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彼方灯火

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 よく晴れた春の日。


 僕は大通りを歩いていた。大通りというと、交通量が多いああいう感じの通りを想像する人もいるかもしれないが、それもその通り、僕が歩いているのはまさにそういう感じの通りだった。遥か向こうまでビルが立ち並ぶ様は、巨人の墓石が連なっているようにも見えなくはない。走り行く自動車の速度はなかなかのものだが、次から次へと通り抜けていくものだから、とうとう連続した一直線のように見えてしまいそうな感じがした。


 僕の少し前を歩いていた少女が、ふと立ち止まってこちらを向く。彼女は腰までの短いジャケットに、春らしいロングのスカートを履いている。一見すると大学生という感じだが、それもその通り、彼女は正真正銘の大学生だった。


「ほら、早くしてよ」彼女は元気な声で僕に言う。「早くしないと、授業始まっちゃう」


 僕は頷いて、わざわざ立ち止まってくれた彼女のもとへ向かう。


 彼女は僕の幼馴染だ。といっても、最近はあまり会っていなかった。それが、どういうわけか同じ大学に入学することになって、学校に通うようになってからたまたま顔を合わせるようになったのだ。こういうのを運命、あるいは奇跡と呼びたがる猛者もいるが、こんなのはどこにでも転がっている一定の確率というやつだろう。眼鏡をかけた数学の教授が言っていたから間違いない。


「最近さ、やっと春らしくなってきたよね」自身の後ろで両手を組み、少女は歩きながら言った。「ついこの前までさ、あんなに寒くて……、毎日、炬燵で蜜柑食べて過ごしていたのに」


「蜜柑って、皮を剥かないで食べるのが最高だよね」


「それ、どういう意味?」


「レモンサワーってあるじゃん? あれと同じだよ。そのまま……、皮ごと活かすのが料理の基本ってものなんだ」


「いや、料理じゃなくて、そのまま食べるっていう話だよね?」


「うんうん、シークワサーの場合も同じだよね。それくらい、常識だと思うよ、僕は」


「人の話聞いてる?」


「大いに」


 大学の授業に間に合わないと少女は言ったが、実際にはそんなことはなく、まだ時間に余裕はあった。何でもかんでも余裕を持たせようとするのは、彼女の悪い癖だ。本当はそれは良いことなのだろうが、何でもかんでもぎりぎりでやろうとする、いや、それを信条としている僕にとっては、悪い癖だと言わざるをえなかった。今日だってまだあと一時間もあるのだ。こんなに早く来たって何も良いことはない。


 大通りを真っ直ぐ進めば、間もなく僕たちが通う大学が見えてくる。見えてくるというのは、これからそうなることが予想されるというだけで、実際にはまだ見えていない。日本語は難しい言語なのだということを、僕は最近になってようやく理解した。英語なんてまだ良い方だ。あれほど論理的な言語はなかなかない。日本語なんかと比べたら、正確性という意味で天と地ほどの差がある。


「はああ、やっぱいいなあ、春は……」両手を組み、掌を空に向けて少女は話す。「こういう暖かい気候って、日本に特有のものだよね……。うん、そう思うと、やっぱこの国に生まれてきてよかったと思うよ、ほんとに」


「へえ、そう」


「君さ、全然興味ないないでしょ」


「興味ないことはないよ。ただ、ハワイとかさ、日本以外にも暖かい国って、あるじゃない?」


「ハワイって国じゃないんだよ。知らなかったの?」


「え、本当?」


 僕が尋ねると、少女は神妙な顔つきで首を縦に振る。


「そんな……」僕は溜め息を吐いた。「……この前の社会科目のテストで、国名を三つ挙げよっていう問題があったんだけど、そのときハワイって書いちゃったよ」


「ありゃりゃ。何やってるんだか……」


 僕は項垂れ、そのままの姿勢で数メートル歩く。


 僕はしょっちゅうこういうミスをするのだ。自分では気をつけているつもりだが、なぜか現実で効力が発揮されることはほとんどない。滅多にないといっても良いくらいだ。気をつけているつもりでも、本当につもりにしかなっていなくて、全然気をつけられていないということになる。


