第20話 愛の女神様 拾参
「返上? どういう事かしら?」
「言葉そのままの意味です。貴方に愛の女神様の立場を返そうと、そう言ったのですよ」
好は手に持った紙を佐崎友則の前の机に広げる。
「此処で彼女、安心院五十鈴と……いや、取り繕う必要ももう無いでしょう。浅葱毬と愛の女神様をしてもらいます」
「ほう」
「……安心院が……毬さん? どういう事なんだ?」
「先程の話には続きがあったんですよ。そもそも、愛の女神様を企画したのは佐崎智則。企画した理由は正直に言えばまだ不透明なままですが、企画するには本人にとって何かしらのメリットがあるはずです。つまり、愛の女神様を文化祭で行う事が佐崎智則の求めたものではない。愛の女神様の地位そのものが佐崎智則の求めたものに他ならないのです」
彼が細かく企画をしたのであれば、それは彼にとって重要な事に他ならないだろう。
「にも関わらず、今佐崎智則は愛の女神様の地位に居ない。理由は簡単です。イレギュラーがあったんですよ」
「イレギュラー?」
「ええ。佐崎智則は浅葱毬として高校を卒業した後、森宮伊鶴と愛の女神様を行った。正しくは、森宮伊鶴だけでは無かったですけどね」
クレアから貰った資料の中には森宮伊鶴の項目があった。内容は、一年の時に愛の女神様をして意識不明になったという他の者と変わらないシンプルなものだ。けれど、本人に聞けばその中には浅葱毬の姿が確かにあったという事だった。
「その場には不特定多数が居た。けれど、森宮伊鶴をターゲットにしていたはずだ。一年の頃の彼女はおしゃれをしてもいなければ、身だしなみに気を遣っている訳でも無かった。けれど、野暮ったい前髪のせいで他の者は気付かなかったが、森宮伊鶴は顔が整っていた。野暮ったいけれど顔の整った少女が愛の女神様になる。転身劇としてこれほど条件の整った相手はいないでしょう」
浅葱毬として生きるのは愛の女神様として生きる下準備のためだった。佐崎智則にとっては、踏み台のための二年間だった。
「けれど、先程も言った通りイレギュラーが起きました。彼女、浅葱毬が愛の女神様の最中に乱入してきた。その結果、佐崎智則が入る前に浅葱毬が森宮伊鶴の中に入ったんです。貴方は愛の女神様にはなれなかった。けれど、こうも思ったはずです。自分の代わりにテストケースになってもらえるかもしれないと。だからこそ、貴方は何もしなかった。森宮伊鶴と浅葱毬の動向を窺うだけに留めた」
好の説明に、佐崎智則は笑みを崩さない。否定もしなければ、肯定もしない。
気にせず、好は続ける。
「貴方はどちらでも良かった。浅葱毬がそのまま森宮伊鶴に憑いたままでも、今の状況のように浅葱毬が他の身体を転々としようとも、どちらもテストケースに他ならないのですから」
実を言えば、この解釈は好の想像だ。もっと別の思惑があったのかもしれないし、思惑なんて無くて、行き当たりばったりだったのかもしれない。
けれど、あながち間違いでも無いとも思っている。
目の前に座る佐崎智則はずっと笑みを浮かべている。本心を窺わせないための仮面の笑み。
反応も少なく、相手の度量を計り知る事も出来ない。けれど、相手の底知れなさは分かる。そして、人を自分の踏み台としか思っていないという事も。
だからこそ、テストケースと称して彼女達を放置する可能性も十分あるのだ。彼女達がどうなろうとどうでも良いのだから。そして、彼女達が自分にたどり着けないであろう事を理解していたのだから。
だから、放置する事を選んだのだ。
「結果、恐らくは貴方の望んだ通りになった。浅葱毬の他人の身体を渡り歩く現状は貴方の望んだものだった。一回限りで愛の女神様という企画を終わらせたのも愛の女神様となった自分が次代を選びやすくするため。貴方は、ただ他人に乗り移る事が目的じゃなかった。他人の身体を渡り歩き、愛の女神様と言う地位で居続ける事が目的だったんです」
