スキュラとガリュプデス 後編



 ロイド達がくり貫かれた通路から天然の要塞ようさいを脱出すれば、そこはゴツゴツした岩だらけの岸辺になっていました。背後には天高く伸びるロンカロンカ岩礁がんしょう。眼前には硫黄の臭いが漂う白濁はくだく色の露天温泉。その向こうには青空とエメラルドグリーンの海がどこまでも広がっていました。どうやら広大な潮だまりが海底から湧きだす熱水によって濁り、温められているようです。

 そして、南海の絶景を眺めながら髪をすく女性が一人。腰まで温泉につかり、胸を隠そうともしていません。しかし、色香よりも漂う妖気でロイドの背中は汗びっしょりでした。

 持てる限りの胆力たんりょくを振り絞ってロイドは叫びました。



「おい、腹ペコ大公とやらはどこにいる? お前は奴の女か?」



 女は振り返り、妖艶ようえんな笑みを浮かべました。

 そして、おかしくてたまらないといった風に口元を手の甲で抑えながらケラケラ笑いだしたのです。



「な、なにがおかしい?」

「おかしいねぇ。アンタの探している相手は目の前に居るっていうのに」

「なんだと?」

「私が腹ペコ大公さぁ。まさか女とは思わなかったのかい?」



 妙な話です。ドラゴンや巨人ならいざ知らず、ロイドよりも背の低い女性が部下の食べ物すら独り占めしてしまうような怪物だとは。

 怪訝けげんな顔をするロイドにマサミちゃんが声をかけました。



「海の怪物は見た目通りの敵とは限らないわ。油断は禁物よ」

「おう、先手必勝だ」



 ロイドは大声で応じながら温泉に足を踏み入れました。

 ハッキリ言って愚かな行為です。経験豊富な冒険者ならば、まず相手の出方と正体を探るでしょう。敵が大物であれば猶更です。

 剣士として未熟な所がモロに出てしまいました。


 案の定、温泉は底が深く足がつきません。

 立ち泳ぎの有様になり、ロイドは愕然がくぜんとして敵を見やりました。大公は腰から上が湯面に出ているというのに、温泉は底なしだとは? 

 考える暇すら与えられず、濁った湯の中から次々とタコを連想させる触手が飛び出してきました。


 数本は短剣で切り落としたものの、足元が悪い上で多勢に無勢。勝ち目はありません。



「ふぅん、他愛ない。お前では、酒のツマミにもならんなぁ」



 触手にグルグル巻きつかれ、後は底に沈むだけとなったロイド。

 そんな彼を大公は笑い飛ばしました。



「待った、待ったーー! ここで出なけりゃ女がすたるのよ」



 そこへ助け船を出したのはマサミちゃん。温泉に入ると自慢のハサミで次から次へと触手を切り取ってしまい、ロイドを束縛から解放しました。

 カニって泳げるの? 皆さまは疑問に思うかもしれませんが、ある種のカニは遊泳脚ゆうえいきゃくと呼ばれる『泳ぐための脚』を持っているのでございます。

 少なくともロイドよりは遥かに敏捷びんしょう、マサミちゃんは救出した剣士に呼びかけました。



「さぁ、勇者様、背中へお乗りになって。リップルをよく乗せるから、人蟹じんかい一体は慣れてるわ」



 ロイドがまたがると、稲妻のごとくジグザグな動きで湧き出る触手を翻弄ほんろうし、目にもとまらぬ速さで大公の下へと迫ったのです。ロイドも決める時は決める男、すれ違いザマに短剣を振るい、相手の首筋に切りつけました。しかし……。


 ギィン!


 まるで岩を切りつけたかのような手ごたえでした。刃が欠け、つかを握る手の方が衝撃でしびれています。大公はさして驚きもせず斬られた箇所かしょでているだけ。

 皮膚こそ切れていますが、傷口の下は緑のウロコに覆われていました。

 大公は高笑いを上げながらロイド達を睨みつけました。



「ほほう、やるではないか。では冥土の土産に見せてやろう。腹ペコ大公とは単なる通り名、怪獣スキュラが私の名前よ!」



 やがて、何かが湯の底からせり上がってきました。

 激しい地響きと揺れ、盛り上がる湯面、水柱を割って現れたのは巨大な肉の塊でした。

 見上げるほど大きなミートボールの頂点に、ちっぽけな女の上半身が生えています。恐らくあれは、チョウチンアンコウの明かり同様、獲物を温泉におびき寄せる餌なのでしょう。