「あああ……。だいたい君はさ……」


 少女の声が聞こえて、僕は項垂れていた頭を上げようとする。


 しかし……。


 その瞬間に、奇跡が起きた。


 僕が頭を上げようと首に力を入れたとき、大通りの遥か向こうから風が吹いてきたのだ。それは春に特有な突発的かつ大胆な風で、威力はなかなかのものだった。


 そう、その威力といえば……。


 少女の丈夫なロングスカートを、まるまる持ち上げてしまうほど……。


 僕が顔を上げたタイミングと、少女のスカートが風で持ち上がったタイミングは、ぴったりと合ってしまった。


 そのとき、僕は時間が止まったのだと錯覚した。


 スカートのその向こうに見えた神々しい何か、そして、現状を把握しきれないまま呆然と口を開けて固まった少女の顔……。


 ゆっくりと視線を上げ、ついに僕と彼女の目が合う。


 少女は我に返ったように目に力を込めた。


「……見た?」


 一瞬の内に表情を変え、少女は低い声で僕に尋ねる。当然抗えるはずもなく、僕は恐る恐る首を一度上下に動かすことしかできなかった。


 彼女は沈黙する。


 下を向いたまま固まり、肩を僅かに震わせる。


 もう遅いと僕は思った。


 これは……。


 完全にやらかしてしまった。


 彼女が一度こうなってしまったらどうしようもないことを、僕は昔から知っていた。


「……あ、あのさ」


 恐怖に顔を歪めながら、僕は精一杯の誠意を込めて謝ろうとする。


 しかし、その言葉が実際に口から出てくるよりも早く、少女は身を翻した。


 気合いを入れるような大きな声が聞こえたかと思った次の瞬間、僕の身体はすでに地面から離れていた。涙で濡れた目で下を見ると、脚を一回転し終えた彼女がバランスをとろうとしている姿が窺える。しかし、そんな彼女の姿はどんどん小さくなっていき、ついには大通りの全貌が見られるほどになった。


 僕は、声を出すことができなかった。


 実際には物理の法則に精密に従った結果なのだろうが、とてもそんなふうには思えないほどのスピードで、僕の身体は下方向に落下していく。身体全体が一つの纏まりとして落ちていくというよりは、体内にぶら下がっている数々の臓器が先行して口から溢れ出さんばかりに、容器と内容物がばらばらに落ちていくような感覚だった。しかし、そんなことを感じている暇もなく、僕の身体は空気を引き裂き、母なる大地へと還るがごとく地面へ向けて加速していく。


 落下運動を止めることなど当然できない。なす術もなく四肢は思いきりアスファルトの地面に衝突する。脚が接触した表面は壊滅的な音を上げてボール状に凹み、まるで月の表面のように巨大なクレーターを作る。地面からの衝撃をすべて吸収して身体は反射され、肩を接触したせいか、角度がつき、今度は四十五度の傾きを得て身体は空中へと飛んでいく。


 もう、何もかも終わりだと、その瞬間に悟った。


 わけの分からない力に押し飛ばされ、身体は高層ビルの壁面に衝突する。音を立てるよりも早く壁は内側に向かって崩落し、硬質なアスファルトは抵抗もせずにいくつものブロックに粉砕される。中から現れた鉄骨を断裂させると、身体は地上三十二階のフロアに突き刺さり、やがてそれすらも貫通して、二十六階のフロアに向かっていく。


 運が良いのか悪いのか分からないが、貫通した先は吹き抜けのフロアだった。眼下には稼働するエスカレーターが見える。しかも、下りではなく上りだったために、身体は物理の法則を完全に無視して、スピードを緩めないまま上りエスカレーターを芋虫のような体勢で上っていく。そのまま二十六階のフロアの天井を突き破り、再び外気と触したときには、目の前に巨大な飛行船が浮かんでいるのが見えた。


 もちろん、それを避ける手段などない。身体は勢いを得たまま飛行船へと直進していき、まるでそれが空気でもあるかのように、何の抵抗も受けないまま貫通して反対側へと至る。背後から幾人もの悲鳴が聞こえたが、こちらはそれどころではない。空気抵抗をものともせず、かといって摩擦をまったく受けないわけでもなく、服は千切れ、身体各所の大事な部位を隠す暇もなく、次なる建造物を目がけて直進していく。


