第二十四話 丈成ことお兄ちゃん視点

「ありがとうございました」


往診に来てくれたお医者様に頭を下げて見送り、明藍に視線を移す。穏やかな寝息を立てながら眠る明藍の頬を撫でる。血色が戻りつつあるまろくて白い肌を撫でながら知らず知らずのうちに安堵の息が漏れる。


大事なくて、目が覚めて本当によかった。あのまま目が覚めなかったらと思うと――いや止めよう。すべては杞憂に終わったのだから。

一瞬でも過った想像が胸にもたらした壮絶な痛みや苦しみを逃がすために頭を横に振り、明藍に視線を戻す。


小さくて幼い妹。まだまだ俺達に守られているだけでいいのに彼女はそうしなかった。話せるようになり、少しずつ自分でできることが増えてきた明藍は今の自分にできる最大限の努力をして物事に取り組んでいた。まだまだ先でも良かったことでも、自分でできると判断したことは何でもやってしまっていた。そんな明藍のひたむきに努力を続ける姿勢を最初は好ましく思っていた俺だったけど、ふとした拍子に違和感を覚えたことで好感よりも心配の気持ちが上回ってしまった。ふとした拍子――それは口癖だった。

明藍は――しなくちゃいけないと言うようになった。これがしたい、あれがしたいではなく、“しなくちゃいけない”。したいことをしているように見えるが、実は根底にあるのは義務のようにこれをして当然なのだという感情。知識や経験を積めていることは嬉しそうだったが、明藍の行動にはどこか焦燥感が滲み出ていて俺は心配でしょうがなかった。でも頑張っている明藍を否定することはできなかった。何に追われているのかはわからないが、頑張っているということはそれだけの何かがあるということ。その想いを否定したくなくて、でも心配だった俺は頑張っている明藍をたくさん褒めながら、もう頑張らなくていいよと何度も言外に伝えた。


『だいじょうぶだよ、おにいちゃん。わたしがやろうとしていることはいまのわたしにできることだから。できないことはおにいちゃんたちのまえでしかやらないから』


だけど頑張り続ける明藍に俺の気持ちは一向に伝わらず、明藍は努力を止めなかった。心配しながらも見守っていた矢先に今回の事が起きた。ひたすら無事を祈りながら看病し、やっと明藍が目覚めた。目を覚ました明藍の無事を喜び、話をしていくと彼女の内にあった焦燥感がなくなっていることに気づいた。これには内心驚き――同時にとても安堵した。そして。


「おにいちゃん。いつも、ありがとう。わたしね、はやくできることがふえていろいろなことがしたくていつもがんばっていたの。がんばりつづけて、つかれたわけじゃない。ただ、いましていることいがいにもやりたいことができたら、そっちもしてもいいかな?」


「できないことがあって、どうしたらいいかわからなくなっちゃったら、おにいちゃんにそうだんしてもいい?」


――しなくちゃいけないじゃなく、――したいと言った。初めて、明藍が我儘を口にした。その時に俺は明藍の意識が変わったことを確信した。驚きとでもそれ以上に明藍が初めて我儘を言ってくれたことが、頼ってくれたことが嬉しくて、もらった気持ちの温かさで胸がいっぱいになった。でも感動に浸っていたせいで行動が遅れ、明藍を傷つけかけたことは本当に反省している。あんな顔はもう二度と見たくない。絶対に。

すぐに我に返った俺は明藍に自分の想いをこれでもか!っていうくらいの想いを込めて伝えた。真っ赤になった明藍も、笑顔の明藍も全部可愛くて愛おしかった。

自分のために一歩を踏み出そうとしている明藍の姿に俺は改めて決意をした。


「明藍。俺の愛しい妹。君を守るために俺はもっともっと強くなる。そのための道を俺は選ぶよ」


護身用に腰に差している剣に一度視線を落として目を閉じた。聴こえてきた扉をノックする音に目を開けて扉へ向かう。扉を開けるとそこには父上と母上が立っていらした。


「父上、母上。お帰りなさい。出迎えできず、申し訳ありません」


「謝らなくていい。むしろ、お前には本当に感謝している。よく、頑張ってくれた」


「ええ、本当に。丈成、ありがとう」


「兄が妹を守るのは当然のことです」


父上達を部屋の中に招き入れ、謝罪と共に頭を下げようとしたけどそれは父上が上げた手で止められた。そのまま父上は労わるように俺の頭を撫で、母上には抱きしめられた。父上達の想いを噛みしめるように一瞬だけ目を閉じ、俺は小さく笑みを浮かべた。俺の顔を見て何故か父上が一瞬だけ目を大きく見開き、今度は何かを考えるように目を伏せられた。


「父上?」


「いや、何でもない」


父上の変化に問いかけるも、父上は気にするなというように笑顔を浮かべられたのでそれ以上追及はしなかった。俺を抱きしめていた腕を解き、父上を見上げた母上にも微笑み返した。そしてお二人はそのまま明藍のもとへ近づいていった。


「明藍…」


先程まで俺が座っていた椅子に母上が腰かけ、父上が母上の傍に立つ。倒れた瞬間から明藍の看病を続けていた俺にとってはずっと良くなった顔色だが、父上と母上はそうもいかない。普段よりずっと悪い顔色の明藍が呼吸を繰り返している様子に安心しながらもやはり堪えきれない気持ちがあるのだろう。

母上ははらはらと涙を零しながら明藍の頬を、父上は左手で母上の背中を摩りながら右手では明藍の頭を撫でていた。優しく、確かめるように明藍に触れるお二人の姿を見ながら、強く思った。この景色をいつまでも守りたい、と。

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