魔女たちの過去 -4

「だからなんでそんなことになってんの意味わかんないんだよ!」

 イリスが胸を掴むライエの腕を払いのけた。その勢いで、ライエが片手に抱えていた食器の包みが落ちて、割れる。

「私だって、どうして良いかなんてわからないの」

 イリスは顔を覆う。漏れ聞こえる嗚咽とこぼれる涙に、ライエは頭に血が上るのを押さえられなかった。

「泣くな馬鹿、自分のことでしょうが!あんたはいっつもそう、何も考えもしないで、頭お花畑のままでも生きていけると思ってる!」

「お願いだから落ち着いてよ」

 間に入ろうとするアデイルを押しのけて、ライエは感情のまま言い募った。

「相手は誰。この島に、ろくに男もいないでしょうが」

「だめ、言えない」

「何よそれ。相手を庇うの、言えない相手なの?まさか妻帯者とか言わないでしょうね」

「まだ、結婚はこれからみたいだけど」

 イリスはぐすぐすと鼻を鳴らす。酷く疎ましくて、ライエは髪をかき回した。

「まだ、ね。どっちにしろ相手がいるのにってことか。知っててやったんならあんたも馬鹿だし、婚約者だか恋人だかがいるのに別の女つまみ食いした男もクソ野郎だ」


 まったくもってよくある話ではあるけれど、まさか自分の身内がやらかすとは思っていなかった。呆れと怒りにぐちゃぐちゃになりながら、それでもこの愚かな姉を、お腹の子どもをどうするべきかと思案に暮れる。

「なんにせよ、相手は誰だか吐いてもらうからね。子どもまで作っといて逃げられると思ったら大間違いだ。責任取らせて、ついでにぶら下がってるもんちょん切ってやる」

 凄まじくはしたないことを吐き捨てたライエに、イリスは泣きながら訴える。

「だめよ、そんなことしたらライエが罰を受けてしまうわ」

「あのねえ、私の心配してる場合じゃないでしょうが。大体、罰を受けるのは不貞行為を働いた……」

 そこまで言って、はたと気付く。

「……なに、相手は偉いやつなの」

 もしライエが相手の男に報復行為を働いたとしたら、罰を受ける。確かにヴェルレステでは仇討の類は禁止されているから、それはその通りなのだが、それ以上に、ここまで庇おうとするからには。


「王太子様」

 震える声で、イリスの口から発せられた相手。

「お腹の子の父親は、ヴェルレステ王太子様なの」

 あまりの衝撃に、時が止まったかのようだった。時が経つことも、頭が理解をすることも、世界のあらゆることが進むことを拒絶するように。

「待ってよ、なんでよ。イリスは島から出たことなんてないでしょう。なんでそれで、王太子が出てくるの」

「いらしてたのよ、レイラ島に」

 言葉を継げなくなったイリスの後を引き継いで、アデイルが語った。

「ヴェルレステで、疫病が流行したでしょう。その時に、レイラ島に避難していらしたのよ。少人数で、隠密だったから知られていないけれど」

 眩暈がした。

「信っじられない」

 ライエは拳を握りしめる。

「国民が布団の中で苦しんでた時に、自分は布団の中で女とよろしくやってたのかよあの馬鹿王太子は!」


 姉が火遊びのようなことをやらかしたことも、子どもができたことも。

 尊き立場の人間が、たまたま小さな島に滞在したことも。未熟な若い男が、お痛をしでかしたことも。

 一つ一つの出来事は、この世の中いくらだって起こりえることだけれども。

 それでもライエや大切な人達に、重く暗い影を落とす大事になってしまうだなんて。

「ライエ、言葉が過ぎるわ」

「言葉なんか選んでられるか」

 窘めるアデイル相手に凄む。ただ泣くイリスの姿に、最悪の事態が頭をよぎった。

「まさか、無理矢理じゃないでしょうね」

 相手が相手だけに、拒みようがないだろう。臓腑が冷えるのを感じながら問うと、イリスは首を振った。瞬間、またライエの腹は熱くなる。

「同意するな馬鹿!」

「だって、とても優しい方だったのよ。それに美しい人だった。本当なら、私なんかじゃ身分不相応なのはわかっていたわ。だけど、好きになってしまったのだから仕方ないじゃない」