 前方にミュージアムの芸術的な意匠が見えたと思った瞬間には、それは塵に等しい瓦礫と化していた。あとからくる衝撃。ドーム状になっている天井にラケットに打たれたシャトルのごとくスピードで突進し、梁を粉々にしながら身体は宙を進んでいく。某ファンタジー映画でこんなシーンがあったなと思い出しながら、そんな思い出すら破壊していくような勢いで、身体はさらに空を突っ切っていく。粉砕された梁の影響を受けて途中で進路が変わり、屈折した身体はサッカーコート目がけて発射される。口に土の苦さを感じた瞬間には、すでに地下三十メートルにまで達しており、気がつくと地下鉄の駅にいたが、眼下に上りエスカレーターを見つけたときには、次にどうなるのか予想することは容易だった。


 またもや芋虫のような体勢で、しかし放出されるダムのようなスピードを伴って、身体はエスカレーターを這い上がっていく。丁寧に改札を通り抜け、そのままの勢いで自動販売機へ突っ込む。口に健康食品の大豆の味を覚えて、土で汚染されていた口内がこれで癒やされると思った矢先、次に目の前に表れたのは便所。頭から便器を被り、そのままの勢いで掃除ロッカーへと突っ込み、箒の柄が喉を貫通するのを必死に堪える。便器&箒の二重攻撃で危うく意識が飛びかけるが、そんなことを意識している暇はなく、地下空間から飛び出して再度空気中に放り出される。


 次に向かったのは海だった。最早どこの海なのかも分からない。空中から垂直方向に落下し、身を構える暇もなく頭から海水へと突っ込んでいく。衝撃はかなりのものだったが、身体はもう何も感じなくなっていた。波飛沫が上がり、そこに新しく噴水が誕生したかのように水柱が立つ。耳の中に大量の海水が入り、脳内が侵食されそうになりながらも、身体は海底を目指してどこまでも潜っていく。口から入り込んだ水が気管支へと至り、どうにかして排出しようとするものの、水中で咳をすることなどできるはずもなく、ただ苦しいだけの時間が続く。そんな時間の経過も、もう曖昧としているように思えた。


 目の前に巨大な陰が現れたと思うと、今度は今潜ってきたのと反対方向に身体は進んでいた。何かにぶつかって跳ね返されたようだ。おそらく、海豚が鯨の類だろう。今まで受けていたのとは真逆の作用が生じ、膝蹴りを受けたように身体をくの字に曲げながら、身体は海面に向かって上昇していく。そのまま海水を抜け出し、太陽に向かってさらに急上昇。


 宇宙空間に放り出されるよりも前に、旅客機の羽を掠めて、身体は弧を描いて地上へと向かっていく。眼下にはどこかしらない街が見える。空を見上げて僕のことを指差している人々の姿を認識した瞬間、顔面はいつの間にか地面へとめり込んでいた。それでも運動が止まることはなく、地面に顔面を接触させたままの姿勢で、身体はどんどんと地下深くへと潜っていく。途中で排水管を突き破り、背後からもの凄い勢いで水が追いかけてきたが、当然自分が運動する速度の方が上回っていた。


 地球の反対側に到達するのではないかと思ったが、そんなことはなく、今度はスーパーマーケットの店内に顔を突っ込んだ。天井から突如出現した得体の知れない少年の姿を見て、人々は踊るように逃げ出すが、食品売り場の棚に衝突してパチンコのようにバウンドする身体が、彼らをしつこく追いかける。ワインが入ったボトルは砕け散り、幸い近くに人はいなかったから良かったもの、辺りは血が飛び散ったように真っ赤に染まった。かと思いきや、今度は食パンの群れに顔を押し当て、そのまま卵売り場に直進し、これでようやく速度が緩和されると思ったものの、僕の旅はまだまだ終わる気配がない。


 サービスカウンターに並べられている高級な菓子にスライディングを決め込み、その向こう側にいた店員の傍を猛スピードで通り抜け、壁を突き破って反対側のフロアに至る。お決まりのように上りエスカレーターを尋常でない体勢、および速度で這い上がり、家具が置かれたフロアをジェットエンジンを背負ったカナブンのようなスピードで滑空する。箪笥の扉を粉砕し、壁をも砕け散らして、その向こうに展示してあった便器に再度頭を突っ込む。何度同じことをすれば気が済むのかと思ったが、最早気が済む済まないの話ではない。


