第10話

「い、一酸化炭素……」


 僕は小さく呟いた。本当にトニーの言う通りなら、確かに、そして本人たちも気づかないうちに、意識を失ってそのまま命を落としたに違いない。


 パン、と言う鋭い音がして、僕は廊下に顔を出した。

 警備員たちの中に生存者がいたのだろう、トニーは奪ったと思しき拳銃で、床に向かって発砲した。チリン、と軽い音がして、薬莢の落ちたことを告げる。


 再び沈黙する廊下。

 こんなに遺体が横たわっているのに、僕の心は驚くほど平静を保っていた。きっとどうということもないのだろう。トニーに、暴力的に殺害された警備員の肉塊に比べれば。


 僕は周囲を見回すように、廊下の反対側に目を遣った。その時だった。


「ん?」


 遺体が動いている。いや、生存者がいるというべきか。

 表現はどうあれ、僕はそこに危険を見出した。よく見てみると、その警備員は自分の胸部から何かを取り外すところだった。あれは――。


「手榴弾だ!」


 マズい。銃弾なら簡単に弾いてみせるトニーだが、爆発物に対する防護力がどれほどあるか分からない。ここでトニーが損傷したり、最悪破壊されてしまったりしたら、僕たちの戦力は大きく減退する。


 トニーは僕の発した『手榴弾』という言葉に即座に反応。しかし、振り返るまでのタイムラグがある。


 僕が。そう、僕があれを止めなければならない。

 そう覚悟した次の瞬間、僕の視界は真っ赤に染まった。何事かと思ったが、それどころではない。自分の視界が切り替わったことなど、殺されるのに比べれば些末な問題だ。


 僕はフィンとレーナを思いっきり後方に突き飛ばした。軽い悲鳴がしたが、それは無視。

 その二人を突き飛ばした反動で、僕は廊下に飛び出した。


 軽く跳躍し、方向を調整。距離は目測で五メートル先。一旦壁を蹴り、着地した僕は、そばに横たわっている遺体から拳銃を抜いた。

 セーフティを解除し、両手で構える。そして、手榴弾のピンを外そうと葛藤する腕に向かって、綺麗に三連射を見舞った。


 相手は悲鳴も上げなかった。肘から先が吹っ飛んだだけだ。

 僕がほっ、と息をつこうとした、次の瞬間。何の拍子にか、手榴弾のピンが吹っ飛んだ。起爆するまで、あと四秒といったところか。


 事ここに至っても、僕の視界は真っ赤で、脳みそは冷静だった。

 どうやったら、手榴弾の威力を減衰させられるか? 答えは単純だ。何かを覆いかぶせてやればいい。


 まるで周囲の時間経過が、ゆっくりになったような錯覚に陥る。その間に僕は、近くの遺体の脇腹に足を差し入れ、思いっきり蹴り飛ばした。

 それからもう一つの遺体の襟首を引っ張り上げ、自分の身体をそれで隠す。


 言ってみれば、遺体を肉の壁として利用したのだ。それがより凄惨な光景を生むにも関わらず。


 爆破の瞬間、音がくぐもった。耳がキィン、といって聞こえづらくなる。幸い、爆風は遺体に阻まれ、僕は無傷。

 ただし、黒煙で視界は防がれた。


「アル様! アル様! ご無事ですか!」

「あ、ああ、トニー……」


 振り返ろうとすると、既にトニーは僕より前に歩み出て、黒煙をすり抜けて状況を確認しに行った。いつの間にか、僕の視界はフルカラーに戻っている。


 いつの間に顔を出したのか、フィンが後ろから声をかけてきた。


「アル、ねえアル! 今のは……?」

「い、今の?」

「うん。凄い勢いで飛び出して行って、それからすぐに爆発が……」


 その時、僕はようやく悟った。自分はどうやら、無意識のうちに、フィンでさえ驚くような挙動を取っていたらしい。


「ぼ、僕は――」

「皆様、この廊下に殺到した警備員全員の絶命を確認致しました。しばらく脅威になり得るものはありません。ミヤマ博士からの次の指示があるまで、安全なところに閉じこもるのが得策かと」


 僕の言い訳は、トニーの言葉で遮られた。フィンもトニーの話に乗った様子だ。


「安全なところって、例えば?」


 するとトニーは、だらりと両腕を下げて、二つの目玉を点滅させた。何事か考えているのだろう。その逡巡に、大した時間はかからなかった。


「ここから最寄の籠城場所は、食糧生産プラントですね」

「なるほど……。そこの管制システムを乗っ取れば、食糧を人質にして立て籠もれる、ってわけか」

「左様です、アル様」

「そこまでの道筋は?」


 フィンが適宜口を挟む。


「この廊下を左に折れて、次のブロックまで前進します。そこで右折し、約三百メートル。問題は、その次の隔壁までの間にあります」

「それは?」

「警備員の詰所です。今は外部から非常ロックをかけておきましたが、破られるのは時間の問題です。迅速に移動しなければ、この基地の全警備員の相手をしなくてはなりません」


