人が人を想うということ -4

 柔らかな風が頬を撫でて、エルダは目を覚ました。

 細く開いた窓から、朝の光と風が差し込んでくる。

 ずいぶんと穏やかに眠った夜だった。迎えた朝も、今までにないくらいに満ち足りた気分だ。

 眠気にぼやける頭がだんだんとはっきりしてきて、現実に焦点を合わせる。真っ先に思い出したのは、呪いを取り戻すためにレイラ島にやって来たこと。そしてその目的は、いまだ達成されていないこと。問題は何も解決していないことを、毎朝寝起き一番の頭で思い出す。

 いつもは同時に、絶望を眼前に突きつけられるのだけど。

 今朝、目の前にきらめくのは一日の希望に溢れた陽の光。毎朝、朝日なんて眺めているのに、なぜだろう。

 一日で太陽が姿を変えるわけがないから、変わったとするなら。


(私の気持ち)

 劇的なことは何一つ起きていない。呪いを解く方法だって、わかったわけじゃない。

 ただ、胸に沸き上がる熱いものがあった。エルダは寝台から飛び降りて、勢い任せに着替える。短剣は身につけなかった。呪いを解くためには、これを抜いて非情な決断をしなければいけないと思った。それが勇気だと。だけどそんなものは強さでも何でもなくて。

(今、この胸に浮かび上がるものこそ私の勇気だ)

 この気持ちをくれた人たちがいた。


 玄関を飛び出すと、威勢のいい声と何かがぶつかり合う軽快な音か聞こえた。

「おはようございます、エルダ王女」

 レナードが木剣を構えていた。

 彼も触れ合うことなどなくとも、ずっとずっとそばで守ってくれていた人だ。

「おはよう、エルダ」

 レナードと対峙して、剣の稽古をしていたのはオリバーだ。

 自分と同じように、呪われた男の子。

 フランチェスカのように、眠れぬ夜にずっとそばにいてくれたわけでもない。レナードほど、剣の腕が立つわけでもない。エルダの事どころじゃない、彼自身、運命に翻弄されながら自分のことだけで精いっぱいだろう。

「昨日はよく眠れた?」

「うん。今朝はなんだかすごく晴れやかな気分なの」

 オリバーには随分と泣きごとを聞かせてしまった。だから今朝は、にっこりと笑って答える。

「剣術の稽古をしてたんだね」

「うん。俺、もっと強くなりたいから。技術だけの話じゃなくて、心もだけど」

 彼はまだ戦うつもりなのだ。エルダ一人が戦っているわけではない。

「オリバーは強いよ」

 エルダは心から思う。どんなに打ちのめされても、最後には自分と一緒に立ち上がってくれた。

「エルダ。俺、まだまだ全然弱いけど。強くなれるように努力するし、絶対に呪いを解いてみせるから」

 一瞬だけ目を逸らして、けれどすぐにオリバーは顔を上げた。


「呪いが解けたら、抱きしめても良い?」

 何を言われたかはすぐに理解が出来なくて、エルダは呆けた。多分レナードも、言った本人ですら自覚がなかったのか、僅かの間沈黙が流れて。

「……っと待ったあああああ!」

 オリバー自身が叫んで、エルダの耳にも周囲の音が戻る。言われたことを理解すると、顔まで血が上ってきた。

「なんか違う、言いたいことがなんか間違った!えーと、呪いを絶対解こうねって話で、解けたら、やりたいことやろうねっていう」

「やりたいことねえ、大胆な」

 慌てふためくオリバーに、笑いをかみ殺したようなレナードの突っ込みが入る。

「いやいやちょっと待って。ほら、触れ合った方が伝わることってあると思うんだよってなんかいやらしい言い方だなこれ言いたいことわかるかな!」

 息継ぎもせず早口でまくし立てるオリバーが、倒れやしないかと心配になる。エルダはなるべく落ち着いて答えた。


「えーと、ずっと人と触れ合えなかった私のことを想って、言ってくれてるんだよね」

「そうです!」

「ありがとう。それはきっとすごく嬉しいけど、でも抱きしめるだけが愛情じゃないのかなって、みんなのおかげで気づくことができたし」

 触れ合えなくても、想ってくれる人がいた。向き合ってくれた人がいた。そのことに気づいた今日は、なんて希望に満ち溢れた朝だろう。

「……うん、そうだね。きっと」

 オリバーが眩しそうに目を細めた。彼もそのことに気づかせてくれた、尊い一人だ。

「……俺、これじゃただ女の子に抱き着きたいって言った色惚け野郎じゃない?」

 頭を抱えるオリバーの肩を、レナードが叩く。

「抱きしめるんでも、見守るだけでも、遠いところから幸せを祈るのでも。そこに想いがあれば同じだ」

「相手に伝わるとも、限らないのかもしれない。形のないものだもの。心とか、愛情とか」

 それでも大切にしたいし、諦めたくない。


「おはようございます、みなさん」

 家の裏の方から、フランチェスカにアデイル、トーラスと三人勢ぞろいでやって来た。フランチェスカがエルダに、アデイルがオリバーに注ぐ眼差しも、優しく子どもたちを見守っている。呪いを見つめ続けたトーラスの目も、いつだって自分たちを労わる色だった。

「朝稽古をしていたのね、お疲れ様」

 フランチェスカがレナードの傍らに並びながら、ねぎらいの言葉をかけた。

「私も鍛え直そうかしら。ねえ、レナード」

 名を呼ぶ声は最後まで聞こえたかどうか。レナードは突然、フランチェスカを抱きしめた。レナードの腕の中のフランチェスカは目を白黒させている。

「え、ちょ、なに一体どうしたのこの人」

 フランチェスカは困惑を声に滲ませた。

「いや、ちょっと若者の純粋な気にあてられて」

「意味が解らないんだけど。え、本当に何なの」

「大体、怪我も治りきってないのに無茶なこと言うフランが悪い。俺がどれだけ心配したかわかってんのか」

「成る程、これも愛だね」

「あの。一人で納得してないで下さい、エルダ王女」

 戸惑うフランチェスカを、レナードはなおも離さない。

「……仕方のない人」

 浅くため息をついて、フランチェスカは小さくレナードを抱き返す。


「二人にしてあげましょうか。あなたたちには、ちょっと早いと思いますし」

 冷静に言って、アデイルは子どもたちを促した。

「なんか見てるこっちが恥ずかしいもんね」

「そう?そもそもオリバーが言ったのって、こういうことじゃないの」

「えっ、ちょっと待ってそれは」

「……王女に何を言ったのかしら、オリバー」

 冷静に、だけどどこか硬い声のアデイルに反して、トーラスがのんびりと言う。

「こんなに気分のいい朝は、ずいぶん久しぶりですねえ」

 呪いに縛られたレイラ島の夜は明け、明るい陽の光が大地を照らした。

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