 布団売り場に置かれている厚手の敷布団を三連続で貫通し、南極の氷の上を滑るペンギンのような格好でフロアの床を滑っていく。壁と壁が交差して直角になった所に正面から衝突し、角度の影響を受けて今度は上方向に飛翔。天井に頭をめり込ませ、三階のフロアに到達すると、床から突如として現れた得体の知れない少年の姿を見て、人々は悲鳴を上げて逃げ始める。


 電化製品売り場を対空ミサイルのごとくスピードで駆け抜け、新品の携帯をスクラップにしながら液晶テレビの画面に突っ込む。テレビを胴体に嵌めたまま空中を飛び、冷蔵庫に衝突することで、ようやく身体からテレビの残骸が離れるかと思ったが、今度は冷蔵庫を身体に嵌めたまま空中を滑ることになる。重さに耐えきれずに地面に落下するが、それで速度が落ちることはなく、売り場のラックを根本から倒し、レジに向かって全速力で突進する。紙幣が空中にばらまかれたが、謎の力によってそれらは綺麗にレジの中に再び収められ、僕が強盗の疑いを持たれるのを防いでくれる。


 天井からぶら下がる扇風機の紐を巻き込んで、プロペラを撒き散らしながらフロアを縦横無尽に飛び交い、ヨガスタジオの壁を突き破って、超高速・大突進サービスステップをお見舞いする。ようやく窓硝子が前方に見えてきたかと思うと、それを突き破って再び地下空間へ……。


 目の前に出現した土竜を蹴散らし、いっきに地上に向かって加速する。僕がそうしようと思ってしているわけではないから、最早何が起きているのか分からない。マンホールの蓋を突き破り、突如として出現した得体の知れない少年の姿を目にして、街行く人々は四方八方に逃げ出し、自動車は踊るように道路の上を滑る。


 ピザを作るように頭の上にマンホールの蓋を載せたまま、身体は速度を落とすことなく次の建物に向かっていく。


 硝子張りのショーケースを突き破り、僕のアルバイトの給料では到底払えない値段が掲げられたコートをいつの間にか羽織り、会計をする暇もなく反対側の壁から次の建物へと直進していく。


 立ち並ぶビルを五棟連続で倒壊させ、その先にある一際大きなマンションに頭頂葉から突っ込む。方向転換し、下から上に向かってベランダを駆け抜ける。顎が柵に何度も当たり、外れるというレベルを通り越して砕け散りそうになったが、痛みを感じるよりも先に屋上に到達し、装着するようにパラボラアンテナに頭から入り込む。散髪をする際に嵌める謎のアイテムのようにアンテナを首に付けたまま、今度は下に向かってベランダを駆け抜ける。アンテナの突起にベランダの柵が衝突し、途中で何度も身体の向きが変わったが、結局すべての力が相殺されて、一直線を保ったまま地面に到達する。


 そのまま地面を貫通すると思いきや、今度は表面を滑ることになった。ガードレールを突き抜け、小さな公園に到達し、ブランコの鎖を身体に巻きつけながら、滑り台を反対方向に滑る。街灯を口に咥え、声を出す暇もなく遊具のトンネルを潜り、今度はスペースシャトルのように天に向かって直進。途中で電線に引っかかり、弾かれた勢いのまま民家の屋根の上を滑空し、瓦を巻き上げながらどこまでも進んでいく。ようやく街灯が口から離れたと思いきや、次に目の前に出現したのは電波塔。それを無慈悲に切り倒し、真っ二つになった残骸を背後に次の標的に向かって飛んでいく。


 いつの間にか都会から田舎町へと移り、畑に植わった大根の葉を掠めながら、山に衝突して新たな峠道を切り開く。トンネルの突貫工事を一瞬で終わらせ、里に住む人々に感謝されながら、前方に現れた高速道路のインターチェンジを通り抜けようとするが、身体にETCを装着していないことに気がつき、仕方なくゲートを突き破って道路に侵入する。