「ほう」
そこまで言い切ったその時、佐崎智則が感嘆の声を漏らす。
それは、今まで見せなかった佐崎智則のアクティブな反応。
「よく、そこまで分かりましたね。凄まじい洞察力です」
「どうも。……ですが、私に分かったのはそこまでです。愛の女神様の地位で居続ける事になんの意味があるのか、それが分からない」
その疑問を、好は視線で訴える。
観念したのか、興が乗ったのか、佐崎智則は笑みを浮かべたまま口を開く。
「こんな事をしたんです。御察しとは思いますが、私には常人には見えないモノが見えます。貴方のように、ね」
「それは、怪異を見る事が出来る。という意味で間違い無いですか?」
「ええ。幼い頃から、私には霊が見えました。浮遊霊や地縛霊。果ては、人知の及ばない存在。貴方も、そう言ったモノに触れてきたなら分かるでしょう? 強い怪異であればあるほど、長く強くそこに在れるんです」
「はっ。なるほど、そういう事でしたか」
聞いた言葉はそれだけ。にも関わらず、好は全てを察したような顔をする。
「やはり、貴方は敏いですね」
「此処まで言われれば、こう言う事を生業にしている者なら誰だって分かりますよ。ワトソン君にだって分かる事です」
ちらりと好は茨を見る。
茨は常の笑みを浮かべたまま、こくりと頷いてみせる。
「どういう事?」
分かっていないのは浅葱毬と奥仲信治の二人だけ。
浅葱毬が小声で茨に問えば、好がすかさず言う。
「ワトソン君、種明かしをお願いしよう」
「りょりょりょーかい!」
ぴしっと可愛らしく敬礼をした後、茨は種明かしをする。
「佐崎さんは怪異になりたかったんだよね? こっくりさんは言ってしまえば怪異で、こっくりさんの派生の愛の女神様も怪異って言うくくりになる。その怪異と同じ名前の存在になる事で、怪異として存在し続ける。しかも、僕等のように見える人間にだけ認識される訳じゃない。怪異を認識できない人間にも認識できる怪異として、存在し続ける事が出来る。そうでしょ?」
「素晴らしい。百点満点です」
ぱちぱちと手を叩いて、茨を褒める佐崎智則。
「怪異と言うのは人の認識があってこそ存在が出来ます。例えそこに在ったとしても、全ての人間から忘れ去られれば存在しているとは言えませんよね? 人とは違い、怪異とはそう言った存在なのだと思うのです」
「だからこんな事を企てた。この高校には毎年約百人の人間が入学してくる。そんな事を十年も続けていれば、千人以上の人間に認識される事になる」
「ええ。父兄や教員も合わせればもう少し多くなるはずです。人に認識され続ける事で、怪異としての格を上げる事が出来る。と、最初はそう思っていたんですよ」
言って、佐崎智則は浅葱毬を見る。
「けれど、そうはなりませんでした。彼等は愛の女神様という格を憶えるのではなく、愛の女神様になった人物を憶えるだけでした。そうなれば、彼等の認識は分散します。結果、愛の女神様は怪異としては弱いまま。学校の顔になるというメリットも上手く働かず、愛の女神様は完全に失敗に終わりました。結果、おままごとのような現状が続くばかりでした」
「おままごと……ですって……?」
佐崎智則の言葉に、浅葱毬が反応を示す。それは、確かな怒り。
「ふざけないでよ!! おままごとですって!? 私が、私達がどれだけ苦労したのか、どんな思いをしてきたのか、何も知らないあんたにそんな事言われたく無いわよ!!」
「私にたどり着くまでに十年かかってるんですよね? 彼はたったの数日で私までたどり着く事が出来たというのに。貴女、本気じゃ無かったんじゃないですか? 現状を楽しんで、愛の女神様という地位に満足して、本気で犯人を捜すつもりなんて無かったんじゃないですか?」
