能していない。とっくに非常用電源に切り替わっているはずだというのに。

 携帯端末から中継カメラに至るまですべてがほぼ例外なく沈黙している。

 ざわめく法廷の中で唯一落ち着き払っているのはオキサイドのみであった。そんな様子を見て、裁判長は法廷の中で最も早く事態に気が付いた。

 しかし直後、法廷の壁と天井の一部を突き崩して巨大な人型のロボットが姿を現した。全身が鈍色。顔にあたる部分には口も鼻も耳も無く、細いゴーグルのような構造の奥が妖しく光る。片膝立ちの姿勢をしているが、頭が天井に届きそうな体躯だ。人型でこの大きさともなれば正体は明らかだ。EAである。

 火星側は核爆発直後にオキサイドのもとへ専用機体が届くよう、地表到達まで機体を保護するポッドに格納して軌道を降下させていたのである。

 カレルレンは悠々と鈍色の巨人へ歩み寄り、力強い声で呼びかける。

「ゴート」

 EAが応える。

「お待ちしておりました。パイロット」

「機体の状況を報告せよ」

「着地の衝撃及びサージ電流による被害は軽微です。問題ありません」

 腹の底に響くような機械音声とその巨躯に法廷の人々は震えあがり、出入口から我先にと逃げ出していく。

 裁判長が一人、額に青筋を浮かべながら問い詰めた。

「一体何をした。カレルレン!」

「宇宙空間に配置しておいた核融合炉4基を自爆させました。電子機器の一切はしばらくの間使えないか、壊れていますよ」

 オキサイドはすました顔で軽く肩をすくめる。

「我々は裁きを受けに来たわけじゃありません。戦争をしに来たのです。生きるためにね」

「愚かだな、火星人。実に愚かだ」

 ロシア代表の男が吐き捨てるように言う。

 この裁判は世界規模の注目を浴びたこともあり、国連軍が会場周辺の警備に当たっていた。表向きはテロから被告人を保護することであったが、実際は明らかに不釣り合いな規模の部隊と装備であった。裁判所周辺には先進諸国が派遣したEAが専用装備を携えて整列していた。EAはそれぞれ各国の国旗がデザインされた腕章をつけ、「UN」と描かれた水色のベレー帽を被っている。一国につき一機のみの派遣だが、だからこそどの国もこの場に立たせるにふさわしい熟練のパイロットを選んでいる。もはや誰が説明するまでもなく、国連軍の規模と配置の真の目的は「地球全体の意思」、「世界各国の団結」、を火星側に示威することにあった。

「大方、この混乱に乗じて味方のEAを着陸させ、ここを制圧して救助してもらうつもりなのだろう。確かにEAならば高出力の電磁パルスに耐えられるが、それは我々が保有するものも同じだ」

 火星では最初に開拓した世代が元々信仰していた宗教がどれも根付かず、独自の祖先信仰を生み出されたことは知られていた。人肉食の疑いは今までは陰謀論や憶測の域を出なかったが、なるほどここまではっきりとした慣習になっているのなら頷ける。

「火星側が今指導者を失うことは痛手だ。そして例え死んだとしても、その死体を回収する必要がある。つまり、宇宙船に乗ってきたお前のお仲間達はなにがなんでもに来るはずだ」

「そうだ。ここニューヨークには各国の部隊が集結している。EAもだ。そこの妙な姿をした貴様の専用EAも救援艦隊も、殲滅してくれるわ」

「そうだ。国連軍の力を見せつけるときだ」

 カレルレンは彼らの声を無視してゴートの掌に乗った。巨人がゆっくりと腕を上げ、背中の搭乗口近くに下ろした。カレルレンはアルカイク・スマイルのような穏やかな微笑みを浮かべながら場内を一瞥し、専用機体<ゴート>に搭乗した。

 機械仕掛けの不気味な巨人に、魂が宿る。

 

 

 



 





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