第29話 笑顔の魔法


 日は沈みかけ、遊園地内は夕日に照らされていた。まもなく閉園時間だからか園内の人の数が減ってきている。


「そろそろ終わりですね」


「そうだね。楽しいと時間が経つのがあっという間だよ」


 深雪さんは名残惜しそうにそう呟く。俺も似たような気持ちだ。どうして楽しい時間はすぐに過ぎていくのだろうか。


「最後に何か乗りますか?」


「……じゃあ、観覧車」


 言いながら、深雪さんは少し先にある大きな観覧車を見上げる。今日は時折あの顔を見るが、お母さんのことを思い出しているのかもしれない。


「よし、そういうことならさっさと行きましょう」


「あ、ちょっと待って」


 歩き始めた俺の腕を掴んでくる深雪さんを振り返ると、彼女はこちらを見つめていた。

 上目遣いの、先日何度も見たあの顔だ。


「さっきの勝負の約束、覚えてる?」


「もちろんですよ。負けた方は勝った方の言うことを何でもきく、でしょ? ゲーマーとして罰ゲームは甘んじて受け入れる所存ですよ」


 約束は約束だ。どんな願いであろうと叶えてみせよう。なんて神龍みたいなことを言ってみるけど出来ることには限界がある。

 俺にできることなら叶えてみせよう。途端に神龍のスケールがしょぼくなった気がするけど気のせいだろう。


「それじゃあ……」


 言いながら、深雪さんはおずおずと手を差し伸べてきた。じっと俺の顔を見ながら、何かを待っている。


「えっと」


 何を待っているのかは分かる。

 ただ、どうしてそれを待っているのか。否、どうして俺にそれを差し出してきたのかが分からない。


「そんなに深い意味はないよ。ダメ、かな?」


「あ、いや、そんなことは」


 そう言われると断れない。そもそも断ることもないのだけれど。

 そして、俺は意を決して深雪さんの手を繋ぐ。


「勝負の約束、これでいいんですか?」


「うん」


 手を繋ぐことが、だろうか?

 分からないまま、俺は深雪さんと手を繫いで歩き始める。

 観覧車まで距離はそう遠くない。

 少しの間、というのは分かってるけど、女の子とこうして手を繋いで歩く経験などなかったので恥ずかしくて仕方ない。


「子供の頃、遊園地の終わりはいつも観覧車だったんだ」


「はあ」


「私ね、帰るのがすごく嫌でいつも泣きながら駄々こねてたんだ。するとね、お母さんがこうして手を繋いでくれたんだ」


「そうなんですか」


 この一日、何度かお母さんのことを思い出してか懐かしむような顔をしていた。今回のもその一つなのだろう。


「なんかね、ちょっと繋いでみたくなったんだ」


 そんな話をしていると観覧車に到着する。手を放すのかと思ったけど、深雪さんはそのままスタッフのところまで行く。

 恥ずかしい。

 閉園まであと僅かなのでお客さんは少なく、並ぶことなく俺達は観覧車に案内された。

 ゴンドラに乗ったところで深雪さんは手を放した。


「ありがとね。お願い、きいてくれて」


「いや、これくらいは。ていうか、お願いでも何でもないですよ。深雪さんと手を繋げるなんて、何ならご褒美って感じで」


「えっ」

 

 俺が照れ隠しのように並べた言葉に、深雪さんが顔を紅くした。しかし、ハッとしてすぐに表情を元に戻す。


「あ、いや、そんなこと言われると照れるなあ、なんちゃって」


 あはは、と深雪さんは誤魔化すように笑った。

 俺もどうしていいのか分からずに外を見る。出発から少ししか経ってないが、ゴンドラは既に四分の一を通過している。

 夕日に照らされる街の風景が一望でき、ちらと深雪さんを見るとその美しさにか、あるいは懐かしき景色に言葉を失っていた。


「お母さんが死んでから、私がしっかりしなきゃってずっと思ってた。料理とかは苦手で紗月ちゃん達にも助けてもらってたけど、それでも長女として家族を支えてたつもり」


 夕日を見つめながら、深雪さんはそんな話を始めた。


「でも、気を張りすぎていたのかも。無理をしてみんなに迷惑かけちゃったしね。今回の熱は、それを私に教えてくれるいい機会だったよ」


 言って、深雪さんは俺の方を見る。赤く照らされたその顔は真剣で、潤んだ瞳は揺れている。


「悠一くんには感謝してるんだ」


「え」


「紗月ちゃんや花恋ちゃんの前ではどうしてもカッコつけちゃうから。この前看病してくれたときに言ってくれたこと、嬉しかったの。ああ、私も甘えていいんだって思えたから」