 この期に及んで、甘ったるい恋愛小説のようなことを言っているイリスが信じられなかった。

「あの方は、お立場から幼いうちからご婚約者がいるような方だったけれど。けれど、それは王家を守るための結婚でしかないと言うから」

 そしてもし同じように、恋に恋する乙女のようなことを王太子が抜かしていたというのなら。一国の主として立つ者として、あまりに度し難い愚か者だ。


「ああ、くそ。どいつもこいつも馬鹿ばっかりだ」

「ごめんなさい。島にいながら、そんなことになってるなんて全然気づかなかったの」

「アデイルのせいじゃないよ。こういういけないお遊びっていうのは、うまくいっちゃう時はいっちゃうんだろ、悪いことにね。忌々しいったらありゃしない」

 やんごとない立場の人間を制御しきれなかった従者も大概だし、密で狭い島の中の出来事を見逃したアデイルやトーラスも迂闊なのかもしれないけれど。どんな注意も監視の目もすり抜けて、結ばれてしまう関係があるのだろう。だから取り返しのつかないことが起きる。

「ライエ、私どうすればいいの」

 泣きはらした目で見上げてくる姉を、心の底から情けないと思う。

「だから、自分のことでしょうが……」

 ライエは長く、深い息を吐いた。

「あのね、泣いたって現実は変わらないの。相手がどうあれ、イリスは自分の出来ることを精一杯やるしかないんだよ」

 情けないとは思う。自分の始末は自分でつけろとも思う。だけど追い込んで、ただ一人でどうにかしろと突き放すような真似をしたって、誰も何も救われない。

「まあ、見捨てはしないよ」

 アデイルに背を叩かれる。誰かが支えてくれる心強さは、ライエだってよく知っていた。


 ライエが王宮に召喚されたのは、ひと悶着からふた月後のことだった。それはイリスがようやく事態を受け入れ、お腹の子ともども生きる覚悟を決めた頃のこと。

 疫病が流行した時に多くの者を救った魔女に会ってみたい、と王太子が望んだということだった。

 イリスが自分の妹も魔女であることや、ヴェルレステ本島によく出入りしていることを王太子に話したことがあるかは知らない。わからないがともかくもライエは、イリスのお腹の子どもの父親に謁見する機会を得たのである。

 相手はあまりにも大きかった。兵や従者が居並ぶ謁見の間で、相手はその並んだ人々の先、一段高いところに。隣には輿入れしたばかりの王太子妃が微笑んでいる。

 そのような状況でイリスのことを問い詰めようなど、そんなことが叶わないことはライエにだってわかるのだった。


 だから王太子との密談の場を設けられた時には、疫病の件は表向きの理由であることをすぐに理解した。

 通された部屋が、公の賓客室のような開けた場所なのか、王の書斎や寝室のような閉じた場所なのかはわからない。馬鹿馬鹿しいほどに大きな城は部屋数も多く、室内の様子だけでは判断できなかった。ただその場にいたのは、王太子と従者――それもどんな立場の者かは知れないが――の二人だけだった。


 ライエがイリスの妹であることを知った王太子は語った。

 それはイリスに対する想いの丈で、まるで歌劇の主人公のような愛の言葉だった。

 笑ってしまった。

 あんまりに、呆れてしまったので。

「女一人孕ませておいて、それも知らずに呑気に愛を語るだなんて、さすがに高貴なお方は図太くていらっしゃいますこと!」

 言うなり、ライエは王太子の顔面を殴りつけた。平手じゃ足りなくて、拳を固めてぶん殴る。

 従者は顎が外れそうなほど大口を開けた。それから愕然とする王子の背を支えながら、ライエを睨みつけた。

「不敬罪で投獄か、絞首台送りにでもするかい。それとも魔女が呪おうとしたとでもでっちあげるのかね。イリスともども、妄想にでも憑りつかれた哀れな小娘として医者送りにする?」

 血の気を無くした王太子に吐き捨てる。

「上等だよ、クソ野郎」

 愚かな振る舞いだろう。この短慮が身を亡ぼすのかもしれない。けれど我慢がならなかった。

「殴った責任を取れというなら、取ってやったっていいよ。けどね」

 ライエよりも背の高い王太子、それでもライエは見下ろされているつもりなんてなかった。心の方では。


「責任なら、あんただって背負っているだろう」

「……あなたの姉上には、ずいぶんと無責任な真似をしたと、思っています」

 成人はしているはずなのに、まるで少年のような声だった。これがこのヴェルレステ国の王位継承者。

「それだけを言ってるんじゃないよ」

イリスやお腹の子どもだけではない。

「あんたは国に、民に。このヴェルレステ国の全てに責任を負っているだろう。いつまでも甘ったれたお坊ちゃんのままでいて、許されるわけがないでしょう」

 今更、そのことに気づいたような顔をする王太子に、暗澹たる気持ちになる。それでもこの未熟な若者は、この国を統べる王となるのだから。

「しっかりしなよ」

 まるで出来の悪い兄弟を叱るようだった。

 そんなのはイリス相手だけで十分だと、ライエは大きく息を吐く。

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