第2話 静止する日

 法廷でアメリカ代表の検察官が出した決定的な証拠は、電子の波に乗って瞬く間に世界中に届いた。法廷の傍聴席でカメラを構えていた大部分のテレビ局はそれぞれの判断で放送を一時的に中断するか切り替えていたが、他の一部のテレビ放送やネットメディアは件の証拠映像をそのまま流し、それは高度に発達した情報網によって結局瞬く間に拡散した。直後世界各地で、あらゆる周波数帯域の通信量の瞬間的な増大が見られた。あらゆる言語、あらゆる媒体で、衝撃と、恐怖と、嫌悪と、糾弾がごちゃ混ぜになって叫ばれた。

 当然、法廷もまた例外ではなかった。限界まで膨らんだ風船のように張りつめていた緊張は、カレルレンの「認めます」の一言によってついに破裂した。

 傍聴席から被告に向かってなにか物が投げられた。泣き叫ぶような野次と罵倒が飛んだ。表面上冷静を保てていたのは裁判官と検察官らのみであった。彼らのその態度は、努めて冷静であろうとした結果のものではなかった。

「静粛に! 静粛に!」

「何故ですか。何故そんな簡単に、軽率に認めてしまうのですか。我が国が提出した証拠だけならまだ、強引に容疑を否認することもできたはずです」

 アメリカ代表は漏洩による世間の混乱を避けるために、証拠映像を裁判のこの瞬間まで他の検察官にも共有されていなかった。それでも映像が流されている間にいち早くその内容を察し、次の一手まで既に考え付いていた。これほどの事実が明るみに出れば、カレルレンも落ち着きを失い、必死に弁解を試み、さらにぼろを出すだろうと。裁判の流れを決定的に変えるおいしい役割をアメリカに持っていかれたのは癪だが、この後被告をさらに詰めることで挽回できればいい。火星人に対する法定刑を超える求刑のみならず、隔離措置や宇宙船の接収、エイリアンレコードの徴収まで決定することができれば上々だ。

 しかし彼らの予想は裏切られた。カレルレンは特に悪びれる様子も無かった。

「一応言っておきますが、この食事は火星に住む人々専用に用意されたものです。地球人の監督官や技術者などには別の料理を提供していましたよ。我々はので。スパイドローンを持ち込み、盗撮したのであろうアメリカ人にもどうか安心するようお伝えください」

 中国代表が言う。

「何故遺体を食べる必要がある。地球側は火星植民地に継続的に食糧を含めた物資を輸送していた。現地でもコロニー内で魚介類の養殖や野菜の栽培をしていたはずだ」「地球において、人間の死体は火葬にすれば煙と灰になって大気と大地の一部となり、土葬にすれば土中の生物の養分となります。大自然の循環系に還るだけの話であり、そのサイクルは、火星におけるコロニー内の疑似生態系循環システムと原理的には同じです。ではそのシステムの外、つまり火星の荒野に人間の遺体を埋葬するとしましょう。遺体を構成する物質はどうなりますか。……そう。ただ無駄になるだけです。ただ永遠に失われるだけです。を恒常的に捨てていては、火星の真の自立はおろか、目先の生存すら危うくなるのですよ」

「だからといって遺体の……、肉の部分を食べるだけならわざわざ粉砕機にかける必要はない。何故そんな粗雑な扱いをする。死者を冒涜しているようにしか見えん」

「1gも無駄にしないためです。遺体は細かく粉砕した後、その水分は生活用水、骨粉はアクアポニックスの肥料、そして肉は人々の糧となっています。火星開拓開始の初期から、我々はこの文化と血肉そのものを綿々と受け継いできたのです。死んだ仲間の体を無駄にすることは、我々にとって最大の禁忌なのです」

 検察官の中で最もショックを受けていたのはアメリカ代表の女性だった。法廷の中心に立つ男の姿が以前にも増して異様に、もはや悪魔的に見えた。いや、これはむしろ。

「宇宙人……」

 頭の中に思いつくと同時に自然と口をついて出た言葉は、法廷の喧噪に搔き消されたはずだった。カレルレンがこちらを向いたような気がして、彼女は思わず目を逸らした。

「火星開発は順調でした。あと半世紀、いや四半世紀もあれば地球からの補給に頼らず完全に自活できる体制が確立できていたことでしょう」

「被告人の発言は今許可されていません」

 カレルレンは裁判長の制止を無視した。

「しかしそうはいきませんでした。地球からの補給が途絶えるようになったからです」

「被告人」

「ここ数年の宇宙港に対するテロ攻撃によって火星への補給船が何度も被害を受けていたというのに、各国は見て見ぬふりをしていました」

 現代の宇宙開発は軌道エレベーターの完成によって飛躍的に発展したと言ってよい。軌道エレベーターは太平洋に3基、大西洋に2基建設され、その海上部分を取り囲むように宇宙港が建設されている。極東戦争の終結後に盛り上がった外惑星論争はついにはただの批判には留まらず実力行使に出る者さえ現れ始めた。テロリストはエレベーターによって宇宙空間に引き上げられる物資のコンテナや周辺施設を狙った。単一のテロ組織による犯行に留まらず、ただの一個人が犯行に及んだ例さえあった。彼らの要求は共通して、火星人を糾弾することであった。