 そして、タコの触手が次から次へと肉塊の至る所から生えては空を覆う枝葉しようよろしく広がりました。さらに変貌へんぼうは留まりません。次いで、肉を突き破り狼犬の頭が六つ吹き出てきたではありませんか。魔犬たちは犬歯を打ち鳴らし、うなり声で剣士を威嚇いかくしました。


 成程、これなら大食いも納得のサイズです。人間など、犬の頭で一口ペロリ。

 まさしくスキュラは怪物なのでした。


 その恐ろしさにロイドが震え上がったのも無理はありません。

 逃げ出そうという気持ちさえも頭から抜け落ちてしまいました。



「どうした? 無力さを噛みしめているのか? ならば楽にしてやろう」



 しかし、犬の牙がロイド達を食い千切る寸前、まるで場違いな歌声がスキュラの耳に届いたのでした。



「ド~はドラゴンのド♪ レはレッドテトラのレ♪」



 頓珍漢とんちんかんな歌にスキュラが振り向くと、そこには海岸の岩場へ腰掛けて美声を披露している人魚の姿があったのです。なけなしの勇気を振り絞る為にリップルが考え出した精一杯の方法でした。

 怪物はロイド達と人魚を交互に見つめ、思わず失笑してしまいました。



「なんだ? まだ仲間がいたのか。その小さいナリで助っ人? 前菜ぜんさいにもならん。こりゃ滑稽こっけいだな」



 ムッとしながらもリップルは虚勢きょせいを張って話しかけました。



「貴方が腹ペコ大公さんね~?」

「いかにもそうだ、小さき海の同胞どうほうよ。して何用だ? 人の味方でもしようというのか?」

「お話があって来たの~。貴方は村から生贄を集めているんですって? どうしてそんな酷いことをするの~、止めて下さ~い」



 スキュラは少し考えました。


 人魚は余りにも弱そうで、倒した所で何の自慢にもなりません。

 それに見た目は可愛らしく、声も美しい。ペットとして飼えば、部下の不平不満も収まるのではないかと思われました。


 潰すのはいつでも出来ます。脅して屈服くっぷくさせるのも一興いっきょうでしょう。



「ふふ、生意気な娘だ。気に入ったぞ、少し話をしてやる。私が誰よりも大食いなのは、この海で最も強いからだ。より強い者が沢山食べる。当然の話だろう?」

「そりゃ~そうだけど」

「自然の掟という奴よ。私とて初めから強かったわけではないぞ。昔の私は、深海の原生生物、下等なスライムのごとき存在だった。それが小魚を喰らい、貝やヒトデを喰らい、人や魔物を喰らい、ここまで大きく体を育てたのだ。文句があるのなら、貴様らも沢山食べて強くなればよかろう?」

「迷惑ですぅ、そんなに育ちませんから」

「強者が絶対だ。私は七つの海で最強。誰も逆らうことは出来ぬ。くやしかったら、私より強い奴の名を挙げてみろ」

「えーと、貴方は確かに強そうだけど……他にも強い生き物はいますよ?」

「む? 聞き捨てならん、それは誰だ?」



 おや、なんだか流れが変わってきましたよ?

 リップルは長老様から聞いた伝説を一生懸命に思い出したのでした。



「がりゅぷです」

「ガリュプデス? 何奴だ」

「海の水を全て飲み干すほど、大きくて強い怪物ですぅ。日に三度、ガリュプデスは海水を飲み込んでは吐き出すんですよ~。超有名、まさか知らないんですか~?」

「ぐぬぬ、私より強いと言うのか? 有り得ぬ、そんな奴が居るものか。どうせ口から出まかせであろう」

「いいえ、居ます。だって見て下さい。海には潮の満ち引きがあるじゃないですか。あれはガリュプデスが海水を飲んだり吐いたりしている何よりの証拠。浜辺に寄せる波だって、彼の呼吸から生まれているんですよ。居ないとすれば、そんな事が起きる理由を、他に説明できますか?」

「むむむ、確かに。この海の向こうには、それほどの強者が居たというのか。何という事だ。『井の中の蛙大海を知らず』とは私のことであったか」

「海は広いんですよ~。何ならご自分の目で見て回ったらどうですかぁ」

「よくぞ、教えてくれた。感謝する。図体があまりに大きくなり過ぎると、周りの意見が届かなくなっていかんな。どれ、そうと判れば善は急げ。そのガリュプデスとやらを求めて旅立つとしよう」



 何ということでしょう!

