第8話 大学生の飲み会なんてこんなもん @2


 マジか、と僕は横を見る。

 すぐそこで三角座りをするのは、僕がつい先程に目をつけた、件の銀髪美少女だった。

 せめて様子が伺えるくらいの距離ならいいな、くらいに思っていた僕にとっては、並外れたなんて表現じゃ収まらない幸運である。


 お礼を言うべきは神様か、それとも己の普段の行いの良さか。何にせよ、このチャンスを無駄にする訳にはいかない。

 せめて連絡先だけでも貰えるよう、全力を尽くしたいところだ。


 横に座る少女は短い髪を掻き上げながら、相変わらず一心にスマホを見つめている。あまり人と話すタイプでは無いのか、僅かながらに「話しかけるなオーラ」を感じさせられた。


『はい、皆さん席に着きましたね!俺は幹事の鈴木です!今日は同じ学科の人間同士、仲良くしましょうということで飲み会を開かせていただきました!』


 ふと気づくと、中心に立って話している男が一人。僕自身は彼と大した面識は無いが、しかしあの先輩はリーダーとして動くことが多いので、何となく名前は知っていた。


 チラリと横を見ると、銀髪の少女――とりあえず銀髪ちゃんと呼称しよう――も顔を上げている。

 流石に幹事の言葉をガン無視するほど、コミュニケーションを拒絶している訳ではないらしい。


『名目上ではありますが、今日の主役は一年生です!上級生の皆さんは、ぜひ積極的に親睦を深めに行きましょう!……あ、ちなみに一年生と二年生に年齢を聞くのはタブーですよ?聞くまでもなく、きっと浪人しているはずですから』

 

 先輩の言葉に、周囲からクスクスという笑いが僅かに聞こえる。

 「きっと浪人しているはず」――それは僕らの大学では、幹事がお約束のように口にする言葉だ。


 僕も苦笑いを浮かべるが、しかし横の銀髪ちゃんは幹事の言葉の意味が理解出来なかったようで、首を傾げていた。

 僕はこれを「会話のチャンスだ」と判断して、さり気なく小声で話しかける。


「(……現役の一年と二年って、20歳未満の人が大半でしょ?そうなるとお酒飲めないからね。暗黙の了解ってことで、年齢は聞かないようにしてるんだ)」


 僕の声を聞いた銀髪ちゃんは、驚いたようにビクリと僕を見た。いきなり話しかければ驚くのも当然だが、しかしそんな大きく身体を震わせられると申し訳なくなる。

 不審がられただろうか?と少し不安になるが、幸いそれは杞憂に済んだ。


「(……なるほど)」


 彼女が口にしたのは、純粋な理解。

 相変わらず氷のように無表情であったが、しかし一言目で嫌われるという事態は避けられたらしい。


 そして幹事の挨拶が区切りを迎え、「それではグラスを持ってください」との指示が聞こえてくる。

 僕は目の前に置かれた、ジントニックの入ったグラスを持ち上げた。


『それでは皆さん!乾杯!』


「「「かんぱーい!!」」」


 掛け声に合わせて、僕は近くに座るメンバーとグラスを合わせる。



☆彡 ☆彡 ☆彡



『『『かんぱーい!!』』』


 少し離れた席で、楽しげな合唱が響いた。

 それは栞が、ほんの数分前に聞いたものと同じセリフである。不意にその声々へと視線を向けると、丁度グラスをぶつけ合う瞬間が視界に映った。


「栞ちゃーん!栞ちゃん?……あれ、栞ちゃんであってたよね?」


 ふと横から名前を呼ばれて、栞は振り向く。

 するとそこには金色の髪を伸ばした、溢れんばかりの笑顔を浮かべる女性が、四つん這いになりながら手を振っていた。


 彼女が栞の名を知っているのは、何も不思議なことではない。今日が初顔合わせとなる栞だけは、飲み会の開始と共に全員に向けて自己紹介を済ませたのだ。

 栞は正座したままに、その女性の方へと身体を回す。


「はい、栞で合っていますよ。覚えていただいて光栄です。貴女は……?」


「紗夏!霧海きりうみ 紗夏さなつ、三年生!よろしくねぇ、栞ちゃん。紗夏って呼んでくれると嬉しいな?」


「こちらこそよろしくお願いします、紗夏さん」


 紗夏の明るい雰囲気に釣られてか、栞も優しげに微笑んでいた。

 栞は二年生として編入してきたので、三年である紗夏は先輩に当たる。つまりは敬うべき相手である。

 だがそれでも、多少の無礼であれば見逃してくれそうだ、なんて栞に感じさせてしまう程度には、紗夏は大らかな雰囲気を放っていた。

 

