7月7日の涙音

逆めがね

第1話





 この日が来るといつも君を思い出してしまう。

 君は今あっちで何をしているのかな。


 いつもの病院。

 君の好きなバスケの音。

 じっと外を眺める君の横顔。


 こんな俺に大切な思い出をくれてありがとう。

 君に出会うことができてよかった。


 ごめん。


 出会えてよかったなんて、本当は言うべきじゃない。

 君にとっては、俺なんかに出会わなかったほうがよかったに決まっているんだから。



 いつも通り、部活をしていたときだった。

 俺の目の前がいきなり真っ白に染まった。

 脳の中までも染まっていくような気がした。


 俺は、その場に倒れた。


 キュッキュッ、というシューズの音が一瞬にして止まった。

 一緒に試合練習をしていた仲間たちが、大丈夫か、大丈夫か、と集まってくる。


 あぁ……大丈夫……。


 でも、そんなの声になる前に俺は意識を失ってしまった。


 ふと目を開けると、俺は見覚えのないカーテンに囲まれていた。横を見ると、ガラスの向こうに街全体が並んでいた。


 あ、そうか、俺はきっと倒れたんだ。

 で、ここは病院ってことか。

 道理で気持ち悪いくらい白いベットに寝てるわけか。


 ふうとため息をつく。

 物音ひとつしないこの空間は俺に寂しさを感じさせた。


 何だよ。誰でもいいから人の温もりってゆーやつが恋しくなってきた。


 すると、ガラガラと扉が開く音がした。


「ん? 誰?」


 注意深く扉の方を見ていると「お~! なんだよ、じん、元気じゃねぇかよ!」と誰かが入ってきた。


「ほんとだ。あの顔なら、もう大丈夫だ」


 聞き覚えのある声だ。


しゅう。何しに来たんだよ!」


 二人は俺の親友だ。何しに来たんだよとか言っておきながら、本当は心底嬉しい。


「そんなこと言って、本当は嬉しいくせにー!」と輝斗が言って、俺を軽く叩いた。


 やっぱり。心の中はバレバレか。


「ちょ、やめろよ! これでも病人なんだぞ!」

「何が病人なんだよ、ただ疲れてるだけだろ? ほら、疲れて倒れるやつ。……ほら、ほらあれだよ」


 輝斗が柊真を見ながら思いだけない単語を頑張って脳みそから引っ張り出そうとしていた。


「過労な」

 ぶっきらぼうに柊真が言った。


「さすが! 頭がいいやつは違う」と輝斗が言うと「お前が馬鹿なだけでしょ」と柊真が言った。こんな他愛のない会話がただただ心地良い。


 輝斗は校内トップレベルのイケメンである。陽キャで、誰とでもすぐに仲良くなれて、それに、かなり女子から人気がある。だがしかし、バカだ。バカな俺でも分かるくらいバカだ。


 それに比べて柊真は学年一位の脳みそを持つ男だ。バスケも部活のメンバーの中で一番上手い。塩顔で、これもまた女子から人気がある。だがしかし、とうの本人は女子など心底どうでもいいらしい。んなわけねぇーだろって話だよ! この歳になって異性をどーでもいいって思うやつは狂ってる、と俺は思ってる。


