第8話 逢坂紗月の憂鬱
「静かだ」
リビングのテーブルにノートやプリントを広げて宿題と向き合う。
部屋にもテーブルはあるが、床に座るよりはイスに座った方が集中できるので、リビングが空いていればこうして移動して勉強をする。
実家では勉強机を使っていたからなのだろうけど、どうにも景色が低いと集中できないのだ。
「この調子でいけば終わるな」
三姉妹は各々予定があって出ており、今この家にいるのは俺だけだった。
明日から一泊のお出掛けがあるのでいろいろと買うものもあるのだろう。
音のない部屋でカリカリと文字を書く音だけが耳に入ってくる。
しばらく集中して宿題に取り掛かり、昼を過ぎた頃にはあと僅かというところまで終わらせることができた。
これだけやっていれば最悪最終日にでも終わらせれるだろう。
「ううー」
ぐっと伸びをするとパキパキと背中が鳴る。それと同時にぐううとお腹が空腹を主張してきた。
さすがに腹は減るか。
冷蔵庫の中を漁ってみるが、食べるものは何もない。かといって何かを作る気にもなれないので外で済ますことにしよう。
パーカーを羽織り、外に出る。少し歩くと商店街があり、この町の住人のほとんどはそこで買い物を済ませる。
都会でいうところのデパートとかショッピングモールの役割を担っているらしい。
食べ物の店はもちろんアミューズメントからアパレルなど様々な店が揃っている。住人が集中するので知り合いに遭遇する確率も高いけど、俺はまだそこまで顔が広くないからそういうこともない。
「何を食おう……かな」
さすがはゴールデンウィーク初日、それなりに人が溢れている。その中でどの店に入ろうかと悩んでいると見たくない景色が視界に入ってきた。
「あの、やめてください! 離してくださいっ」
紗月が男二人に絡まれていた。
白のニットにロングスカート、見た目だけでいえば容姿端麗と言うに足る。そりゃナンパの一つくらいされていてもおかしくない。
ただ、めちゃくちゃ迷惑そうな顔してる。
「……」
きっと嫌がるだろうけど、かといってさすがに知ってる顔なだけにスルーはできない。
穏便に済むよう祈っておこう。
腹を括って、俺は紗月の元へと向かう。すぐ近くまで来たけどこちらに視線を向ける余裕はないようで、一向に俺の存在に気づかない。
「あ、あのー」
仕方ないと思いながら声をかける。
「ああ?」
金髪のいかにもな雰囲気の不良Aが睨みつけるようにこちらを向く。
何なの、なんでこいつらとりあえず喧嘩腰でくんの? 舐められたら終わりとか思ってんだろうなあ。バカだなあ。
「いや、その人俺の連れなんですけど、何か用事でもあるのかと思いまして」
「……」
俺が突然現れたことにようやく気づき、紗月は言葉を失っているようだ。今のうちに逃げてくれても全然いいんですよ?
「チッ、彼氏連れかよ。モブい男連れてんなー趣味悪い。イケメンと遊びたくなったら、いつでもオレに連絡ちょーだいね」
案外物分かりがいいタイプの不良だったようで、紗月にメモを渡すと手を振りながら去っていった。
二人が見えなくなることを確認すると、紗月は貰ったメモを一瞥してからそれを千切る。
「何書いてたの?」
「アドレス、だと思われる文字列です」
「そっか」
ちょっと気まずいな。
紗月と二人きりって状況があまりないからな。家で二人のときはあるけど、そういう時はお互いに部屋にいるからな。
「あの」
どうしたものかと考えていると、紗月が俺の服の裾を掴んで声をかけてくる。
「ん?」
振り返ると、紗月は何かを言いづらそうにしながら顔を紅くしていた。
「えっと、その、ありがとう……ございました」
「いや、さすがにほっとけないしな」
「断っても断っても全然諦めてくれないので、正直うんざりしていたんです」
「まあ、ゴールデンウィークってこともあって気が大きくなってるのかもな。いつもより人も多いし、気をつけろよ」
「気をつけていても、勝手に近づいてくるんですっ。全く、これだから男の人は嫌なんです」
ふいっと顔を背けながら紗月はうんざりとした調子で息を吐く。
「あなたは?」
「宿題をしてたけど集中も切れたから気分転換だ。腹も減ったしな」
「……」
俺の言葉を聞いて、紗月は少し考える素振りを見せた。まるで命の選択でも迫られているような苦い表情をしているが、何を考えているんだ?
「間宮くん、これからお時間ありますか?」
「え、まあ、飯食うくらいだけど」
きゅっと唇を結んでいた紗月がこちらを見て、一度視線を逸らし、小さく深呼吸をしてからもう一度俺の方を見る。
そして、覚悟を決めたように口を開く。
「少し、付き合ってください」
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