第9話 愛の女神様 弐

 五十鈴の口から飛び出してきたのは、二人が予想だにしていない言葉だった。


 失われた記憶。そして、自身を殺した人物の捜索。


 それを、五十鈴は……五十鈴にとり憑いた少女は調べて欲しいと言う。


「断る」


「なっ!? なんで!? 貴方、探偵なのでしょう!?」


 即座に五十鈴の依頼を断った好に、五十鈴はテーブルに手を着いて好に迫る。


「俺は探偵だ。けれど、俺が受けるのは生者からの依頼だ。いつだって困ってるのは死者では無く生者だ。それに、俺達は安心院五十鈴の両親から、貴女から安心院五十鈴を解放して欲しいという依頼を受けている。貴女の依頼を受けるという事はすなわち、安心院五十鈴の両親の依頼の解決を意図的に先延ばしにするという事に他ならない。だから、貴女の依頼は断る」


「な、何よそれ!? 私と五十鈴の関係は貴方にも説明したでしょう!? 私達は合意の上でこうしてるのよ!!」


「依頼は依頼だ。そちらの意思は関係無い。それに、死者は生者に関わるべきではない。貴女の無念も抱えた問題も、知った事ではない」


 酷薄に、好は五十鈴を突き放す。


 普段の好であれば、こんな冷たく突き放すようには言わなかっただろう。けれど、今回は現状と請けた依頼が彼を酷薄にしている。


「貴女に分かるか? 自分の娘に得体の知れない何かがとり憑いているという恐怖が? それが自分達の手の及ばない存在であった時、彼等は俺達の成功を祈るしか無いんだ。何も出来ずに祈るだけでいる辛さが貴女に分かるのか?」


「……っ」


「俺は貴女の味方はしない。ゆえに、貴女の依頼も請けない。安心院五十鈴から貴女を引き剥がす事だけを考える。それが俺の依頼であり、貴女への答えだ」


 確固たる意志を感じさせる瞳で、五十鈴を見据える。


 その目にたじろぐも、五十鈴は負けじと食って掛かる。


「さっきはああ言ったけど、五十鈴に実害は無いわ! 勿論、今まで身体を借りてた子達も変調があった事は無いわ! 両親からしたら、気味は悪いでしょうけど……」


「さっきも言ったがそちらの事情は関係無い。死者の事情で生者を振り回すな」


「そ、そんなこと言うなら、私だってそっちの事情も関係無いわよ!! 私達の利害は一致してるんだから!! 外野に口出される事じゃ無いわ!!」


「悪いがこちらは安心院五十鈴の両親からの依頼だ。親であれば、娘のことに口を出す権利はあるだろう」


「娘にだって触れられたくない事くらいあるわよ!!」


「そうか。ならそう両親を説得するんだな。依頼取り下げが無い限り、俺達はお前を安心院五十鈴から引き剥がす事だけを考える」


 あくまでも、好は五十鈴の両親の依頼を全うする事を考えている。それが仕事であり、何より好自信もそうしたいと思っているからだ。


 依頼内容の口外は探偵として許された事では無いけれど、こうなってしまっては仕方が無いだろう。


 ともあれ、今の好は五十鈴にとり憑いている少女の霊を引き剥がす事だけを考えている。五十鈴の言葉に首を縦に振る事は無い。


 しかし、それは好に限った話だ。


「ホームズ、僕はこの話請けても良いと思うよ?」


「何?」


 にこっと笑みを浮かべながら、茨は好の方を向く。


「だって、かわいそうでしょ?」


 笑みは浮かべている。けれど、その目は少しも笑っていない。


 その笑みを見て、目の前の少女が茨にとっての地雷になってしまったという事を悟った。


「僕は、手伝っても良いと思うな」


「――! 本当に!?」


「うん。どう殺されたのかは分からないけど、まだこの世に留まるくらいには未練があるんでしょ? 未練なんて、無い方が良いからね」


「うんうん! そうでしょ!? そう思うでしょ!?」


「うん。思うよ」


 笑みを浮かべて頷けば、五十鈴は感激したようにぱあっと華やかな笑みを浮かべる。


「貴方良い子ね! それに比べて、この男には人の情が無いわ。この人で無し!」


「立場の違いだ。私はあくまで安心院五十鈴の両親の側に立っているだけだ。彼等には心底同情しているとも」


「ならその同情を私にも向けなさいよ。さっきも言ったけど、私殺されてるのよ?」


「その事には同情するがね。やはり俺が情を寄せるのは生者の方だ。悪いが、死者は後回しだ」


 別段、好に情が無い訳ではない。ただ、その優先順位を明確に決めているだけだ。


「ふむ、しかし……」


 好は考えるように頤に手を当てる。


「何よ」


「大丈夫だよ。今考えてるところだから」


 急に考え込んだ好に訝し気な視線を向ける五十鈴に、茨はにこにこと常の笑みを浮かべて説明をする。


 五十鈴が茨の地雷になってしまった以上、好が何を言っても茨は考えを曲げないだろう。それは、今日までの付き合いで知っている。それに、そうなってしまった理由を知ってるがゆえに、今の茨に対して強く出る事が出来ない。


