第10話 愛の女神様 参

 茨と五十鈴が喫茶店で情報共有をしているその時、好は学校で大藤教諭と対面していた。


 体育教官室に入って来た好を見るなり、あからさまに嫌そうな表情を浮かべる大藤。それもそうだろう。大藤にとって好は自分の弱みを握っている相手なのだ。今回だって、その弱みを盾に頼みごとを無理矢理きかされたようなものなのだ。


「お疲れ様です、大藤先生」


「どーも。言われた事はちゃんとやったわよ」


 ぶっきらぼうに言って、大藤は数枚の紙を好に渡す。


 紙の一番上には調査報告書と書かれており、大藤が見聞きした事が事細かに書かれていた。


 嫌々頼まれた仕事ではあるけれど、やるからにはきっちりとこなさないと気が済まない気質タイプなのだろう。まとめ方は丁寧で、とても読み手の事を考えているまとめ方だった。


 まぁ、下手に手を抜いて因縁を付けられるよりは、本気でまとめて早々に好とは縁を切りたいだけなのだけれど。


 ぺらりぺらりとページをめくり、大藤のまとめた情報に軽く目を通す。


「ありがとうございます、大藤先生。文句無しの仕上がりです」


「そ。ならもう良いでしょ? さ、私は仕事が残ってるから帰った帰った」


 つーんと素っ気ない態度で言う大藤に、好は思わず苦笑してしまう。


 好としては、盗撮の事を公表するつもりは無い。女子は怖い思いをしたかもしれないけれど、大藤が犯人だと知ればさらにショックを受ける事は間違いない。


 知らない方が良い事も、きっとあるだろう。


「分かりました。あ、最後に一つだけ良いですか?」


 好の言葉に、大藤は心底嫌そうな顔をする。


 他の人の前ではこんな顔をする事が無いだけに、今の大藤の顔はとても珍しい。


「別段難しい事じゃ無いです。先生は、この学校で殺人事件が起きたなんて事聞いた事ありますか?」


「殺人事件……? さぁ。少なくとも私は聞いた事が無いけど……」


「そうですか。分かりました。ありがとうございます」


 ぺこりと頭を下げて、好は体育教官室を後にしようとする。


「待った」


 その背中に、大藤が声をかける。


 振り向けば、大藤は先程までの嫌そうな顔を取っ払って、真剣な教師の表情で好に問う。


「危ない事に首を突っ込んでる訳じゃないわよね?」


「それは今後の調査次第ですね」


 正直な話、五十鈴の口から殺人を匂わせるような発言があった時点で、この件にきな臭さを感じ始めている。


 気のせいかもしれない。しかし、直感が当たっているかもしれない。


 茨をこの件から退かせるべきか否か。それも含めて、好は今調査をしている段階だ。


 しかし、好の回答がお気に召さなかったのだろう。大藤は眉を顰めて真剣な表情で言う。


「君は頭が良いから分かると思うけど、素人が手を出しちゃいけない領分って言うのが世の中にはあるの。何を調べてるのか知らないけど、危ない事には関わらない事。これは、教師としての忠告です」


「ご心配なく。その線引きはしっかりと付けていますので。それに、今回の件は我々の専門です」


 とり憑かれた少女の中から霊を祓う事や、愛の女神様の失われた記憶を取り戻す事に関しては、怪異探偵の領分だと思っている。


 しかし、愛の女神様を殺した相手を見付ける。これだけは、怪異探偵の領分を超えているように思える。


 調べて、その結果三人の身に危険が及ぶ可能性だって十分ある。そうならない可能性も、勿論ある。どちらに転んでもおかしくは無い。


「資料、ありがとうございます。それでは、失礼します」


 危なくならないよう、早急に自分が事件を解決すれば良いだけの話だ。そうすれば、五十鈴にとり憑いた霊を祓う事が出来るのだから。


 そう考えを定め、好は早足に体育教官室を後にした。やることが分かっているのなら、足を止めている時間は無いのだから。



 〇 〇 〇



 五十鈴と話し合いをした翌日。茨は好の机にノートを広げていた。


 ノートをシャーペンでとんとんと突きながら、茨は好に訊ねる。


「ホームズは何か分かった?」


「今まで以上の成果はあった。が、恐らくはワトソン君と進行度合いは同じだろう」


 茨のまとめたノートを流し見て、好は大藤がまとめた資料を取り出した。


「わ、何それ。本格的」


協力者・・・にまとめて貰った。歴代の愛の女神様と、愛の女神様の流行った時期、愛の女神様で起きた事件。この三点をピックアップしてもらった」


「へー。だいぶ仕事が早いね」


「事件に関しては絶対的に件数が少なかったか、表に出ていない何かがあるかだが……数日でこの情報量ならば文句は言えん。むしろ手放しに賞賛すべきだろう」


「だね。因みに、僕にも見せてくれるの?」


「ああ。二方向から攻めてはいるが、勝負をしている訳じゃない。むしろ、情報は積極的に共有していくべきだ」


「やったぁ! じゃ、僕の情報も開示してあげよう」


「もう充分おっぴろげている気がするが……」


 目の前でノートを開いておいて隠しているつもりだったのか、それともそういうノリだっただけか。


 ともあれ、互いに情報交換は必要だ。好は茨のノートを見て、茨は好の資料を見る。


 資料の方には元々の文面に加え、好の予想などが書かれていた。


「歴代の愛の女神様に違いは無いな」


「そだね。って、こんなに事件起こってたの? よく禁止にならなかったね」


「ああ。それは俺も思った。が、なんでもオカルト的な事に結び付けられる訳じゃない。大半の出来事は別の要因に紐付けられるからな」


 秀星高校で起こった愛の女神様を行った事によるとされている怪現象は十を優に超えていた。


 まず多いのが、愛の女神様をしている最中に昏倒をする生徒の数だ。十年間で七人も居る。おそらく、確認しているだけの数になり、実数は一つ二つ増えるだろう。


 更には、昏倒だけでは収まらず、生徒が教室で暴れ出したり、大人数で愛の女神様を行った生徒が恐慌状態に陥ったり、一人が行方不明になって山中で見つかったりなどの事件が起こっていた。