「そんな訳無いでしょ!! 私はね、五人の青春の時間を無駄にしてきたのよ!? いつだって真剣だったわ!! 彼女達の協力に報いる事が出来るように、必死に頑張って来たのよ!! それに、私の人生を奪ったあんたに、偉そうに上から目線でそんな事言われる筋合いなんて、これっぽっちもありはしないわよっ!!」
涙交じりに、浅葱毬は声を荒げる。
そんな毬の背中を、茨はぽんぽんと優しく叩く。
佐崎智則は変わらず笑みを浮かべて、好を見る。
「それで? どうするんですか?」
「どうする、とは?」
「私が最早愛の女神様に固執なんてしていない事は、今の説明で分かりましたよね? 愛の女神様は失敗です。今更地位を返上されようとも、嬉しくありません」
「失敗では無いでしょう。少なくとも、貴方が言った通り存在し続ける事は可能な訳です。愛の女神様の地位に居るメリットは十分にあるはずです」
「いいえ。私は強い存在でありたいのです。愛の女神様は長く存在する事こそ可能ですが、強くは在れない。それでは意味が無いのです」
「強い存在、ですか……。ふっ、馬鹿馬鹿しい事この上ない話だ、まったく」
佐崎智則の言葉を好は一笑に付す。
そこには、作った丁寧な口調は無い。あるのは、素で相手にぶつかろうとしているいつもの法無好が在るだけだ。
「はい?」
「聞こえなかったのか? 馬鹿馬鹿しいと言ったんだ。強い存在だと? そんなもの他人を利用してなるモノなんかじゃない」
「……逆ですよ。他人を利用できる力があるからこそ、強くなれるのです」
「逆も何もあるものか。その言葉で貴様は語るに落ちてる。誰かを利用して強くなるだと? その誰かを強くなるための勘定に入れている時点で貴様は強くなんて無い。その誰かがいなければ、貴様は強くなれないのであれば、そもそも貴様にはその素養が無かったという事に他ならない!」
ばんっと大きな音を立て、好は机に手を叩き付ける。
「一人で昇りつめる事を諦めた奴が、偉そうな口を叩くんじゃない。この半人前が」
明らかな怒りの意思をその目に宿し、好は佐崎智則を睨みつける。
「お前には、無理矢理にでもその身体を出て行ってもらう。それで、この事件は解決するんだからな」
好の鋭い眼光を受けてなお、佐崎智則から笑みは消えない。
「そうですか。では、私も手段を選びません」
佐崎智則は椅子を倒しながら立ち上がり、ずっと膝の上に置いていた鞄から鈍色に光を反射する何かを取り出す。
「なっ!? 止めるんだ毬さん!!」
それは、何処にでも売っている果物ナイフ。その切っ先を、佐崎智則は自身の首に突き立てていた。
「動くなッ!!」
止めに入ろうとする奥仲を、今まで聞いた事の無い裂帛した声で止める佐崎智則。
「法無君。先程言いましたね? 私を無理矢理にでも身体から出すと」
「ああ」
「良かったですね。手間を省いてあげます」
そう言い放った直後、佐崎智則は迷う事無く果物ナイフで自らの首をかき切った。
鮮血を噴き上げながら、佐崎智則はその場に倒れ込む。
「――ッ!! ま、毬さん!!」
「……そ、んな……私の……私の身体がっ……!!」
叫び、倒れる佐崎智則へと駆け寄る奥仲信治。
血を噴き出して倒れる自身の身体を見て、顔を青褪めさせる浅葱毬。
「――ッ!! 霧生さん、入って来てください!! 目盛、始めろ!!」
突如、好が声を上げ、この場に居ない者に指示を出す。
二人には、恐らくは見えていなかっただろう。それか、見えていてもそれどころでは無かったはずだ。
ともあれ、好と茨にはしっかりと見えていた。奥仲毬の身体から、佐崎智則の魂が飛び出すところを。
好が入ってこいと言ったその数秒後、霧生と白衣を着た男が教室に乱暴に入って来る。
「な、んじゃこりゃぁ!! くっそ!! おい
「煩い。言われなくてもそうする。どけ、治療の邪魔だ」
霧生に間淵と呼ばれた男は、奥仲を押し退けて一緒に持っていた医療キットを使って奥仲毬の応急処置を行う。