 一体何を言ったんだっけか、俺。

 言った言葉に嘘はないし、そのときの本心だったことは間違いない。ただ恥ずかしいことを言ったような気がして記憶から消し去ったのだ。


「だから、たまに悠一くんには甘えちゃうかもしれないけど、許してね」


 クラスでは優等生。生徒会では頼れる会長の補佐。家では長女としての責任を背負う。

 そりゃ気疲れもするだろう。

 そうすることで、少しでも深雪さんを支えることができるのならば大歓迎だ。


「深雪さんの力になれるなら、俺はなんだってしますよ。まあ、力仕事は苦手だけど」


 俺は笑って誤魔化す。その辺もちょっとずつ改善していこうと思ってるけど、根っからのインドアたるこの俺がいつまで続くのやら。


「じゃあ、もう一つ言ってもいい?」


「なんですか?」


 気づけばゴンドラはまもなく地上に到着する。俺と深雪さんの二人の時間も終わりを迎えるのだ。

 この時間が終わり、家に帰れば彼女は二人の姉だ。世話焼きで優しいお姉ちゃんに戻るのだろう。


「花恋ちゃんや、紗月ちゃんが困ってたら同じように助けてあげてね」


 これはきっと姉としての言葉。けれど逢坂深雪の本音であるに違いない。

 家族と呼ぶには、まだ俺達の絆は薄いのかもしれない。けれど他人と呼ぶには俺達はあまりに多くの時間を共に過ごしすぎた。

 そんな俺達は、名前のつけようのない関係ではあるけれど、何があっても見過ごすようなことはできないだろう。


「当然ですよ。深雪さんに頼まれるまでもありません」


「ふふっ、そう言うと思ってた」


 こうして、ゴンドラは地上に到着した。スタッフに案内されて降りた俺達は名残惜しみながら出口へと向かう。


「そこのお二人さん」


 そのとき。

 カメラを持った白髪のおじさんに声をかけられる。明らかに怪しかったけど、よく見るとパークのスタッフバッジをつけていた。


「よかったら一枚、いかがですか?」


「え、一枚?」


「そう。今日といえかけがえのない一日を、写真という形に残して、思い出として持って帰らないかいってことさ」


 言いながら、おじさんが首にかけてあるカメラを持ち上げた。ああ、カメラマンってことか。


「彼女さんも撮りたいよね?」


「あ、えと別に彼女じゃ――」


 そりゃ男女が二人並んで歩いてれば勘違いもするだろうけど、そうじゃないのだ。

 そう思い、俺が慌てて否定しようとすると深雪さんがすっと手を動かして俺を止める。


「お願いします。いいでしょ、悠一くん?」


「……まあ、断る理由はないですけど」


 おじさんにアプローチされるがままに、観覧車をバックに二人並ばされる。

 こう改めて並ぶと緊張するな。とガチガチになっていた俺の腕にするっと深雪さんの腕が絡んできた。


「ちょ、なにを」


「これが最後なんだし、いいじゃない。ほら、笑って。今日の思い出だよ」


 急に抱きつかれて、そう言われても笑えるはずがない。

 そもそも、俺は笑うのがあまり得意じゃなくて、だから写真とかも実は好きじゃない……。


「撮るよー。はい、チーズ!」


 あれ。

 なんだろう。

 俺は昔から写真を撮られるのが好きじゃなかった。だから、家にもあまり俺の写真はないのだ。

 でも無理やり撮られることはあった。その度にそんなことを言って、けれど容赦なく撮られていた……。

 そんな記憶がふと蘇ったのは、たまたまだろうか。

 それとも――。


「これはおじさんからのプレゼントだ。いつもならお金を貰うが、彼女さんのあまりにも楽しそうな笑顔を見ると、プレゼントしたくなっちまった」


 パチリ、とウインクを決めて一枚の写真を渡してきた。

 なにこのおじさん、カッコいい。最初に感じた怪しさが今はもう皆無だ。

 おじさんにお礼を言って、俺達は再び出口へと向かう。


「悠一くんへのお詫びだったはずなのに、結局私の方が楽しんじゃったかな」


「いやいや、俺も相当楽しみましたよ。それこそ、深雪さんには負けないくらいに」


「そう? それなら、よかったよ」


「そもそもお詫びなんていらなかったのに。今日みたいに元気で、笑っていてくれるなら、それが一番いいんだから」


 俺も、紗月も、花恋ちゃんも、親父さんも、それに天国のお母さんだってきっとそれを願っている。

 だから、それだけでいいのだ。


「ありがと。最後にいいもの貰えたし、今日はほんとにサイコーの一日だったよ」


「そりゃよかったですよ」


「だけど悠一くん。次はもう少し自然に笑ってほしいものだね」


 言いながら、深雪さんが俺に写真を見せてくる。それを見て、俺は思わず溜め息をついてしまう。


「……練習しときます」


 その写真には最高の笑顔を浮かべる深雪さんと、ぎこちない笑顔の俺が写っていた。

 こんなだろうとは思っていたけど、まさか予想通りの顔をしているとはな。


「うん。じゃあ、またしようね。デート」


 だから言っただろ。

 写真は苦手だって。

 けれど、心の底から笑う深雪さんを見ていると、それも悪くないのかも、なんて思ってしまう。

 それこそが、逢坂深雪の笑顔の魔法なのかもしれない。

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