第11話 ともだち

「わわっ!?」

「うん?」

 結界の消失には出さないよう努めた分、大きく出てしまった声。そんなヘキサとは対照的に、男は纏わりつく風をしばらく眺めると、不意にその中へ手を入れた。

 そして何かを掴み上げる。

『――くす、るくす、あぶないやつ! ともだち、ともだち、はなせっ!!』

「ほう? 風の精シルフですか。気まぐれで飽き性のくせに、友だち?」

 男が掴んだ何かは、明確な姿を持っていなかった。

 しかし、止められたことで理解できる言語となった甲高い声に、ヘキサは目を丸くして男へ両手を振った。

「す、すみません、たぶん、私のことです。きっと、結界で私が見えなくなったから、貴方のことを危険だと判断して、こんなことをしているんだと思います」

「お嬢さんが? 友だち?」

 理解できないと言わんばかりの顔が、掴んだ手の先とヘキサを見比べた。

 男が無造作に掴んでいるもの――風の精は、確かに疑惑の目で見られても仕方のない存在だった。滅多に他種族の前へ姿を現すことはないくせに、いたずらにちょっかいを出しては、知らぬ顔で去っていく。被害の程度は子どものソレだが、性質は愉快犯のようで、運悪く遭遇した者は大抵が機嫌を損ねてしまう。

 そんな風の精に友だち認定されるとは、一体どういう手合いか。

 これまでのやり取り全てを忘れたように、男の目が色濃い不審を向けてくる。

 ヘキサは軽くショックを受けながらも、弁明を口にした。

「いえ、私自身に心当たりはないのですが、どうもどなたかと間違って憶えられてしまったようで、何度か訂正しても聞き入れて貰えず」

『ともだちいじめる、るくす、あぶないやつ!』

 ヘキサの焦りに呼応してか、更に声が甲高く強くなり、男の手が振り払われたような動きをする。

 いや、実際に振り払われたのだろう。

 証拠に解放を得たらしき風が、ヘキサの前――ではなく後ろへ回り込み、そこから『ともだち、まもる!』と繰り返している。自分の影から聞こえる言葉と伴わない行動に呆れつつ、これでも同類に見えるのかと男に目で問えば、気まずそうに頭をかいた。

「あー……分かりました。風の精にとっては友だちでも、お嬢さんにとっては友だちではない、と。これで良いですか?」

「それは……」

 ヘキサの目が男から自分の背後に移る。

 風の精がいるらしき空間には何もないが、しっかり感じる、縋るような視線。

 ――ともだち、だよね?

 伝わってくる意思に、ヘキサの脳裏がこれまでの風の精とのやり取りをなぞる。

 友だち認定されてからというもの、ほとんど聞き入れて貰えない訂正。反面でヘキサがダメと教えたことはよく聞き、魔力も介さず助けてくれたこともしばしば。もちろん、お礼として風の精が好む音色を奏でたこともある。

 今日も行きがけに、大丈夫かとまとわりつかれたなら、少しだけ気が楽になった。――単に「大丈夫」と自ら発することで、気が引き締まっただけかもしれないが。

「友だちでは……あります」

 男からは思いっきり目を逸らした状態で言い切れば、額面通り受け取った風の精が背後で喜び、

「………………そう、ですか」

 男は憐憫の目でこちらを見つめてきた。

 ヘキサの複雑な気持ちと立場を汲んでくれたらしい。

 一度頭を振った男は、「では」とヘキサに頼む。

「では、ソレに言ってください。私は貴方にとって危ないモノではないと。ソレの敵意で傷つくことなぞありませんが、それなりに不快でしたから」

「わ、分かりました……」

 こくこく頷き、言われた通りに風の精へ伝える。

 ヘキサの琥珀の瞳に映る姿はないが、まだそこにいると見当をつけて、

「あの、友だちさん? あの人は、私の……と、友だちです。危険はありませんから、もう、ああいうことはしないであげてください。私もビックリしました」

『ともだち……るくす、ともだち? あぶないのに、ともだち?』

「ええ。あの人は……ルクス、は私の友だちです」

『……ともだち、あぶない?』

「いいえ。大丈夫。心配してくれてありがとう」

 幼子へ言い聞かせるように、辛抱強く「大丈夫」と繰り返す。その内に、背後に留まる風の揺らぎが消えたなら、上手く伝わったとほっと息をついた。

「たぶん、分かってくれました」

「そうですか。……ふむ」

 向き直ったヘキサの言葉に、男は考え込むようにしてもう一度頷いた。

 風の精はすでに消えてしまったが、まだ何かあるのだろうか。

 次の言葉を待っていれば、これに気づいた男が苦笑した。

「いえ、お嬢さんが風の精にルクスと言うのを聞いて、そういえば、まだお互い、名前を知らないということに思い至りまして」

「言われてみれば……」

(ルクス、というのはこの方のお名前でしたか。私はてっきり、風の精の言葉で竜を指す言葉とばかり)

 呼び捨てにしてしまった。

 遅れた気づきに、ヘキサは慌てて自身の胸に手を当てた。

「重ね重ねすみません。私の名はヘキサ・C・センリです」

 対する男は、風の精が絡んだ時とは打って変わり、穏やかな表情で首を振った。

「いえ、私の方こそ気づかず申し訳ありません。あの風の精が言っていた通り、私の名前はルクスです。改めて、よろしくお願い致します、ヘキサ殿」

「殿なんて、そんな。呼び捨てにして頂いた方が」

「いえいえ。こちらの方が私としては呼びやすいだけですから。どうぞお気になさらず。そうそう、私のことはルクスとでもお呼びください」

「さすがにそれは」

 ヘキサが拒もうとしたなら、すかさず男は言った。

「私に仰々しい敬称は不要です。街を歩くにはふさわしくありません」

 それは殿も同じではないか。

 指摘したところで聞き入れて貰えない雰囲気を察したヘキサ。風の精との接し方に似ていると思ったなら、変な笑いが湧いてきた。

「では、せめてルクスさんとお呼びして……」

 言いかけ、黙る。

 ルクス――とだけ発せられた、その名前。

「どうされました?」

 急な沈黙を不思議がるルクスへ、ヘキサは冷や汗が流れる背を感じた。

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