「深いな。それと、けっこう血が出てる」
「絶対何とかしろよ間淵!!」
「だから、言われなくてもそうする。お前は僕の腕を信用して無いのか?」
声を荒げる霧生とは対照的に、間淵は淡々とした声音で返す。
「浅葱毬!! 君は自分の身体に戻るんだ!!」
好が言えば、浅葱毬はふるふるとその首を横に振る。
「で、でも、でも……! 私、死んじゃう! 死んじゃうよぉ……!!」
「死なない! 絶対に死なせはしない!! あの医者なら何とかする!! だから信じて身体に戻れ!!」
「死んじゃうよ!! 血が、血がいっぱい出て、倒れて……!! 私、戻ったら死んじゃ――」
パシンッ。乾いた音が、教室に響く。
音と衝撃。少ししてから自分が叩かれたのだと分かった浅葱毬は、涙を流しながら自身を叩いた相手を見た。
叩いたのは、意外な事に茨だった。
「ダメだよ。君は、ちゃんと自分を生きなきゃダメだよ」
「だって……私……!!」
「君は、まだ生きてる。此処に居る。お医者さんが治療してるって事は、心臓だって動いてる。皆が君を生かそうと動いてるのに、君が足踏みしてたらダメだ。君は、ちゃんと自分を生きるために動くんだ」
しっかりと、力強い目で茨は浅葱毬を見つめる。
「十二年の歳月の経った自分になるのは怖いと思う。今まさに死にそうになっている身体に戻るのも怖いと思う。分かるなんて言えない。僕は感情の起伏が乏しいし、君のような境遇に陥った事は無いから。けど、此処で君は自分を取り戻さなかったら、ずっと、一生そのままになっちゃう。そうなったら、君は本当に怪異になっちゃう」
「でも……でもぉ……!!」
「君は、生きてる。誰が何と言おうと生きてる。まだ生きてる。これからだって生きてる。多分、今が最後チャンス。今戻らないと、身体の方が死んじゃう」
茨は視線を間淵達に向ける。
間淵は冷静に応急処置を続けていて、霧生はあくせくと慣れない手つきでそれを手伝っている。
奥仲は、涙を流しながら必死に奥仲毬の手を握り締めて無事を祈っている。
「だから、戻らないと。ちゃんと、自分を生きないと。森宮伊鶴でも、秀徳早埜でも、御来屋舞でも、古郡聡子でも、安心院五十鈴でも無い。もちろん、愛の女神様でも無い。君の、他の誰でも無い浅葱毬の人生を、まだ生きないと」
すっと茨は浅葱毬の手を優しく両手で包み込む。
そして、にこりと愛らしく一つ微笑む。
「君は、僕みたいに死んだまま生きちゃダメだよ。泣いて、笑って、怒って、悲しんで、そうやって、生きながら生きないと、ダメだよ」
「うっ……うぅ……っ!!」
泣きながら、浅葱毬は茨を抱きしめる。
「怖い……怖いよぉっ……!! 死にたくない! まだ、まだ私やりたい事いっぱいある! 私の人生を、ちゃんと……もっといっぱい……生きたいよぉ……!!」
「大丈夫。絶対に生きられる。君は絶対に死なない。僕なんかが言うと薄っぺらく感じるかもだけど、大丈夫だよ。だから、お行き」
ぽんぽん。
軽く、優しく、背中を叩く。
「……うんっ……!!」
泣きじゃくりながら浅葱毬は頷いた。
直後、浅葱毬の身体から力が抜ける。
二人には見える。浅葱毬がようやく自分の身体に帰っているその姿を。
茨は力の抜けた浅葱毬――安心院五十鈴の身体を優しく床に寝かせる。
浅葱毬の方は大丈夫だろう。間淵とは何回か面識があるけれど、腕の良い医師と評判だ。彼ならなんとかしてくれるだろう。
「霧生さん。此処、お任せしても良いですか?」
「ああ!? お前等まだやる事あんだろ!! こっちは任せてはよ行け!! お前等の
「……では、お言葉に甘えて。行こう、ワトソン君。こんなふざけた怪異、さっさと終わらせよう」
「うん。分かったよ、ホームズ」
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