 もし無事に、詰所の前の扉を通過できればそれでよし。

 だが、それに失敗して大勢の警備員を相手にする羽目になれば、非常に危険な状態に陥るだろう。


 僕たちの味方にトニーがいることは、既に露見している。相手も強力な火器を準備しているとみて間違いない。


「急ぐしかないね」


 フィンの言葉に頷く僕、そしてトニー。


「じゃあ、行こうか。先陣はトニーに頼めるか?」

「無論です、アル様。では早速――」


 と、その時だった。思わぬところで叫び声が上がった。


「皆、もう止めて!」


 はっとして、僕とフィンは振り返った。トニーの視線を『彼女』に注がれている。

 肩で息をし、俯いている彼女――レーナに向かい、僕は一歩、近づいた。


「止めてって、どういう意味だい、レーナ?」


 そう問うと、レーナは俯いたまま声を張り上げた。


「どうして皆は、そんなに簡単に人を殺せるの⁉」


 これには流石に、僕も怯んだ。驚きと恐怖がないまぜになった、不吉な感覚が胸を刺す。

 何故人を殺せるのか? 殺さなければこちらが相手にやられるからだ。

 だが、その相手と自分を比べた時、どちらの方が価値ある存在だと言えるだろうか?

 もしかしたら、自分よりも相手が生き残った方が、何か――環境であれ、社会であれ、人類であれ――に貢献できるのではないか?


 レーナの目元から、雫がぽたぽたと床に落ちる。それに構わず、レーナは喚いた。


「おかしい……。皆おかしいよ! 私たちにお父さんやお母さんんがいるように、この警備員さんたちにも家族はいるでしょう? 恋人かもしれないし、奧さんかもしれないし、子供さんかもしれない。それなのに……どうしてこんなに、彼らの命を……」


 どうやら、レーナが悩んでいたポイントは、僕とはだいぶ違ったらしい。

 僕は『貢献の度合い』という物差しで、他人の命を奪うことを考えていた。

 しかしレーナは、良かれ悪かれより身近で、倫理的な観点から、殺人という行為を見ていいたようだ。


 小さい頃に、多くの人が抱くであろう疑問。何故、人を殺してはいけないのか。

 そんな誰にも答えようのない問いが、こんな状況で自分に叩きつけられるとは思わなかった。


「レーナ様、作戦に支障が出ます。即座に感情的な発言を止めて、一緒にいらしてください」


 淡々と述べるトニーに対し、レーナはキッと目を上げた。


「嫌よ!」


 その語気の強さに、黙考していたフィンも驚いた様子。何事かを言いかけて、しかし目を逸らす。

 こんな感情論に振り回されず、淡々としていられる存在は、今のところトニーだけだ。


「ト、トニー……」


 僕は呻くように、トニーの名を呼んだ。するとトニーは、微かに首を傾げてみせた。まるで、何某かの許可を求めているようだ。

 

「僕にはできない。頼むよ」

「かしこまりました」


 この遣り取りが終わるや否や、トニーは転がるようにしてレーナに近づいた。


「なっ、何⁉」

「レーナ様、何卒ご容赦ください」


 素早く立ち上がったトニーは、すっと腕を伸ばし、レーナの額に狙いを合わせた。

 それとレーナが転倒するのは、ほぼ同時。その身体を受け止めながら、フィンが声を荒げた。


「レ、レーナ! ちょっとトニー、あんた何やってんの!」

「俗にいうデコピン、ですが」

「そういう意味じゃない! どうしてレーナに暴力を……」

「生き残るためです」

「えっ?」

「ここでレーナ様のご主張を伺っていては、時間の浪費があまりにも多すぎます。かといって、レーナ様を残していくわけにもいきません。よって、やむを得ず気を失っていただきました」

「やむを得ず、って……。あんたのその顔の一体どこに、『やむを得ず』なんて気配があんのよ!」

「元々わたくしには、表情筋はありません。ポール様がそう設計なさったからです」

「ッ!」


 ポールの名を出されて、フィンは次の言葉を完全に封じられてしまった。

 トニーはいわば、ポールの遺してくれた数少ない味方だ。そんなトニーに反論することは、ポールの意志、あるいは遺志に反することになりかねない。


「……分かった。あたしとアルで弾倉を拾い集めるから、トニーは警備して。武器がないと、籠城できないから」


 フィンが顔を背けると、トニーはひざまずいて『承知しました』とだけ述べた。

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