 背後から巨大なダンプカーに追われるが、追われれば追われるほど身体は加速し、まったくといって良いほど止まる気配を見せない。並走できる自動車など一台も存在せず、道路標識を貫通して、途中で近所の中古用品店に立ち寄り、リサイクル商品を木っ端微塵に粉砕しながら店内を通り抜ける。


 コンビニエンスストアの食品棚を半壊させ、レジ袋は貰わずに非難を買って店を出る。空中を飛び、ときには道路を滑り、例によってエスカレーターを高速で逆走して、駐輪場に停められている自転車を薙ぎ倒し、かと思いきやマンホールに身体を突っ込んで、そうかと思うと今度は地上へと飛び出し、また空中へと戻っていく。


 周囲の景色は窺えず、今自分がどこにいるのかさえ分からない。ショベルカーのショベルに掴まろうとするも、こちらの速度の方が速いが故にショベルが根本からもげ、ミキサー車のミキサーに掴まろうとすれば、今度は高速で何周も回った挙句、回転運動が限界に達して、ミキサーとともに身体は空気中に放り出される。


 競馬場に辿り着き、レースに乱入して、しっかりと一位の座を手にするも、賞金を実際に得ることはできず、なお競技場を駆け巡り、観客席に突っ込んで売り子のビールを台無しにする。


 再びサッカーコートに至り、ゴールのネットを突き破って某ヒーローのような姿になるも、前が見えないが故にどうすることもできず、同じように観客席を粉砕しながら、次なる目的地に向かって飛んでいく。


 横から上へと唐突に方向転換すると、天高く掲げられた横断幕を破って自分の身体に纏い、空気抵抗に耐えきれずに布は千切れ、見るも無様な格好をしたまま野菜売り場に突っ込み、頭から南瓜を被る。そのまま試食コーナーの鍋に頭を嵌め込んで、揚げ物にされる一歩手前で消火液をぶち撒けられ、焦った定員の手が滑ってコンロの火力が最大にされて、奇声を上げながら高速で飛び跳ねると、公衆電話のコインを入れる部分に無理矢理頭を捩じ込み、番号を押さずに瀬戸物コーナーへと突入して、割れ物をその名の通り割れ物へと変化させ、無責任に身体はその場から去っていく。


 非常口の看板に描かれた人の形をしたマークに向かって、まさにその通りの格好で突っ込んでそれを粉砕し、天井から撒き散らされたスプリンクラーの水で全身をびしょ濡れにするも、外に出たかと思えば石焼き芋屋のワゴンに突っ込んで、高熱で熱せられて飛び上がり、頭上にあった街灯の照明に頭をぶつけ、反動を受けて地面に向かって垂直に落下すると、今度は上に上がり、また照明に頭をぶつけ、垂直に落下して、その運動を何度も繰り返したあと、微妙に角度が異なったことから道路に放り出され、自動販売機の中に収納されていた焼きそばを口に無理矢理突っ込み、思いきり咳をした反動で後ろに向かって逆噴射し、制御不能になった身体は塵箱へ強制送還され、箱ごと後方に移動し、今度はダンプカーの車体に跳ね上げられ、野球場のネットに反射されて、なぜかバッターに思いきり打たれる。ホームランを通り越して球場に出てしまったにも関わらず、突如伸びたバットにさらに滅多打ちにされ、今度こそ銀河系の果てに至るのではないかというスピードで空に向かってふっ飛ばされていく。


 大気圏外に出る一歩手前で方向転換し、地球の衛星になるのを阻止するために、全力で脚に力を込めて地上へと戻ろうとする。すると今度は地上に向かって急速に加速し、みるみる内に海が近づいてくる。海に潜るのはもうこりごりなので、どうにかして回避するために方向転換しようとするが、意思の力が現実で発揮されるはずもなく、見事に海水へとざぶんする。


 ああ、またこの光景か、と思ったが、そんな感傷に浸っている暇などない。鮫に見つかる前になんとか水中から脱しようと思ったが、身体は言うことを聞かず、海底に向かって延々と直進していく。水の抵抗を受けて速度が緩まるかと思ったが、全然そんなことはなく、むしろ加速して海底へと突き進んでいく。ついに海底に到達し、顔を地面にめり込ませ、さらなる空間を生み出すのではないかという勢いで岩床を削り、どこまでも果てしなく深く進んでいく。悲鳴を上げる暇もなく、口に海水と岩の残骸が交互に侵入してくる。


