魔女たちの過去 -3

 アデイルの言葉をお守りのようにして、ライエはしょっちゅうヴェルレステ本島や周辺の島々を訪ねて回っていた。

 距離も海も厳しいものではなかったし、足を運んだほとんどが同じヴェルレステ領ではあったが、それでも気安い訪問ではない。よそ者の出入りに寛容な港街でも、魔女が時々現れては街中を歩き回るのは色々と陰口も叩かれた。奇異の目で見られ、嫌悪も露な視線を送られることもある。それでも心折れずに色々な地を巡ることができたのは、アデイルの『いつでも帰ってこればいい』という言葉があったからだ。

 何があっても受け入れてもらえる温かな場所があるというのは、どこまでも心強かった。


 時々レイラ島へ帰ると、アデイルに会いに来ているマシューと顔を合わせる機会も増えた。

 ライエの目つきと態度は、まるで品定めをするようだったのだろう。

「小姑じゃないんだから」

 とトーラスに苦笑いをされてしまった。

「だって、つまんない男にアデイルをくれてやるわけにはいかないじゃないか」

「アデイルの選んだ人です」

 悟ったような、物分かりの良いことを言うトーラスに、ライエはそっぽを向く。

「ま、アデイルのことだから心配していないけど。イリスじゃあるまいし」

 相変わらず、島に引きこもってぼんやりと生きている姉に毒を吐く。

「人と比べるものじゃないですよ。島を出るも残るも、魔法を生かすも眠らせておくかも自由です」


 イリスは魔法を行使することはほとんどなかった。学ぶことにも積極的ではない。『魔法がなくても困らないから』というのがイリスの言い分だ。確かにライエも滅多なことでは魔法を使わない。

 けれどライエ達姉妹は、『はじまりの魔女』の末だと言われている。実際に系譜をたどれるかと言われればあまりにも太古の事なので難しいが、それだけ古い魔法使いに繋がる血脈であることは間違いない。その身に強大な魔力を秘めていることには変わりがないので、万が一魔力を暴発させるだとか、魔力に身を支配されるだとかの大事が起きた時のためにも、制御する方法くらいは学んでほしかった。

「トーラス、甘くない?」

「押し付けるような考えを好まないだけです。ライエが魔法を役立てようと頑張っていることはわかっていますし、あなたは素晴らしいと思いますよ」

 そしてライエは、人の領分では少し手に余る困難を解決することもあるだろうと考えて、幼いころからトーラスに師事して魔法を磨いてきた。

 顔は背けたまま、ライエは唇を突き出した。

「やっぱり甘いよ」


 さすがアデイルが選んだ男だ、とマシューのことをライエが認める頃、二人は結婚した。アデイルが言っていた通りマシューは長く漁に出ることも多く、通い夫のような状態ではあったけれど、漁師の多いヴェルレステではさほど珍しくもない。もし二人の間に子どもができたとして、レイラ島の者たちは一人で夫の帰りを待つアデイルを放っておかないだろう。

 ライエは相変わらず島を出たり入ったりの生活で、ライエがアデイルたちの結婚を知ったのも、ヴェルレステ本島に届いた手紙でのことだ。離れた場所にいたライエではあったが、アデイルが大変な時はレイラ島に帰って留まろうと思っていた。


 しかしヴェルレステの、レイラ島の運命は大きく変わることとなる。

 二人の結婚祝いに、ライエが一度レイラ島に戻ろうとしていた頃。

 ヴェルレステに疫病が蔓延したのである。

 特に人口の多いヴェルレステ本島で、次いで本島に近い地域から疫病は猛威を振るった。

 人の移動が病を広げる、ということはわかっていた。だからライエはレイラ島へは戻らなかったし、何よりもヴェルレステ本島の人々を救うために奔走した。レイラ島にはトーラスがいるから、万が一病が流入しても彼が押さえ込んでくれるだろう。

 医者も魔女も、医術も魔法も、救える力は全て使え。嫌うのも蔑むのも好きにすればいい。命の前に、己の心が傷つく暇などないだろう。

 次第にライエは街の人々の信頼を得て行った。混乱の中では、それは治療や説得がしやすくなる以外の効能はなかった。それだけ必死だった。  

 病の流行が落ち着いてきて初めて、ライエは自身のしてきたことの意味を振り返ることができたのだった。


「ありがとう、ライエさん」

「フランチェスカ。だいぶ元気になったみたいだね。レナードも」

「ああ、もう大丈夫」

 命の前に大人も子どもないけれど、それでも幼い者たちを助けられたのは純粋に嬉しい。十ばかりの少年が真っ先に助けを求めに来たことが、ライエがそのほか大勢の人間を救う切っ掛けになった。