「昏倒はてんかん発作や貧血。生徒が暴れ出したのはストレスから。恐慌状態に陥ったのは、特殊な状況による集団ヒステリー。行方不明はただたんに山まで行って帰ってこられなくなったから。そうやって結論付けられる事が多い」


「そっちの方が論理的だからね」


「まぁ、だからといって禁止にならなかった理由が分からない。関係が無いとしても、後々それによって被害が出る可能性もある。それに、学校としてはおかしな事は止めさせたいはずだ」


 おふざけや遊びだと判断されたのか、それともまた別の思惑があったのか……。


 ともあれ、そこを判断するには情報が少なすぎる。この件はいったんは保留。慎重に取り扱うべきだ。


「流行りの時期は十三年前なんだね」


「おおよそにはなるがな。だが、そう間違いでもないだろう」


「その頃を知ってる人が居たら情報に信憑性が出るんだけどね」


「会うのは難しいだろうな。秀星高校の生徒が今どこで何をしているかなんて、素人の俺達には調べようがない」


「霧生さんでも、流石に他人の個人情報そこまでは調べられないだろうしね」


「警察としての一線は超えてはくれないだろうな」


 派手な見た目をしているわりに、霧生はそこら辺はきっちりとしている。安易に一般人の情報を教えてはくれないだろう。


「だが、当てはある」


 言って、好はとんとんっと茨のノートを指で叩く。


 そこには、歴代の愛の女神様の名前が書き記されている。


「十三年前は無理かもしれないが、十年前であれば知ることが出来る。彼女からいくらかの情報を聞き出す事が出来れば、少しは進展するはずだろう」


「森宮伊鶴さんかぁ。でも、住所も分からないし……」


「住所ならば彼女・・が知ってるだろう。何しろ、十年前は同一人物でもあったのだから」


「あ、そっか」


「住所が変わってる場合もあるがな。そちらは彼女に確認しながら、どちらが行くかは決めよう」


「うん」


 茨のノートの情報が正しければ、森宮伊鶴は最初は愛の女神様になる事に抵抗があった様子だ。その時の忌避感が今の今までずっとあるのであれば、協力をしてくれないかもしれない。


 最終的な二人の仲がどうなっているのか次第だが、それは彼女に聞いた方が早いだろう。


「さて、情報をまとめようか、ワトソン君」


「うん」


 ルーズリーフを一枚取り出し、まとめた情報を箇条書きで書きこむ。


「愛の女神様が流行り始めたのは十三年前。そこから三年後の十年前に愛の女神様が初めて現れる。そこから代を重ね、今は五代目だ。この十年間の情報は彼女に聞けば良いと思うが……おそらくこの十年間に動きは無い。あれば、彼女が何かしらの動きを見せているはずだからだ。しかし、もしもの場合もある。一応、君の方からもこの十年間の事を聞き出してもらえるか?」


「りょうかーい」


 びしっと敬礼をする茨。


「それと、事件は数あるが……個人的にはこのどれもが外れのように思える」


「それはまた、どうして?」


「この十年間で起こった事件で何かしらの関連性があれば、彼女が見逃すとは思えないからだ。であれば、ただの怪現象というだけで、彼女の求める情報とは何ら関係の無いという事になるだろう」


「なるほど」


「愛の女神様の起源は俺達が求めるべき情報だ。が……」


 突然、好は言葉の途中で黙り込んでしまう。


「……ホームズ?」


「……いや、何でもない。求めるべき情報は変わらない。君は、あったかもしれない殺人事件と、彼女の記憶を取り戻す手掛りを集めるんだ」


「うん、分かってる。そのために、今日は十年前の卒アルを調べようと思ってるんだ」


「そうか」


 茨の書いたノートには、彼女が秀星高校の生徒である可能性が書かれている。であれば、卒アルを調べるのも重要な事だろう。


「後、霧生さんにこの街で出た行方不明者も調べて貰っている。十年以上前で、秀星高校に通っていた人を限定で」


「確かに、表に出ていない事件という可能性もあるからな」


 ただ、もしそうなった場合、二人は明確な危険に脚を踏み込む事になる。その殺人事件の犯人が生きていて、刑務所にも居ないとするならば、あまり深追いはするべきでは無いだろう。


「ワトソン君、分かってると思うが、身の危険を感じたらすぐに霧生さんや俺に連絡を入れるんだ。良いな?」


「もちもち。危なそうだったら霧生さんに全部ぶん投げるよ」


 にこにこと笑いながら、茨は言う。


 茨であれば無茶はしない……とは、好は思わない。むしろ、殺人事件が関わっているのであれば、好の予想だにしない行動をとってもおかしくは無いと思っている。


 いつだって、予想だにしない事をする。それが、和島茨だ。


「ああ、そうしてくれ」


 ただ、それを表に出す事はしなかった。


 殺人事件はまだ可能性の話だ。そう言明しているのは五十鈴だけだ。記憶が無いのであれば信憑性に欠ける。


 ならば、茨は無茶はしないだろう。


 しかし、こうして密に情報交換をして、茨の行動にも注意を払わなければいけないだろう。自分で言い出した事だが、いつも以上に心労が溜まる。


 少しだけ、別行動にした事を後悔した。

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