伝えたい -2

 優しい私のお母さん。

 綺麗で、あったかくて、体が弱いのに一生懸命育ててくれたお母さん。

 お母さんはとてもいい匂いがして『ライエおばさまが贈ってくれた匂い袋よ』って、それをいつもお洋服の中に忍ばせていた。その匂い袋も随分と香りが薄れて、私はそれでもお母さんの傍にいたいから、形見にもらって首から下げていた。

 お母さんの亡くなった後のことを、大人たちは手際よく進めていく。『マシューが漁に出ていなければ、男手がもう一人分あったのに。もう近海まで戻ってるはずだけど』と言いながら、アデイルおばさまは人一倍忙しく働いてくれたようだ。

 私は冷たくなったお母さんの眠るお布団にもぐりこんで過ごす。棺に納められてからは、そのお布団を傍らに敷いて隣に眠った。

 

 お母さんをお墓に埋めて、いよいよ本当に最後のお別れになった日。

 その日は風向きのせいか、島の中はずいぶんと潮の香りが濃かった。お母さんの匂いを忘れてしまいそうで、嫌だった。

 嫌な吹き方をする風に押されるようにして、一隻の船が島に辿り着く。

 今までで一番地味な衣服を着て、肩から黒い帯を掛けた人が、船から降りてきて。

 私はその人に走って飛びつく。

 お父さんに抱きしめられて、私は大声で泣いた。


 お母さんとのお別れを済ませた後、お父さんはずっと私といてくれた。いつも怒ったような顔でお父さんにくっついてる人たちも、この時は二人だけにしておいてくれたようだ。

 ただ私をお布団に入れた後に、お父さんたちはずいぶんと難しいお話を長い間続けていたみたいで、それだけは不安でたまらなかった。

 お父さんは、またすぐにヴェルレステ本島に帰ってしまうんだろうか。

 お父さんが帰らずに済む方法は、あるのかな。

 

 次の日の朝も、嫌な感じの風は続いていた。

 起きたらお父さんの姿が見えなくて、慌てて船着き場へ走る。船はまだ停泊していて、どうやらただ単に行き違いか何かでお父さんを見つけられなかっただけのようだ。

 ひとまず胸を撫で下ろして息を整えていたら、オリバーも船着き場に顔を出した。『お父さんがもうすぐ、漁から帰ってくるんだ』と嬉しそうな顔をするから、私の心が意地悪な顔を覗かせる。

 ――お魚が全然取れなくて、漁が長引くかもしれないよ。

 なんでこんな、酷いことを考えるのだろう。楽しそうなオリバーを見ていると、私はどんどん悪い子になるみたいだ。

 ――天気が悪くなって、帰ってこられないかも。

 もし本当にそんなことになったら、お父さんの船も出ては行けなくなるな。


『嵐になって、船が出なければいいのに』

 思った瞬間、口にしていた。

 オリバーは目をぱちぱちさせて、それから何も気に留めていないような軽い口ぶりで『エイミーの意地悪』って、言っただけだった。

 けれど嵐は、本当にやって来てしまった。

 お父さんはレイラ島を出ることができなくなった。突然の暴風雨に怯える私をお父さんは優しく宥めてくれたけど、嬉しさよりも恐ろしさの方がずっと上回る。

 もしも、本当に。


 嵐の一夜が過ぎ、大人たちは建物や船の被害確認、舞い散った草木の片づけや畑の手入れに追われていた。忙しくするアデイルおばさまに、オリバーが『お父さん、大丈夫だよね』と聞きながらついて回っているのを見ると、胸が痛む。

 けれどその翌朝にペルラ島の漁師番屋から、マシューおじさまの乗っていた船が沈んだとの報せが届いた。

 自然の恐ろしさには人間は敵わないね、と誰かが言ったけれど。

『お父さんが嵐で死んでしまったのは、エイミーが言ったせいだよ』

 泣きながらオリバーが放った言葉は、私を刃物のように鋭く刺した。

 オリバー以外みんなが『エイミーのせいじゃないよ』って言ってくれたけれど。


  私が余計なことを言ったせいで。

 私はオリバーが羨ましくて、それで意地悪なことを考えて。嵐が来ればみんなが困ってしまうことなんてわかっているのに、悪いことを思いついて。

 口にした言葉一つで、人間にいったい何が起こせるのだろう。

 だけど私は魔女だから。

 私の言葉は、きっと呪いだった。

 

 お父さんが、ヴェルレステ本島に帰ることになった。

 ――行かないで。

 言葉にして、もしまた何か不幸を呼び込んだら?

 去って行く背中に、何一つ言葉も掛けられない。

 オリバーは私と遊んでくれなくなった。せめて謝らなくちゃと思っても、その頃にはもう声が出なくなっていた。

 私がしゃべると、呪うから。

 アデイルおばさまは優しいままだった。だけど私がおばさまに甘えると、オリバーが怒って引きはがしにくる。

 おばさまも私には見せないようにしてたけど、今までよりも思い切りオリバーを甘えさせて、たくさん抱きしめているようだった。

 オリバーもお父さんが死んでしまったのだもの、悲しいし甘えたいに決まってる。


 だけど私だって、お母さんは死んでしまった。お父さんにだって、会えるかわからない。

 アデイルおばさまがオリバーをぎゅっと抱きしめる。

 お父さんも私の妹だという子どもを、私じゃない子どもをああやって抱きしめているんだろうな。

 そう考えると、苦しくて悔しくて、真っ黒な気持ちになった。

 お父さんは遠くで、私の知らない子をめいっぱい愛しているんだ。

 もしかしたら、私よりも。

 その子はきっと私から、お父さんを奪ってしまうんだ。

 今は優しいアデイルおばさまも、きっとマシューおじさまを死なせた私を嫌いになって、離れて行ってしまうんだ。オリバーが一番かわいいから、私を置いていなくなってしまうんだ。


 真っ黒いものが、私を塗りつぶしていった。

 真っ黒いものは虫みたいに這いずり回って、誰かの大切な人に纏わりついて悪さをする。

 これは紛れもなく呪いだ。

 私の中の悪いものが、愛する者を引き裂く呪い。

 こんなことをしていたら、私はきっと本当に嫌われて、恨まれて憎まれて、最後には捨てられてしまうのだろう。

 そうなる前に、私は一人、身に抱えた罪と共に眠ってしまおう。

 真っ黒い鎖が私を縛り上げる、冷たい感触がした。

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