「ライエさんは、もうレイラ島へ帰ってしまうの?」

 フランチェスカが不安げな顔で問う。

「そうねえ、帰ろうかな」

「あの、ここも良いところよ」

 おずおずという小さな女の子に、ライエは笑う。

「ずいぶん帰ってないからね。友人がね、結婚したってのにお祝いもできていないから、戻らないと」

「お友達と会ったあとは?」

「またこっちに来るよ」

 その言葉に、フランチェスカとレナードはそろって破顔した。

「じゃあ一緒にお祭りに行きましょうね!あのね、王太子様がご成婚されたから、今年の建国記念祭は一層盛り上げるんですって」

「ああそう、それはめでたいことじゃない。王位を継ぐ日も近いかもねえ」

 口では言ってみたが、正直なところ王室の慶事などライエにはどうでもいいことだった。王都から離れていてもレイラ島は平穏だったし、民草の幸せは高貴な人たちとは別のところにあるのだろうから。


 美しい絵付けの食器を大事に抱え、ライエはレイラ島へと船を漕いだ。アデイルとマシューの結婚祝いに奮発したものだ。

 修道院薬局に併設する店で、手編みの飾り襟がついた産着を見かけた。修道女たちが奉仕活動の一環で小物類を編んで売っていることは聞いたことがあったが、衣服にあしらうほど立派な品を編んでいるとは知らなかった。

 結婚祝いをとばして赤ん坊の衣服に目を奪われたことに、我ながら気が早いと笑ってしまう。だから趣味のいい雑貨屋で食器を選んだのだけれど、もしもお祝いが続いたら、産着を贈り物の候補にしても良いだろう。

「嫌だね、孫を楽しみにしてるばあさんみたい」

 未来のことは誰にもわからないし、夫婦の幸せは二人で決めることだ。自分の周りにいる人が、それぞれの幸せを掴めればそれでいい。

 アデイルは新たな人生を踏み出した。ライエも、どんどんレイラ島の外に居場所ができている。


(イリスは、相変わらずだろうけど)

 姉を思い出す。しばらく顔を合わせていないけれど、あの人は何も変わっていないのだろう。

(だけどまあ、人生は本人のものだから)

 自分とは相いれないかもしれないけれど、それでも少しずつ受け入れることが出来たら。

少しだけイリスと離れることによって、気持ちに余裕ができた気がする。疫病によって、命の価値が揺さぶられる経験をしたせいもあるだろう。

「お土産の一つくらいはね」

 薬局で買った匂い袋からは、潮の香りよりもなお強く甘い芳香が漂った。


 最初、笑って出迎えてくれたアデイルの顔は、すぐに陰ってしまった。

 レイラ島の船着き場について、久々の島の風景を眺めながらのんびり歩いていたら、ライエ達の家に向かうアデイルと合流した。

 イリスのことを気にかけて度々訪ねてくれたんだろうなと有難く思いながら再会を喜びあったのに、アデイルの顔色は晴れない。

「どうしたの、何かあった?」

 言いながら、今は漁の季節だからマシューと一緒にいられないのかもしれない、と思い至った。これはやはり、しばらくはレイラ島に滞在すべきかと考えたところで。

「あのね、ライエ。落ち着いて聞いてね」

「え、何よ」

 重い口ぶりに、不穏なものを感じとる。

「イリスが」

 続く言葉に、ライエはアデイルが呼びかけるのも無視して猛然と走った。お土産以外の荷物を振り落として、胸に抱えた皿の包みと匂い袋はむしろきつく抱きしめて。

 蹴破る勢いで玄関を押し開き、二階へと駆け上がっていく。

「イリス!」

 怒鳴るように名を呼ぶと、寝台の上の人影が跳ねた。真昼間から青い顔をして布団の上にいる姉の胸倉を掴む。

「やめてライエ!」

 追いついたアデイルが叫んだ。

「イリスのお腹には子どもがいるの!」

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