「……?」


 栞が紗夏の名を覚えようと脳裏で反芻していると、ふと何かがその頭の隅をチラつく。

 何処かでその名を耳にしたような、と記憶の欠片が訴えてきたのだ。


 紗夏、紗夏。確かその名前は、


――『彼女が呼んでるんで、俺はこの辺で帰ります』

――『いやマジでめっちゃ呼んでんの。ほら見ろよ着信履歴ヤバいだろ?ほらこの「」って女の子』


 あぁそうだ、風弥の友人が同じ名を口にしていたのだった。


「どうかしたん、栞ちゃん?」


 栞の驚きを読み取ってか、紗夏は栞の顔を覗き込む。

 わざわざ隠すことでもないだろうと、栞はそれを紗夏に話すことに決めた。


「いえ。今日偶然にも、紗夏さんと同じ名前を聞く機会がありまして。まだ知り合いも少ないので、少し驚いてしまいました」


「私の名前?別に私、有名人じゃないけどなぁ……?他の紗夏ちゃんなんて、私は知らないや。誰が話してたの?」


「確か……藤戸さん、ですね。藤戸真司さん。ご存知ですか?」


「うぇ!?真司が私の名前を!?……っていうか、栞ちゃん真司と知り合い!?」


 紗夏にぐいと顔を近づけられたことで、栞は身体を反らしながら目を見開かせられる。

 飄々とした人だという第一印象から一転、その必死さに頬を引き攣らせた。


「え、えぇ……知り合いです。私の想い人の方のご友人みたいで」


「想い人って、もう好きな人出来たん?いきなりぶっちゃけるね。……まぁいいや、それより真司は私のことをなんて言ってた?」


 何処か緊張したように、紗夏は問う。

 しかし「なんて言っていたか」、なんて説明出来るほど詳しく聞いた訳でもなく、栞はどう伝えるべきかと困り果てた。


 ただ少なくとも、嘘なく事実のみを告げるのであれば、


「紗夏さんを自分の彼女だ、と。間違いなくそう言っていました」


「彼女!?」


 紗夏は目を白黒とさせながら、乙女のように――と表現すると乙女そのものである先輩に失礼だが、ともかく彼女は真っ赤に顔を染めるのだった。

 年上の女性を称するセリフではないけれど、それは恋する少女と称して相違ない。


 同性である栞すらも、そんな紗夏を見て「あ、可愛い」と感じるほどである。


「……。好きなんですか?真司さんのこと」


「い、いや?全然?興味無いけど?」


 嘘だ、と一瞬で分かるが口にはしない。

 きっと乙女心は複雑なのだ。


「私と真司はね、いわゆる許嫁って奴なの。……まぁ親が決めただけなんだけど」


「許嫁、ですか」


「うん。だからいつかは結婚しなきゃならないんだよ、私たちって。……あ、仕方なくね?仕方なく」


「はい。仕方なくですね」


 明らかにノリノリですよ?という返答もどうにか飲み込む。それを伝えるのもタブーなのだろうと、栞は黙って頷くことにした。


「お二人は付き合ってはいないのですか?」


「いやぁ、付き合ってはいないねー。私、ずっと避けられちゃってるから。……いやでも、アイツが本当に私を彼女って呼んだならどうなんだろ」


 紗夏は眉を歪めながら、ふむと悩み始めた。


 そして栞もまた、昼の記憶を思い起こす。

 正直に言えば、あのときの藤戸の発言は咄嗟の嘘だったと感じる。早く帰りたくて、反射的に思いついた言葉を口にしたように見えた。


 しかしそれは、二人が不仲という根拠にはなるまい。というのも、「彼女がいるという嘘」を吐くにしたって、わざわざ嫌いな相手の名前を出す必要はないからだ。

 つまり藤戸にとって、紗夏はある程度親しい人間なのだろう、と栞は結論を出した。


「直接聞いてみてはどうです?『私たち付き合ってるんですか?』って。悩むよりは楽ですよ」

 

