第17話


         ※


 幸い、処置が早かったお陰で、フィンのヘルメットはすぐに修繕された。空気の流出を防ぐための、専用のテープを貼り付けたのだ。


《ミヤマ博士は、既にオンラインです》


 というトニーの声に促され、僕たちはエアーノズルを全開にしてスペースプレーンに向かった。

 

 僕たちの搭乗予定だったスペースプレーンは、既に発進準備態勢を整え、長大なレールの端で待機していた。フレディさんが素早く取り付き、僕たちを一人ずつ引っ張り上げていく。

 ちなみに、トニーが最初からコクピットに搭乗できたのは、彼の身体が頑丈で気圧差の影響を受けなかったからだ。


 このスペースプレーンは五、六人用で、一週間ほどの宇宙航行を想定している。

 僕たち全員がエアロックに入ると、やはり窮屈になった。また三時間のぎゅう詰め状態を耐えなければならない。

 幸いなのは、この状態でも博士と通信が取れるということだ。


 一番奥に乗り込んでいた僕のそばで、かしゃり、と音がした。天井を見上げると、エアロックに隙間ができて、通信機器一式が出てきた。


「こちらトニー、聞こえますか?」

「ああ、大丈夫だよ」


 するすると下りてきたマイクに吹き込むと、小型のスピーカーから声がした。


《おお! 元気そうだな、アルくん》

「あ、博士……」


『元気そうだな』なんて、そんな言い草はないだろう。酷い戦闘を経た直後だというのに。

 しかし、博士はお構いなしだ。


《皆、大丈夫か? 負傷者は?》

「無事です。今のところは」

《了解だ。トニー、今の状況を皆に説明してやってくれ》

「かしこまりました」


 トニーは淡々と、現在の状況を語り出した。あまり芳しくない状況を。


「このスペースプレーンですが、地球までの航行に関して、大問題が発覚しました。燃料が足りません」


 僕たちの間に、どよめきが走った。

 フレディさんだけが、落ち着いた様子でヘルメットの上から顎に手を遣っている。


「トニー、それはワームホールを使っても地球周回コースに入れない、という意味か?」

「左様です」


 それを聞いたフレディさんは、口早に言った。


「どこかの衛星基地に寄って、燃料補給する必要があるな。ワームホールは、この星の近傍から地球へのチャンネルがあるから、こことワームホールの間にある基地で世話になろう」

「で、でも!」


 僕は危惧を述べた。一応、このエアロックには空気が入りつつあるので、音声を伝えるのは問題ない。


「僕たちはこの機体を乗っ取ったんですよ? 立ち寄ったら、すぐに捕縛されてしまうんんじゃ……」

《そいつはノープロブレムだな、アルくん》


 博士は自信満々で応じた。


《先ほどから、君たちのいる宙域とアクセスできるようになった。そのために三時間かかったわけだが、今は通信可能だ。加えて、ワームホールを通じて電波妨害を仕掛けている。今回の交信可能時間は五時間だ。それまでの間に、衛星基地に寄って燃料を奪取したまえ。私が援護する》

「取り敢えず、あんたに従うしかないようだな」

《ご不満かね、フレディ警備主任?》

「いや、少し考え事があってな」

「か、考え事、って何ですか……?」


 ようやく口を利けるようになったのか、レーナが不安げに問うた。

 不安だからこそ、今の内に知らねばならないと思っているのだろう。

 フレディさんはじっとレーナを見つめた。しかし、『何でもない、心配するな』とごくごく適当にあしらうに留めた。


 僕はと言えば、やや気が滅入りかけていた。

 ワームホールを経て、ようやく地球に到達できると思っていたのに、まさか燃料不足とは。


「大丈夫か、アル?」


 そう言って肩を叩いてくれたのはフィンだった。『大丈夫だ』と答えようとして、しかし、僕の言葉はうやむやになった。

 そうだ。フィンだって負傷した身なのだから、それこそ大丈夫だろうか?

