明日に惑う少女と悩める老竜

第1話 無名の有名人

 正面にいる三人の大人を前にして、ヘキサ・C・センリは柄にもなく緊張していた。

 それは同じように彼らを見つめる、同級生や他級生にも言えることなのだが、その中でもやはり、ヘキサの緊張は群を抜いて酷かった。

 普段、眠そうとよく言われる琥珀の瞳は、四白眼であることが分かるほど見開いており、温和な顔立ちは見る影もなく強張っている。いつもはふわふわ遊ばせているくすんだ金色の長い髪も首の後ろで縛っており、今日のためにクリーニングへ出した、袖と裾に白いラインがあしらわれた紺色の制服と合わせたなら、すでに卒業式を終えた身にも関わらず、新入生と間違えられてしまいそうだ。

「それでは――」

「すみません、ちょっと」

 続くはずだった言葉は、走ってきた社員のその一言で中断し、何事か会話する二人にざわつく周囲。その内に、自然とヘキサへ視線が集まってくる。

 仕方ないと言えば仕方ない。

 様々な事情により、春からの身の振り方を決めかねていた学生のため、学園が年度末最後に催す集団面接。そんな場で、先程から一人だけ、あらゆる企業の面接官から「うちではちょっと」と断られているのがヘキサなのだ。悪目立ちしないわけがない。

 口さがない者たちからは、その都度、個人に留まらない陰口が聞こえていたが、今回ばかりはネタに上がらないはずだ。

 なにせ、ヘキサが今受けているのは、彼女と同じ種族・オウルが経営する企業の面接。未来の雇用主を前にして、さすがに種族単位で貶すような愚か者はいないだろう。

 便乗するように、今回の面接官たちの話題は自分ではない、と思いたいヘキサ。

 ここでもし落とされるようなことがあれば、就職は輪をかけて難しいものになる。

 いっそのこと、種族を前面に出して情に訴えた方が早いのではないか。

 そんな最終手段を考えていれば、コホンと咳払いが聞こえた。

 一瞬身構えるヘキサだったが、予想に反して面接は何事もなく進み、ほっと一息。

 周囲にも肩透かしを食らったような反応がままあったものの、最後には何故かはじかれるオウルの少女のことなど皆忘れ、思い思いに帰っていく。

 この面接の結果が出るのは、早くて三日後。

 悪くない感触を得たヘキサは、改めて胸をひと撫ですると、他と同じように面接会場を後にしようとし、

「ああ、そこの生徒さん、オウルのセンリさん」

「はい」

 呼び止められ、振り返ったヘキサは、手応えがあったはずの同族の企業から、早々に不採用を告げられるのだった。


* * *


 それぞれの種族が己の領域を取り決め、交わることなく暮らしてきた時代は、遥か昔。時を経て曖昧になった境界のために、種族間における様々な困難と思惑が入り乱れた時代さえ、遠い過去となった現在。

 巷には科学やら魔法やらが乱雑に溢れ、多様な種族が垣根なく、一つの街で共存することも珍しくない光景は、いつか誰かが夢見た理想郷そのもの――だが、悩みが尽きたわけではない。

 依然として残る、種族間の軋轢といった広範な話題に限らずとも、この道で本当に良いのかという個々人の人生の選択から、今日の晩ご飯のメニューなどの近々の課題まで。大小様々な悩みは、いつの時代でも、誰の元にも存在して来たものだ。

 それは、この世界で知らぬ者がいないほど有名な学び舎、コウルズ学園の上級課程を卒業したヘキサも例外ではない。

 ただし、彼女の悩みはともすれば特殊で、大半が「贅沢」と呆れるものであったが。

 コウルズ学園と隣接する都市クロエルの間に架かる巨大な吊り橋。その中程を膨らませる形で設けられた公園の、欄干から臨む広大な湖を前に、ヘキサは大きなため息をついた。

「……はぁ。行けると思ったんですけどねぇ」

 面接開始直前に一時中断となった会話。それはヘキサが警戒し、周囲が興味をそそられた、彼女の就職を阻む内容であった。あの場ですぐに言わなかったのは、それにより悪目立ちするであろう彼女を慮ってのこと、らしい。

 同族の情けか、それともあの面接官たちの優しさだったのか。

 どちらにせよ、彼らの思いやりは、他の面接会場で受けた注目よりも、ヘキサを存分にへこませた。

 その耳に笑い声が響く。

「まあ、冷やかしだと思われたんじゃない?」

 携帯電話を通したソレは、級友であり、唯一無二の親友・リサのものだ。

 ヘキサ同様、すでに卒業している彼女は、本来であればここから遠い故郷に帰り、結婚式を迎えているはずで、こんな風に電話が通じる範囲にはいない身の上。けれど、茶化す言葉とは裏腹にヘキサの行く末を案じるリサは、故郷からの迎えをはね除けてまでクロエルに留まってくれていた。

「ダメだったモンはしょうがない。切り替えて、明日また探しに行こう。私も一緒に回ってあげるからさ」

 近くに頼れる者のいないヘキサにとって、親身になってくれるリサの存在はありがたい。ありがたいが、それゆえに彼女の自由を奪っているようで心苦しい。今日の集団面接の中には、ここより遥かに遠い地域の企業もあったというのにダメだったのだ。期日も差し迫っている中で、これ以上粘っても無駄、リサに迷惑をかけるだけではないか、という思いが膨らんでくる。

「すみません、リサ。ですが、やはり――」

「私が好きでやっていることなんだから、謝らなくていいし、その先も言っちゃダメ。あの小動物がもぎ取った条件が台なしになるでしょ。それに、なんたってあのシハンがダメって言ったんだから」

(シハン……)

 ヘキサの琥珀の目が湖面の煌めきを遠く映す。

 幼い頃より共に過ごして来た、今はいない、懐かしい名。

 しかし、心配性のリサに気づかれてはならないと、電話へ向ける声は変えず、感傷から聞き流しかけた言葉を拾って注意する。

「リサ、ウォーム先生のことを小動物というのは」

「いいじゃない。もう卒業したんだから。それでなくとも、上級課程の教師のくせして、人の顔を見る度ビクビクしやがって」

「仕方ありませんよ。種族に染みついた習性はそう簡単に拭えませんから」

「誰が好き好んで食べるってのよ、あんな脂肪の塊!」

「まあまあ」

 ヘキサの脳裏に、自分より小柄で毛むくじゃらな担任の姿が浮かんだ。

 より多くの種族ついて理解を深めていく上級課程の教師でありながら、因縁深い天敵の種族――に似ている種族というだけで、最後の最後までリサに馴れなかった担任ウォーム。卒業した今なら、思い出話の一つに過ぎないと思っていたヘキサだが、担任に対するリサの苛立ちは想像よりずっと根深いらしい。

 在学時同様、リサの気が済むまで文句を聞いたヘキサは、明日の約束をもう一度確認してから電話を切った。

 そうしてしばらくは変わらない親友の調子にクスクス笑い、ため息を一つ。

「リサはああ言ってくれますが……。やはり、難しいですよね」

 誰宛てでもない問いを投げ、欄干に立てかけた手提げの革鞄から、憂鬱な面持ちで封筒を取り出した。

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