 逆に、今の好に対しても、茨は強く出る事が出来ないだろう。何せ、頑なに五十鈴の両親の味方をする好の心情が複雑な理由から来ている事を、茨もまた理解しているからだ。


 互いに互いを理解しているが故の緩やかで確かな反発。


 であれば、上手い具合に着地点を見付ける必要がある。


「……なら、こうしよう」


「うん。何?」


「俺は今まで通り依頼を遂行する。それは変わらない。愛の女神様の実態を明かして、安心院五十鈴の中からそこの少女を引き剥がす」


「うん」


「ワトソン君はその彼女に協力をする。彼女の未練を晴らし、失った記憶を取り戻す。道中は違うが、結果は同じ事だ。二方面から攻める事にしよう」


「分かったよ」


「ただ、俺の方が早く見付けたら、その時点で彼女を祓う。良いな?」


「え~? それ、ちょっと僕に分が悪く無い?」


俺の助手ワトソン君なら大丈夫だろう? まぁ、その時点でワトソン君の持っている情報次第では、祓うのを延期させても良い。両親の説得も考えよう」


「うーん……それなら、平気かな? 分かった。頑張ってみる」


「それでこそだ」


 話が終われば、二人の表情は穏やかなものになる。その様子を見て、五十鈴は茨に問う。


「えっと……貴方が手伝ってくれるって事で良いのよね?」


「うん。僕、頑張るよ」


 にこっと微笑む茨。


 しかし、五十鈴は落胆の表情を浮かべる。


 五十鈴が期待をしたのは、怪異探偵である法無好ホームズだ。決して、その助手では無い。


 好には獣憑きの少女の事件を解決したという事実がある。それに、好と同じ中学から来たという生徒に話を聞いたけれど、様々な事件を解決したという証言があった。


 女子更衣室の盗撮事件は解決したというのみのために真偽は不能。けれど、獣憑きの少女の件は本当だ。好に依頼をした雲母に直接話を聞いたのだから。


 法無好は本物だ。そう確信したからこそ、依頼をしたのだ。


 けれど、手伝ってくれるのはその助手・・である和島茨ワトソンだと言う。期待外れに落胆をしても当然だろう。


 目に見えて落胆をしている様子の五十鈴に、好は言う。


「安心してください。彼は優秀な人材です。それに何より鼻が利く。きっと十分に手助けをしてくれますよ」


「……そう」


 好がフォローをしても、五十鈴の表情は暗いままだ。


 これは何を言っても無駄だな。


 そう判断した好はそれ以上五十鈴に言葉を紡ぐ事はせず、茨に向き直る。


「ワトソン君。方向は別だが、気味が俺の力が必要だと思った時には直ぐに連絡をくれ。俺も、君の力が必要だと感じた時は直ぐに連絡を入れる」


「分かったよ」


 好の言葉に、茨は素直に頷く。


「では先輩。そう言う事で、今日からワトソン君を貸し出します。ですが、あまり危険な事には首を突っ込ませないようにしてください。正直な話、殺人事件は高校生には荷が重すぎる」


「それは……ええ。危険だと思ったら、手を引くわ」


「よろしくお願いします。ワトソン君、いったん戻ろう。情報の共有だけでもしておきたい」


「りょーかい!」


 びしっと敬礼をする茨。


「じゃあ先輩、今日の放課後にでも」


「ええ……」


 二人は五十鈴と連絡先を交換すると、応接室を後にした。


 いつも通り、怪異がらみの事件。そう、二人は思っていた。だから、正直こんなに大事になるなんて思っていなかった。ましてや、一人の人間の命が危険に晒されるだなんて、思いもしていなかった。