「つよつよだねぇ、栞ちゃん。恋愛で困ったことないでしょ?」


「いえ、困ったことしかないですよ。初恋の相手にも今日フラれちゃいましたし」


「え?まだこの大学二日目だよね。結構前から好きだった感じ?」


「今日好きになって、今日告白して、今日フラれました」


「それは流石に強すぎるよ」


 紗夏は口元を抑えながら栞を見る。

 変な子だと思われたかな、と栞は己の軽口を後悔しつつ、げんなりと苦笑いを浮かべていた。


「でも、そうだねぇ。栞ちゃんみたいなのもカッコよくて素敵。試しに『やっと観念したのか?』って真司に電話してみよかな」


「えぇ、頑張ってください――……って、え?今からですか?」


「うん今から。えーと真司のRINEは、と」


「……紗夏さんの行動力も大概ですよ」


「ちゃんと結婚しないと親同士がうるさいからね。頑張らなきゃ!」


「……あ、はい」


 もうそれでいいや、と栞は思う。


 ワンテンポ置いて、プルルルと発信の音が聞こえてきた。

 どうやら紗夏は栞にも聞こえるよう、スピーカーモードに変えてくれたらしい。

 栞にとっては不要な気遣いではあるが、しかし全く興味が無い訳でもないので、有難く聞かせてもらうことにする。


「あ、もしもし真司?」


『……なんだ紗夏。今俺は忙しい』


「そうなの?ところで真司に聞きたいことがあってさー」


『なぁ話聞いてるか?だから俺は忙しい――』


「私のこと、彼女って呼んだらしいけどホント?」


『――ぶほっ』


 一切の流れを無視した紗夏の会話術に、栞は息を飲む。

 ここまで唯我独尊に自分のペースを押し通すのも、そう簡単なことではないだろうに、と。


『何の話だ?俺はお前を彼女と話したことなんて一度もないぞ』


「ホントにぃ?もし嘘だったらどうする?」


『はっ、俺はくだらない嘘なんざ吐かねぇよ。もし嘘だと証明出来たなら、俺は紗夏のどんな命令でも聞いてや――』


「栞ちゃんって知ってる?」


『――ふむなるほど。少し話し合わないか?』


 恐ろしいほどの変わり身の早さである。

 流石は風弥の友人だなと、栞は藤戸を認めつつあった。


 ふと藤戸とは別の声が、スピーカー越しにこちらに届く。


『ねぇねぇ真司くん、誰と電話してるの?もしかして女の子?今は私とお喋りしてるのに、そういうのは良くないよ?』


 男に媚びるような、甘ったるい女の声が聞こえた。マイクが拾う声の大きさから推測するに、その女と藤戸の距離は相当に近い。

 藤戸がスマホを耳に当てていると仮定するのなら、藤戸の肩に撓垂しなだれ掛かりでもしなければ、そうはなるまいと栞は思う。


「……真司?……今の声、誰?」


 凍える風を感じた。

 栞は紗夏の表情を見て、冷や汗を垂らす。

 感情ゼロを無表情と表現するのなら、紗夏のそれは遥かマイナスの極地。氷点下。−273℃である。

 人殺しの眼光とは、きっとこんな感じなのだろう。


 あぁ風弥さんの友人の数が物理的に減ってしまうな、と栞は無意識に理解した。


『……あー、いや。あの、ですね……』


「煩い。余計なことに口を動かすな。私は『誰?』と、そう聞いた」


 怖い怖い怖い怖い。


『うす。飲み会で仲良くなった先輩です』


「……へぇ。で、いまドコにいんの?」


『そ、それは……、いやだってお前、教えたら来るだろっ!?』


「だから何?私がこのスマホを握り潰す前に答えて欲しいな。……次に、何を握り潰しちゃうか分からない」


『ひぃ!?』


 冗談抜きでスマホがピキピキと音を立てていたので、「あれ?もしやこの人も吸血鬼?」と栞は疑いの目を向ける。

 部外者ですら悲鳴を上げたくなるのだから、当事者である藤戸はさもありなん。

 栞は両手を合わせ、ご愁傷様と心の中で呟いた。


『……っ!い、嫌だ!場所だけは絶対に教えねぇ!俺は最高の彼女を作って、お前から解放されるんだ!』


――あ、画面に罅が入りました。ヤバいですね、これホントにヤバいですね。


 栞は背筋に薄ら寒い何かが走るのを感じ、紗夏から目を逸らす。見てるだけで、何か悪いモノに取り憑かれそうな気がした。


 だが目を逸らした先に、栞はとんでもない光景を見る。


「……あれ?あそこにいるのは――」


――藤戸さん?