 熱い気配を肌に感じ、海底を削りながらどうにか周囲を見渡すと、マグマがすぐ傍に流れ込んできているのが分かった。それすらもものともしない速度で身体は岩を砕いて進んでいく。


 一瞬だった。


 目の前に巨大な赤い流れが現れたかと思うと、とてつもない爆風で身体は反対方向に吹き飛ばされていた。今まで自らが築き上げてきた軌跡を逆戻りし、ついに海の外に放り出された僕は、驚くべき光景を目の当たりにする。


 海洋の表面から湯気が上り始めたかと思うと、底の方から海水が大量に押し上げられ、至る所で水柱が立ち始めた。それらはやがて波となって荒れ狂い、四方八方に散ってさらなる波を生み出していく。


 身体は再び宇宙へと向かって飛んでいくが、それを追いかけるように空気が押し寄せてくる。地下空間からとてつもない爆発音が響いたかと思うと、海底が根もとから崩壊を始め、轟音を上げながらすべてを飲み込むような勢いでマグマが吹き出す。


 肯定的な願いは叶わないのに、否定的な願いなら叶うといった、この世にたった一つ存在する摂理の影響を受けたように、身体は故郷を惜しむ間もなく大気圏外に放り出され、そのまま地球の引力に捕まって高速で周囲を回り始める。


 目の前に見える惑星は今や火の玉と化していた。表面では太陽と同じように炎がうねり、化学反応を超越してすべての物質が燃焼を繰り返している。火柱が生まれ、そして消失し、やがてまた生まれる。表面は液体に覆われ、それはゆっくりと周囲を循環している。


 溢れ出さんばかりのエネルギーの存在が感じられ、やがてそれはこの世界に形を伴って現れる。表面を循環していた液体が泡を吹き始め、その間隔が徐々に短くなっていく。表面からだけではなく、内側からも同様の反応が起こり、ついに惑星はその核から大爆発を起こした。


 惑星は一瞬の内に弾け飛び、ついにはその残骸が辺りに浮遊するだけになった。


 浮遊する破片は近隣の星々に影響を与える。唯一の衛星として存在していた岩石の固まりは、飛来する破片の影響を受けて赤く染まり始め、もともとクレーターが多数存在していた表面は、最早クレーターしかないといって良い状態になる。先ほどの惑星に起きたのと同じように、表面に火柱が立ち始めると、ついに煮えたぎるように泡が起こり、とうとう内側から大爆発を起こして自身の残骸を辺りに撒き散らした。


 周囲にあるほかの星でも同様のプロセスが進行していく。近いものからその表面が赤く染まり、そして最終的に内側から大爆発を起こすと、砕け散った自身の一部を周囲に撒き散らし、その破片はそのさらに隣にある星々を目がけて飛来していく。


 遥か彼方で輝いている一際目立った恒星に異変が訪れる。


 その巨大な恒星もまた、その周囲にあった星々の影響を受け始める。ほかの星と同様のプロセスを経て赤熱化し、泡を吹き、そして……。


 わけの分からない力に押し退けられるように、身体は秩序を感じさせない軌道で宇宙を駆け回っていた。速度はすでに概念ごと消失し、感覚はどこか遠いものになっている。


 周囲に撒き散らされた様々な惑星、衛星、恒星の残骸が、それぞればらばらに、好き勝手に周囲を縦横無尽に駆け巡る。それらは互いに衝突し合い、その度に新たな破片をばら撒きながら、様々な方向へと飛んでいき、次の相手と接触して、また別の方向へと飛んでいく。


 やがて空間そのものがスライムのように湾曲し始め、その力に耐えられなくなって空間の一部に亀裂が生じる。そこから得体の知れない光が差し込んだかと思うと、周囲に存在する物質という物質を焼き払いながら、すべてを自身の内に取り込もうとする。それまで白かった明かりはやがて黒いものへと変化していき、中心部から渦巻いて空間ごとこの世界を消失させようとする。その力は遥か彼方を飛んでいた宇宙船にまで及び、何の関係もない彼らをも巻き込みながら、すべてを終わらせるがごとく、渦はみるみる内に巨大化していき、その中心か

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