 〇 〇 〇



 午後の授業が終わり、放課後。


 好は大藤から連絡が入ったと言って、大藤の元へと向かった。


 残された茨は、五十鈴と街の喫茶店に来ていた。


「さて、改めまして。よろしくお願いします」


「よ、よろしく」


 ぺこりとお辞儀をした茨に合わせて、五十鈴も軽くお辞儀をする。


 可愛い見た目をしていて、雰囲気の柔らかいだけの少年。五十鈴の茨に対するイメージはそれだけだ。とても、好が頼るような少年には見えない。


「じゃあ、まずは現状の把握から。先輩はどこまで自分の事を知っていて、どこまで自分の事を忘れてるの?」


「憶えてるのは、私が女だって事。高校生の時に、恐らく・・・殺されたって事くらいね」


「恐らく?」


「ええ。まぁ、こうして幽霊になってるんだから、死んでる事は間違い無いと思うけれど」


「ふーん……」


 一つ頷き、茨はじーっと五十鈴を見つめる。


「な、なに?」


「ううん、別に」


 訝しむ五十鈴に、茨はにこっと笑みを向ける。


「つまり、先輩は自分の事は全然思い出せないって事で良いの?」


「ええ。情けない話ではあるけど……」


「分からない事は仕方ないよ。ともあれ、ゼロからのスタートになる訳だね」


 ふむふむと頷きながらノートになにやら書きこむ茨。


 覗き見れば、ノートの一番上に『記憶は無し』と書いていた。


 好であれば一度得た情報は頭の中で整理出来るけれど、茨はこうして書き起こさなければ整理なんてとてもじゃ無いけれど出来ない。


「他に憶えてる事はある?」


「憶えてる事と言えば、女神様として今まで暮らしてきた事だけよ」


「じゃあ、その女神様の名前を全員分教えて貰っても良い?」


「ええ」


 最初の愛の女神様、森宮もりみや伊鶴いづる


 二代目の愛の女神様、秀徳しゅうとく早埜はやの


 三代目の愛の女神様、御来屋みくりやまい


 四代目の愛の女神様、古郡ふるごおり聡子さとこ


 そして、五代目の安心院五十鈴となっている。


 それぞれ名前をノートに書き記す。


「先輩はどうしてこの人達を選んだの? やっぱり、乗り移りやすさってあるの?」


「相性はあると思うわ。守護霊とか、色々ね。けど、第一条件はその子が魅力的かどうかよ。そうじゃなきゃ、女神なんて名乗れないから」


「まぁ、そうだよね」


 可愛い子を選ぶ。そうノートに書きこむ。


「そもそも、どうして乗り換えをしようと思ったの? 一人にとり憑いて色々協力してもらうんじゃ駄目なの? 車に乗れるようになれば、捜索範囲も変わると思うけど」


「それも考えたけど、やっぱり他人の人生にそこまで割り込めないから……」


「でも合意の上なんでしょ? それに、メリットもあるって」


「ええ。その子に乗り移る前に確認を取っているわ。何年も授業を受けてきたから、頭は良いのよ、私。まぁ、どこに頭があって、何処に記憶されてるかなんてまるで分からないけど……」


 事実、歴代の女神様は皆成績はトップクラスに良かった。その功績があるからこそ、交渉材料に使えるのだ。


「ああ、でも……伊鶴の時は違ったわ」


「伊鶴っていうと、初代さん?」


「ええ。彼女達が愛の女神様をし始めて、伊鶴が指を離してしまったから私はとり憑いたの。そこからは、色々あったけど何とか協力してもらったの」


「へぇ」


 とり憑いた要領としては美々花の時と同じだ。ただ、やはりこっくりさんの時とは状況が違うらしい。


「因みに、自分で十年以上前の殺人事件について調べたりは?」


「したわ。けど、この街で殺害された女子高生はいなかったわ」


「なら行方不明扱いになってるはずだね。となれば、こっちは僕よりも霧生さんの方が良いかな」


「霧生さんって?」


「刑事さんだよ。僕達の事手伝ってくれるの」


「貴方、警察とも関係があるの?」


「うん。ホームズは積極的には関わらないけど、殺人事件とかにも関わった事があるしね」


「へぇ……」


 思っていた以上に本格的に探偵をしていた事に素直に驚きと感心を示す五十鈴。


「事件のピックアップは霧生さんにお願いするとして……まずは先輩がどこの誰なのかを解明しないとだね」


「そうね。まぁ、何も憶えてないけど……」


「断片的にも思い出せない?」


「うーん……確信は無いのだけど、秀星高校に通っていたと思うわ。伊鶴にとり憑いた後も、特に学校で迷う事も無かったし」


「てことは十年以上前の卒アルを見てみればもしかしたら見つかるかもしれないね。卒アルは明日確認しよっか」


「別に良いけど……十年以上前の卒アルなんてどうやって確認するの?」


「一冊は保管用で学校に置いてあると思うよ? 先生に確認して見せてもらおうよ」


「なるほど。確かに、置いてあってもおかしく無いわね……」


「見つかると良いね」


 言って、茨はにこっと笑った。

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