 スキュラは重い腰を上げ、旅に出てしまいました。


 九死に一生を得たロイド達は、リップルの肩を叩いて賞賛したのです。



「お前、凄いな! まさかあの状況から生き残れるとは思わなかった。いま息が出来ているのも不思議なくらいだよ」

「えへへ、アタシはただ長老様の話をお伝えしただけですぅ」

「大したクソ度胸よ、アンタにしか出来ないわ。でもね……」



 マサミちゃんが声をひそめてリップルに耳打ちしてきました。



「ガリュプデスはただの作り話よ」

「え?」



 言われたことを理解するなり、リップルの顔から血の気が引いていきました。



「うそ? だって潮の満ち引きは!? 波は? 海流は? あれれ?」

「それ、ただの寓話ぐうわだから。海を見た昔の人が『そんな怪物いるんじゃない』って想像しただけ。最近の研究だと『月の引力』や『コリオリの力』が原因だと言われてるわ」

「氷り鬼?」

「コリオリ! この世界は何でも大きなボールの形をしているんですって。表面が水で覆われた球体、それが回転している所を思い描いてみなさい。回転の勢いで海が波立つでしょう。自然現象なのよ、単なる!」

「えええ!! どうしよう!? 嘘を教えちゃった」

「別にいーんじゃない。喰って温泉ばかりじゃ太るでしょ。たまには運動した方がいいわ、スキュラも」



 ロイドも知らなかったくせにちゃっかりとリップルをなぐさめます。



「そうそう、世界は広いのさ。どこかに奴を倒せる本当の英雄が居るはずだ。今は素直に全員が生き延びたことを喜ぼうぜ。それにホラ」



 ロイドが人魚姫へ差し出したのは借りていた短剣です。

 その欠けた刃にはスキュラのうろこが張り付いているではありませんか。一撃を加えた時に剥がれ落ちたのでしょう。

 まぐれ当たりを誇る気にもなれず、剣士は苦笑まじりにそれを手渡しました。



「これが必要なんだろ?」

「あー! 人間になれる薬! すっかり忘れてました」

「ははは、まるで天使みたいだな、君は」



 ロイドはゴクリと唾を飲み込んでから、心に生まれた願望を口にしてみました。



「それでさ、もし人間になれたら、俺と一緒に街へり出してみないか? 初めてなら案内する奴がいるだろう? 劇場で素敵な出し物をやっているそうだぜ」

「……そうですねー。それも悪くないかな~」



 どこか歯切れの悪い返事は、リップルらしからぬものでした。



「その前に一つ聞いておきたいんですけどぉ、おとぎ話で人魚姫を捨てた王子様のこと……貴方はどう思います?」

「え? 何の話? そりゃ酷い奴だと思うよ。俺なら絶対そんな事はしないね。君の笑顔は虚ろな心を安らぎで満たしてくれる。人生は一期一会いちごいちえ、宝を得る機会は今この瞬間しかないんだ」



 リップルは意味深に溜息をつくと、貝殻の髪飾りを外してロイドに握らせました。



「貴方がいつか一人前の剣士になって、それでもアタシの事を忘れていなかったら……その髪飾りを海に投げ入れて。その時はデートの誘いにのってあげる。忘れたり、失くしたりしたらダメですよ?」

「へへ、君みたいな人を忘れるはずがないだろ? きっとだぜ」



 手を振るロイドを岸辺に残して出発する際、マサミちゃんが友達に囁きました。



「アンタ、まだ前の男を引きずってんの? いい加減に忘れちゃいなさい」

「別にぃ? ただねぇ、ちょっとだけ用心深くなったの。本当に凄腕の剣士になったら、さぞやモテるでしょうからぁ。それでもアタシに求愛をしたいのであれば、そうね、その時は……考えてあげようかな」


 はたして貝殻を投げる日はやってくるのでしょうか?

 それは気まぐれな運命の女神だけがご存じなのであります。



 それでは最後に、旅立ったスキュラがどうなったのかを語りましょう。

 これには諸説しょせつありまして、旅先で英雄に倒されたとも、探し求めるガリュプデスを遂に見つけ出したとも言われています。


 後者の話は遠いギリシャの地に伝わっています。

 海峡を挟んでガリュプデスとスキュラが今もずっと睨み合いを続けているとか。

 二匹の怪物に狙われた船はさぞや生きた心地がしなかったでしょうね。

 まさに進退窮まった有様です。そんな伝承から、貴方たちの良く知る「あのことわざ」が生まれたのでございますよ。


 そう、前門の虎、後門の狼です。

 これらは全て、歴史に語られぬ英雄譚。

 どうか、貴方の記憶だけに留め置き下さいませ。

 めでたくもあり、めでたくもなし。

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異世界海洋伝説リップル ~腹ペコ大公討伐編 一矢射的 @taitan2345

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