星詠む君の願う日に

かなぶん

むかしむかし

 始まりが何であったのか、その頃にはもう憶えていなかった。

 ただ、絶え間なく沸き上がる怒りと燻る疼きが、有り余る力へ命じる。

 ――些末なモノなど目障りなだけ。塵も残さず滅ぼしてしまえ。

 間違いなく己の内から生じた声に従い、小さな種族の巣を消し去ったなら、ほんのひととき弱まる不快。それは永の時を生きる彼にとって、瞬きにも満たない時間だったが、何よりも得がたいものであった。

 この一瞬の安らぎを求め、取るに足らない小さな種族の巣を何度潰したことか。

 憶えていない。

 否、憶える必要もない。

 彼が光球を一つ放っただけで、恨みも残せぬ巣を、どうして憶えていられようか。

 それに――と彼が首を巡らせれば、煌々と照る巣の灯りが広く地にこびりついていた。

 巣自体に憶えがなくとも、その地には憶えがある。彼の記憶にあるそこには、かつて深い森が広がり、緩やかな山並みからは幾筋もの清らかな川が伸び、これらを源として多種多様な生命が息づいていた。

 今は見る影もない、小さな種族に浸食された地。

 短期間であれだけの生命を食らい、増殖する種族だ。

 彼が減らしたところで絶える気配もないのだから、存続を気にかけるのも馬鹿らしい。

 もしもアレらに彼が存在意義を見出すというならば、滅びしかない。

 目障りな繁栄も全ては彼がため、彼のひとときの慰みのために。

 ――くだらない。

 それすら気に食わないと動いた喉奥が光り始める。

 宵の曇天を背景に、巨大な翼膜を左右へ広げれば、陰影の落ちた巣からざわめきが届く。

 ここに来て、ようやく小さな種族たちは彼の存在に気づいたらしい。

 これだけ大きな巣なら、同程度の巣が幾度となく破壊されていると知っているはずだが、相当鈍いのか、それとも自分たちは大丈夫だと高を括っていたか。

 備えもなく狼狽える嘆きを耳にして、少しだけ溜飲が下がる。

 だが、足りない。

 消滅させた後のソレとは比べ物にならないと、余計に喉奥へと力が練られていく。

 そんな彼の耳に、止めてくれと届く思念があった。

 小さな種族に蹂躙されながらも、古く地に住まう者は言う。止めて欲しいと懇願する。この地がどれだけ大切で、消し去ることがどれほど恐ろしいことなのかを説いてくる。

 この地を穢した種族を厭う気持ちは痛いほど分かるが、怒りを鎮めてくれ、と。

 かつてこの地で交流を持ち、彼を友と呼ぶ者が悲壮をもって訴えかける。

 彼はこれを鼻で笑った。

 種族間の地の奪い合いなど、彼にとっては見慣れたものでしかない。誰がその地の覇権を握ろうが知ったことではなかった。行く末がどうあろうとも、永い時の中の、数多ある事象の一つに過ぎないのだ。

 光球を止める理由になるはずもない。

 これを察し、伝わる絶望には憐れみを抱くが、それだけだ。

 いくら彼を友と呼ぼうとも、彼自身は古いその者を友とは思っていない。友と呼ぶことを拒まなかっただけで彼に認められたと驕り、これをもってその昔、この地を支配した者と記憶するのみ。

 喉奥に収束し、形作られた光球を舌上に転がす。

 牙の隙間から漏れる眩い光に、放たれた後の安穏を浮かべ目が細まる。

「竜殿」

 そこへ、直に届いた声。

 目だけ向けたなら、いつの間に近づいていたのか、巣を背にした小さな姿が宙に在った。見た目は小さな種族と同じだが、あの種族には空を飛ぶ技術はなく、増して生身で宙に留まる魔力もなかったはず。

 不可解だが――これもやはり、彼を止める程のことではない。

そうして焦点を巣へ戻しては、頤を大きく下げて光球を放つ、直前。

「つまらないのでしょう?」

 巻き込まれる、そんな発想など元からないような、穏やかな声音。

 何より、内容に虚を突かれて光球が弱まった。

 今一度、この不可解極まりない生き物へと視線を投じれば、笑んだ唇が映り、ただでさえ酷い不快が全身を駆け巡っていく。

 だが、興が冷めた言葉は確かに彼の中にあり、知らず問うていた。

「ならば……ならば、お前に何が為せるというのだ、小童」

 久しく聞いていなかった己の声。

 発したことで気づかされ、更に不快は強まり、応じた大気が揺らぐ。

 大抵の者であれば続く言葉を失う状況下、なおも笑む者は、宙にあってわざわざ彼を仰ぐ位置で、恭しく一礼した。

「これは失礼。私の名はルミル。星詠みのルミルと申します。あの場に住まう者らと同じ、竜殿が分け隔てなく蒸発されたる、小さな種族の一種に属しております」

「星詠み……。そうか……」

 非難の色もなく身を明かした星詠みに、彼の身体から力が抜けた。

 放つはずだった光球も夜闇へ溶けるように消えていく。

 竜たる彼の眼に映る星詠みの力は、正直なところ、彼の驚異にはなり得ない。星詠みが属する種族の中では強者と分類されるだろうが、大本がアレでは幾ら鍛えたところで高が知れている。

 それでも彼が光球を消し、怒気を抑えて対峙するのは、それを星詠みが望んだからだ。

 何をどう足掻いても、星詠みが望んだことは撥ね除けられないと、彼は知っていた。

 だからと不快は晴れず依然燻り続けており、星詠みを忌々しいと睨みつける。

 知ってはいても湧き起こる感情は別だ。

「では……改めて問おう、星詠みよ。ならばお前は何を提示する? 星詠みがわざわざ来たからには、この身の不快を払う法を、滅び以外の術を持っているのだろう?」

 せせら笑うような彼の問いかけに、何故か星詠みは参ったと言いたげに頭を掻いた。

 まさか本当に何もない訳ではないだろうと訝しめば、大きなため息が一つ、星詠みから出ていく。気が進まない、そう受け取れる様子に益々不審を抱いたなら、伸べられる腕。纏う空気が魔力を帯び、彼の頬がピクリと動いた。

 察した星詠みの考え。それは彼の嫌悪を更に強めるものであったが、払う術はない。

 ならば――一つ、悪あがきをしようではないか。


 星詠みは言う。

 竜殿。

 すでに承知しているとは思うが、その不快は世を滅ぼそうとも治まるものではない。

 だから、枷を受けて貰いたい。

 我が血筋、連なる血を代々、竜殿の庇護下に置いてくれ。

 これを持って契約と為し、枷とすれば、竜殿には永く安寧がもたらされる。

 このことは、星詠みの名に誓って、約そう。


 竜は応える。

 星詠みよ。

 その名を持って鑑みるに、申し出は我が余暇の慰みとしてやろう。

 しかし、それは己が血を我が贄とし、縛する約と知れ。

 そして……途絶えた暁には――――


 かくして密約は交わされ、時は彼を伝説の一つとするほど流れていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る