 そこに座る男は耳にスマホを当て、女性の肩を抱いていた。

 栞が脳裏に描いた通りの姿といえばそうなのだが、むしろ悪化しているようにも思える。


 この気づきが栞にとって幸運なのか、それとも不運なのかは誰にも分からない。紗夏に伝えるべきか否かも微妙なところ。


 風弥の友人だからと見逃してあげるか、或いは紗夏への供物として捧げてしまうか。

 栞は少し迷うが、


「お前……シ ニ タ イ ノ カ?」


――いや、味方に付くなら断然紗夏さんこっちですね。めちゃくちゃ怖いですし。

 

 栞は即座に藤戸を売ることに決める。

 紗夏に好かれる方が、遥かに有益だろうと判断した。


「紗夏さん紗夏さん」


 栞はチョンチョンと紗夏の肩を叩き、藤戸の方へと指を差す。

 紗夏は虚無の表情のままに首を傾げるが、しかし栞が何を言いたいのかに気づくと、ニコリと満面の笑みを栞に向けた。


「ふふっ、ありがとね栞ちゃん。大好きだよ」


「い、いえ。お気になさらず」


 そして亡霊のような足取りで藤戸へと近づいていく紗夏を眺めながら、栞は小さく謝罪の言葉を洩らすのだった。


『ダーリン♪』


『……え?さ、紗夏?お前なんでここに――ちょ待て俺の関節はそっちの向きに曲がるようには作られていなぁぁぁぁぁああああ!!』


 私には何も聞こえませーん、と栞は死んだ瞳で虚空を見る。殺人事件の一端に触れてしまったなぁと、僅かながらの罪悪感を覚えていた。

 

 一人きりになった栞は、ぼんやりと料理に手を伸ばす。

 ジャンクフードにはあまり馴染みのない栞だが、しかし目の前に置かれたポテトフライは、思いの外に彼女の好みに合っていた。


「……結構アリかもしれません」


 身体に悪そう、と思いながらも手を止められない。

 

 そんな中、突如栞の正面に一人分の影が落ちる。

 机を挟んだ向かいから、また別の人物に声を掛けられたのだ。


「ごめんね?さっきの紗夏との会話、少し聞こえちゃってさ。栞ちゃん、失恋したんだって?」


 そこに座っていたのは金に染めた髪にクルクルと癖をつけた、言ってしまえばチャラそうな男である。

 首にはシンプルなネックレスがかけられており、一目見た感想としては、控えめな女の子には特にモテそうだなぁといったところ。


 飲み会慣れした雰囲気から、恐らくはこの男も先輩だと栞は推測した。


「そうですね。失恋……一応そうなりますか」

 

 栞は机を見つめながらそう告げる。普通に返事をしたつもりだったのだが、しかし想像よりも冷たい声が零れてしまったことに栞は驚いた。

 どうやら自身が思っている以上に、昼の出来事は堪えていたらしい。


「見る目ないよねー、その男。栞ちゃんてばめっちゃ可愛いのに。良かったら俺が相談に乗るよ?そんな男のことさっさと忘れて、次の相手を探すのが栞ちゃんのためになると思うしさ」


 白い歯を見せるその男は、机に肘をついて栞に顔を近づける。さも栞を心配しているかのような雰囲気を醸していた。

 傷心中の栞という少女が、外の男たちにとってどう映ったのかは想像に難くない。


 真っ白な肌に艶のある髪。男を知らなそうな清楚な雰囲気に加えて、それに似合う可愛らしい声色。

 まるで理想を詰め込んだ人形が動き出したかのように、その容姿は整っている。


 そんな女の子が、フラれ傷つき、一人ポテトを貪っているのだ。わざわざ放っておく理由はない。


 男は舌なめずりを押し隠し、栞に優しく擦り寄ろうとする。この子は押せば簡単に堕ちる、と黒い妄想を股間に押し固めながら。


「相談ですか?……いえ結構です。まだ私、諦めてないので」


「……え?」


 だからこそ予想と異なる返事に、男は困惑を禁じ得なかった。

 言葉選びを間違えたかと、もう一歩踏み込んでみる。


「でも折角の大学生活、楽しまなきゃ損じゃない?栞ちゃんなら選り取りみどりだと思うよ?何なら俺だって――」


「ふふ、先輩は女の子を褒めるのが上手ですね。私なんかじゃ先輩には釣り合わないですよ」


 その言葉で、この子は無理だと男は悟る。

 口説いた経験が多いからこそ、栞は揺れないとすぐに分かった。


「……。そ、そっか。まぁ気が変わったらいつでもRINEしてよ。学科のグループに入ってるから。光希みつきって名前ね」


「はい、機会があれば是非」


 そして光希と名乗った男は、別の席へと歩いていった。


 大した会話をした訳でもないが、やけに喉が渇いたように感じて、栞は初めに頼んだカシオレをチビりと飲む。

 アルコールが苦手な訳ではないが、あまり酔いたい気分ではなかった。

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