 歴史上類を見ない、特定の人種や民族、宗教を背景としないテロリズムであった。

 外惑星論争の過熱によって星間戦争に発展するのではないかという懸念もあったが、物資の補給が滞った火星側は地球側が手を下すまでもなく要求を呑んだ。

「補給が途切れたことによって、火星から撤収する前に多くの尊い命を失いました。我々はこの恨みを決して忘れない」

 カレルレンの目元のあざが妖しく光った。

 火星側に対する批判のムードは常に神経質で熱狂的なものであったが、火星人を乗せた宇宙船団が軌道上に待機させられ、国連軍が地表に降りたカレルレンの身柄を拘束した時、地球の人々は皆安心し落ち着きを取り戻していた。

 あとは正義が下されるのを待つのみだった。

「火星の人々の望みはなんですか?」

 カレルレンはゆっくりとアメリカ代表の女性に顔を向けた。

「これだけ言ってもまだ分かりませんか?」

 暫し沈黙が流れた後詰問が再開したが、押し黙ったままになってしまった彼女の耳には入らなかった。不気味な予感がして、違和感の正体を必死に探る。

 火星指導者は妙におとなしい。一般の火星人は全員宇宙船に乗って軌道上に待機させられている……。考えろ。考えろ。もはやはこんな簡単に終わるわけがない。

 頭の中でピースがかちりと合い、その瞬間、指先に走る静電気のような鋭い衝撃に襲われた。気付いた時には自然と法廷の外へと駆け出していた。裁判官らの制止や困惑の声が、まるで自分に対してのそれではないように酷く遠く聞こえる。

 彼女は廊下に出ると携帯端末を取り出し電話をかけた。相手は大学の後輩の男だ。

「もしもし、今どこにいる?」

「先輩? なんですか一体、そんな慌てた声で。一昨年からアトランティック1の統合制御室に配属されたって前言ったじゃないですか。今宇宙にいるんですよ、僕」

 彼はアメリカ西海岸近くの海上に建設された軌道エレベーターの、中央制御室に努めている。軌道エレベーターや関連施設に衝突する危険性のある小惑星やデブリを監視し、対処する部門だ。

「ていうか先輩、今例の裁判の最中でしょう。何してるんですか」

「私のことはいいから。軌道上に駐留してる火星人の宇宙船の様子を見てほしいの。不審な動きがないかどうか」

「船団の監視はウチじゃなくて軍の管轄だと思いますよ」

「あいにく宇宙軍の知り合いはいないの。お願い」

「はあ。まあ、先輩の頼みとあればやってみますが。今ならできそうな空気ですし」

「休憩中だったの?」

「みんな例の裁判にかかりきりなんですよ。ウチの職場も例外じゃありません。さっき先輩が火星人に突き付けた証拠映像で、もうみんな釘付けです。まるでNFLの試合を流してるスポーツバーみたいな空気ですよ」

「それで、船団の様子はどうなの? 何か分かった?」

「いまデブリ監視システムのカメラを使ってますが、特に変わった様子はないように見えますね。今更逃げたりなんてしないでしょう。火星人たちは負けを認めたから帰って来たんです」

 とは言いつつも、彼は通常のカメラ以外の複数の観測機器を用いた。彼女の勘の良さを信じたのか、火星人に対する拭い切れない無意識的な不信感がそうさせているのか、あるいはその両方か。

「いや、何かおかしいですよ先輩」

「どういうこと?」

「静かすぎるんですよ。どの船も通信用の電波を出してないし、ライトも消えてる。赤外線がほとんど観測できない。いくら宇宙船の外殻は断熱性の高い素材で覆ってるからって、船内を常温に保たなければならない以上、赤外線を放出してる箇所が必ずあるはずなんです。あれじゃあまるで、廃棄されて野ざらしになってる自動車みたいだ」

「ありえない。実は船団には誰一人乗ってなかったとでも言うの?」

 火星植民地から一斉に帰還した宇宙船団は、軌道エレベーターアトランティック1近くの空間に係留している。事実、彼以外に船団を注意深く観測した者がいたとしても、同じ結論に至り困惑していただろう。

「まさか、船内の電源を全て落として集団自殺を?」

 彼女は寒気がするような嫌な想像をしたが、すぐさま否定した。

「ありえない。そんな」

「とにかく、僕は軍に連絡を――」

 後輩の声が突然途切れる。照明が落ち、窓から差す光が異様に強くなる。

 慌てて外に飛び出した彼女は、雲一つない快晴の空に浮かぶもう一つの太陽に驚愕した。紛い物の太陽は数秒ですぐに消え失せた。あとに残るのは何一つ変わらない空模様と、あらゆる電力網と電子機器を破壊され死んだように静まり返る街並みのみだった。

 史上初の核融合反応を用いた高々度電磁パルス攻撃がこの日、世界を襲ったのである。

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