アメリカ独立戦争の国際問題化

 1778年、北アメリカのでの13植民地の反乱は、国際的な戦争に変わっていった。フランスはサラトガの戦いで大陸軍が勝利したことを知ると1778年2月6日にアメリカ合衆国と同盟条約を結んだのだ。

 1779年6月には、ブルボン家盟約を更新し、スペインがフランスの同盟国として参戦している。しかし、スペインはフランスとは異なり、当初はアメリカ合衆国の承認を拒んでいた。スペインにとっては、植民地帝国の中で同じような反乱を助長するのではないか危惧していたからだ。

 そして、オランダも1780年に参戦した。3国共にイギリスの力を削ぐことを期待しており、戦争の初めからアメリカを密かに財政的に援助していたのである。


 更にラファイエットやコシューシコ、プワスキら欧州の義勇軍が参加している。シュトイベン男爵は、俺がスカウトしてしまったのでいない。そのため、大陸軍は史実より厳しい状態に置かれているだろう。


 イギリスでは、国王ジョージ3世が更に多くの軍隊を送ることで、アメリカを従わせるという希望を諦め始めていた。何故なら、イギリスはヨーロッパでの戦争に捉われていたからである。

 ジョージ3世は「ペンシルベニアを保持しておこうなどと考えるのは冗談だった」と言ったそうだ。彼にとって、ニューイングランドを回復する望みも無くなっていた。

 しかし、ジョージ3世は「アメリカの独立は決して認めない。永久に続くように見える戦争を無制限に引き伸ばして、命令に従わない者を罰してやろう」と決心していたのである。

 ジョージ3世の計画は、ニューヨーク、ロードアイランド、カナダ及びフロリダにおいて30000名の防衛軍を維持し、他の部隊で西インド諸島にいるフランスとスペインを叩くことだった。そして、アメリカを罰するため、アメリカの海上貿易を破壊し、港を砲撃し、海岸に近い町を襲って燃やしてしまうことだったのである。更にアメリカの先住民を送って、辺境の開拓地にいる市民を襲わせる。

 これらの活動で、アメリカの王党派を刺激し、大陸会議をバラバラにすることで、「反逆者へ嫌がらせをし、気を揉ませ、貧しいままにしておけば、自然にかつ当然の帰結として不満と失望が後悔と自責の念に変わた暁には」国王の権威の下に戻ることを願うようになるとジョージ3世は考えたのだ。

 この計画は、王党派や忠実なアメリカの先住民族の破壊や金のかかる戦争を無制限に引き伸ばすことを意味しており、またフランスやスペインが艦隊を集めてイギリス諸島を侵略しロンドンを占領する危険もあった。そのため、イギリスはヨーロッパの連合軍を処理した後、反抗している植民地を再度従わせる計画にしたのであった。


 イギリス、アメリカ、フランス、スペイン、オランダの動きに対して、我がプロイセンがどう言う行動に出るのか。と言うより、大伯父フリードリヒ大王は密かに動いている。

 ロシアからも使者が来ているし、史実通りなら、プロイセンにとって損になる様なことにはならないだろうな。

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