 

 そう思うと同時に、食糧生産プラントでの一場面が頭をよぎった。

 被弾したフィンの左腕は、確かに光輝いて見えた。まるで金属のような、人工的な光沢。


「どうしたんだよ?」

「何でもないよ、フィン」


 そう答えたはいいものの、『フィンは何者なのか』という疑問は、僕の胸中にわだかまっていた。まるで、夜中に月光を妨げる暗雲のように。


「いずれにせよ」


 フレディさんがこちらに振り向いた。


「さっさと発進してもらおう。また警備員の連中が来る前に」


 僕たちは各々の角度と回数で頷いてみせた。


         ※


「エンジン点火準備完了。しばしの間、Gがかかります。ご注意ください」


 そう言い終えると同時に、トニーはカウントダウンを開始した。その十秒間はあっという間に過ぎ去り、ぐっと背中側に身体を押し付けられるようにして――フレディさんが支えてくれた――、スペースプレーンは離陸した。


「地上での攻撃的な動きは見受けられません。惑星重力圏からの離脱を確認。これより慣性航行に移ります」


 エンジンが急速にその勢いを減じていく。次第に僕の身体も自由を取り戻した。


「すみませんフレディさん、助かりました」

「……」

「フレディさん?」


 僕が顔を覗き込むと、フレディさんは俯き、しかめっ面をして何事か思案していた。


「トニー、最寄の衛星基地で、ミヤマ博士の言う電波妨害範囲に含まれるているのはどこだ?」


 するとトニーは、数字とアルファベットからなる五、六桁の名前を告げた。


「了解。そこに緊急着陸して、燃料を拝借しよう。姿勢制御に使う分の燃料はまだあるな?」

「はい。問題ありません」

「よし。皆、またしばらくGに振り回されるかもしれんが、我慢してくれ」


 それを聞いて、僕は軽く床を蹴り、フィンと場所を代わってもらった。レーナのそばにいるべきだと思ったのだ。

 声をかける前に、僕はレーナのヘルメットについた血をぐいっと拭ってやった。


「レーナ、だいじょ――」

「いつまで……」

「えっ?」

「いつまでこんなこと続けるの……?」


 僕はぎこちない笑みを作り、『何のことだい?』とすっとぼけてみせた。

 するとレーナは、ぱっと僕の手首を握りしめた。ヘルメットの中で顔を上げる。

 そして、叫んだ。


「人を殺したり傷つけたりすることよ!」


 非力なレーナにしては、異常だった。宇宙服の上から握られている手首が痺れそうになっている。


「私たち、こんなことをするために生まれてきたんじゃないよ……」


 途端に力が弱まり、レーナはさめざめと涙の粒を浮かべ始めた。

 僕は自分の無力さを思い知った。今は、彼女の涙を拭ってやることすらできない。


 こつん、と音を立てて、僕は自分のヘルメットをレーナのものとぶつけた。


「よく聞いてくれ、レーナ。確かに、僕たちは人を殺しているかもしれない。でも、ポールや他の皆が殺されてしまったのは、君だって見ただろう? 僕たちは、生身の脳を使った実験のモルモットにされたんだ」

「……」

「今僕たちが戦わなければ、他の星の少年少女が同じ目に遭わされるんだよ、きっと。君はその事実から目を逸らしていられるのか? このまま僕たちが戦いを止めてしまったら――」

「そう言うあんたの本音はどこにあんのさ、アル?」


 僕はびくり、と背骨を震わせた。

 フィンの言葉だ。僕には、彼女が何を言おうとしているのかすぐに察せられた。


「アル、あんたは自分が地球に行きたいから戦ってるだけじゃないの?」

「なっ! フィン、何を言いだすんだ?」

「図星だね」


 フィンは腕を組み、じとっとした目で僕を睨みつけている。確かに、フィンの言う通り『かもしれない』ということは、認めざるを得ない。

 僕にとっては、レーナと同じくらい、地球は大切な心の拠り所だ。どちらか片方でも、取り落とすことはできない。


 それでも、フィンは語り続けた。


「あんた妙だよ、アル。あたしが知る限り、あんたは自動小銃をぶっ放せるほどの度胸はなかったはずだ。明確な殺傷行為だからね、銃撃は」


『そんなこと、普段のあんたには絶対できない』――そう言って、フィンは目を逸らし、壁に背中を押し当てた。


 僕にどうしろって言うんだ? 

 自問自答が、僕の心と身体をがんじがらめにしていく。自分の命を捨ててまで、また、レーナを裏切ってまで、地球に行くべきなのだろうか?


 いや、それはない。僕は、否、僕たちは、地球に降り立つんだ。自分たちの身に何が起こり、少年・少女たちがどんな危険に晒されてるのか、それを大々的に公表してやる。


「よし、これから着陸態勢に入るぞ。皆、何かに掴まって身体を支えろ」


 フレディさんの声が耳朶を打つ。僕は壁面の把手を握りしめ、レーナの横顔を見つめた。

 そしてゆらゆらと揺られながら、着陸に備えた。

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