で、そんな二人と一緒にいる俺は? というとだ。


 イケメンじゃない。勉強もできない。バスケも上手いわけでもない。だから、少しでも上手くなろうと思って毎日努力を重ねていた結果、過労でぶっ倒れる。


 そう。これが俺だ。


 なんだこの不釣り合い。

 神って不平等だな。


「おい、仁。何ぼーっとしてんの?」と柊真が俺の顔を覗き込んできた。


「神って不平等だなって思って」

「はぁ? コイツ、倒れたら頭おかしくなったか?」と輝斗がポカーンっという顔で俺を見つめている。


「だってさー、輝斗は馬鹿だけど、顔が良くてー。柊真は頭良くて、バスケが上手い、顔も良い。俺は? 平均。ふつう。ど真ん中。あははははは」


「こりゃ、狂ったな」


 輝斗がそう言うと、柊真がコクンコクンと頷いた。


「ああぁぁぁ! もう大会にも出られなしさ! 5日も入院かよ!」

「まぁな。でも、お前の分まで頑張ってくるからさ、ぐっすり寝てろ、な?」

 輝斗がニヒッと笑った。


 3日後に大事な大会があるからって必死に練習し過ぎたことを今頃になって酷く後悔した。


 見舞いに来てくれた二人が帰った後、お母さんが来た。


「仁、こんなにあるまでバスケ頑張ってたの? ほどほどにしなさいって言ってたでしょ?」


「ほどほどにやってたけど倒れたんだよ」

「うーん。そう。でももっと気を付けなさいよ」


 いかにも何かたくさん入ってそうな袋から林檎やペットボトルやらを出しながら言う母。


「うん」

「入院、5日間だけど、夜とか一人で大丈夫よね?」

「はあ? 大丈夫に決まってるだろ。小学生じゃないんだがらさ」

「そうね、高校生だものね」


  何もなかったテーブルも、今には生活感漂うものになっている。何もすることがなくなったのか、お母さんは外を眺めている。


「そろそろ、お母さんも帰りなよ」と俺は言った。


 片親で、仕事も掛け持ちして、ただでさえ忙しい母さんに迷惑をかけたくない。そんな気持ちが大きかった。


「もう少しいてあげようと思ったんだけど、大丈夫?」

「大丈夫だから。さっさと帰れよ」


 すると、そう……じゃ帰るわね、と言ってお母さんは病室を出て行った。


 仁は、散歩がてら病院内を散歩していた。

 病院に入院するのは今回が初めてだ。


 何か、今まで想像していた“入院”とは違って、実際は意外と気楽だ。

 いや、俺はただの過労だからそう思うだけかもしれない。うん。たぶんそうだ。


 同じ病院にいても、俺とは違って病気に一生懸命向き合っている人が大勢いる。

 通りすがりに見える他の病室に目を向けながら、俺はそんなことを考えていた。


 眠っているおじさん、おばさん。小さい子供たち……。

 この一瞬、一瞬、見える人たちに俺が知らないそれぞれの人生がここにある。

 それって、なんか素晴らしいことだな。

 今まではこんなこと、考えたことも無かったのにな。

 高校生になったからかな。

 年とったからかな。

 年々感情的になってきてる気がする。

 じゃあ、孫とかできたら、俺、どうなっちまうんだ。


 601……602……603……604……ん?


 俺は604号室で立ち止まって、病室の中にいる女子を見た。

 その子はベットに横になりながら外をじーっと見ている。

 外を見ている人なんてさっきまで何人もいたが、この子だけはなんか違うような気がした。なにが違うんだろうか。


 ん?

 目が違う。

 目に光が灯っていないような、そんな感じ。

 そんなに悪い病気なのかな。


 その子に「お大事に」と、心の中で言いながら、自分の病室に戻った。


 自分の病室に戻ったというものの、何してればいいか分からない。

 ただ、沈みそうな太陽をじっと見つめていた。

 太陽は燃えて、燃えて、燃えまくっている。


「やっほ、仁!」と急に声が聞こえた。


 驚いて扉の方を向くと、そこには俺と同じクラスの小恋美ここみが立っていた。


「おー、何だよ、小恋美まで」

「小恋美、? 誰か他に来たの?」

「うん。輝斗と柊真が」

「あ~あの二人ね。ホームルーム終わった途端走って帰っていったと思ったら、病院に向かってたのね。仲良すぎでしょ、あんたたち」


「別に」と俺は太陽に焼かれている住宅地を見た。


「はい、これ。わざわざ買ってきてあげたんだからね」

 そう言って、小恋美はテーブルにフルーツが詰まっている籠を置いた。


「ありがとう」

「それにしても、この病室誰も居ないね。仁の独り占めじゃん」

「これから入ってくるんじゃない?」

「……私、毎日お見舞いに来るね!」

「は、毎日? たったの5日間だよ?」

「5日なの? ふぅ~ん……でもよくない? 来るよ、毎日」

「へぇ、毎日来る分の時間、彼氏と一緒にいるとかの時間にした方が良いんじゃないの?」

「私、彼氏いないんだけど」


 え? 

 え?

 え……? 

 あ、しまった。別の人と勘違いをしていた。


「あ、ああ……そうだったのか。んじゃ、好きな人との時間に使ったら?」

「そんなこと言われても、私は来ますよぉーだ」

「あっそ。じゃあ、ご勝手に」


 小恋美が帰った頃にはもう外は暗くなっていた。

 もう寝ようとベットに横になったものの、意外にもベットが硬くて眠れない。

 ベットの弾力はあるとも、ないとも言えない微妙な感覚に違和感を覚えた。


「あ~あ、音楽でも聞くか」


 音量を下げてスマホから音楽を流しながら眠りに落ちた。

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