迷いの森

 追っ手を撒くには、国境を越えるのが無難だ。

 国内に留まってもいずれ見つかるのは目に見えている。


 関所まで続く街道を歩きながら、ユルグは大陸の地図を睨んでいた。


 ユルグが今いるここは、ルトナーク王国。大陸の最西端だ。


 東へ進路を取ると、お隣はデンベルク共和国。

 追跡を逃れるならここに向かうのがベストだと判断した。


 問題はどうやって国境を越えるか。

 関所を通るには通行手形が必要だ。

 勇者としていろんな場所を旅していた頃は国を問わず使える特別手形を持っていたが、今はそれもない。

 持っていたとしてもそんなものを使って隣国へ逃れたと知れれば、すぐに居場所がバレてしまう。人目に付く行動は避けるべきだ。


 ここは関所を通らず国境沿いを抜けるべきだ。


 言わずもがな、後者はそれなりのリスクを伴うルートである。


 両国の国境沿いには険しい山脈がそびえており、そこを超えることは不可能だ。

 関所は山脈の地下にある洞窟を繋げて通り抜け出来るようにしている。


 山脈を迂回して国境は超えられるが、それには麓に広がる深林――通称、迷いの森を抜けなければならない。


 何の捻りも無いその名称の通り、一度足を踏み入れると抜け出すには苦労する。

 森の中を大きく迂回しなければならないのが一つの理由でもあるが、それに加えて凶暴な魔物の生息地でもある。

 旅人が一人で迷いの森へ挑むというのは自殺行為に等しいのだ。


 悲しいかな、この五年間、勇者として旅をしていたユルグの実力は相当のものだ。そんじょそこらの魔物に手を焼くことはない。

 一人でも、多少は苦労するが抜けられるだろう。


 目的地が決まったユルグは、地図をしまうと街道から逸れて獣道を行く。


 頭上に輝く太陽の位置から、日没までにはまだ時間はある。

 順調に進めば夕刻前には森の入り口に辿り着けるはずだ。


 惜しむらく、今の装備で迷いの森を抜けるにはかなり心許ないが、街へ戻るわけにはいかない。

 デンベルク共和国に入るには数日を要するだろう。

 気を抜かず進んでいこう。




 予定通り、夕刻前に森の入り口に辿り着けた。


 入り口と言っても、獣道も同然の整備されていない道なき道を辿ることになる。

 国境ゆえに粗雑な木版が壁のように立ちはだかっているが、所々腐っていて往来を黙認している始末だ。

 その方が、ユルグにとっても有り難い。


 木版が取り払われた箇所から侵入すると、死角になっていた向こう側に馬車が止まっていた。


 行商にしては、不自然に見える。

 護衛だろうか――馬車を取り囲んでいる大男たちもガラの悪そうな連中ばかり。

 なにより、正規の行商人の馬車ならば関所を通って国境を越える方が安全だ。

 わざわざこんな危険な森を行く理由がない。


 ――関わらない方が良いな。


 そう判断したユルグは、さっさと通り抜けようと歩調を早めた。

 けれど、そんな思い虚しく声を掛けられてしまう。


「兄ちゃん、一人で峠越えする気か?」

「そのつもりだ」

「ってことは、相当腕が立つんだろ。だったら一緒に行かないか?」


 男の提案は珍しいものではなかった。


 ユルグとしては関わり合いになるのは褒められたことではない。

 それに加えて、この一団は怪しすぎる。


「……行商には見えないけれど、あんたらは何なんだ?」

「俺らは奴隷商人よ」

「……奴隷、ねえ」


 男の答えに抱いていた疑問が消失する。

 関所を通らない――通れない理由がこれだ。


 ルトナーク王国では奴隷制が禁止されている。

 けれど、他国ではそれに限らない。


 国内で人を攫って、国外ヘ売り飛ばす。

 随分、ゲスな商売をするものだ。


「警戒しなくても、兄ちゃんを売りモンにはしねえよ。男はあまり買い手がつかねえんだ」


 下卑た笑いを浮かべながら、男は言う。

 こういった手合いに関わるのは得策では無い。


 しかし、この迷いの森を抜けるには数日はかかるだろう。

 いくらユルグが旅慣れているとしても、不眠不休での敢行は無理だ。


 ともすれば、急がば回れ。

 彼らと行動を共にする事で、一人で森を抜けるよりは早く国境越えを果たせるだろう。


「わかった。護衛ということで良いか?」

「ああ、謝礼金は……向こうに着いたら金の目処が立つからそれまで待ってくれ」

「後払いってことか」

「納得いかなかったら、この中から一匹やるよ」


 馬車の荷台を指して男はにやりと笑う。


 荷台の垂布たれぬのの隙間から、視線がユルグを捉えていた。

 それにわざと気づかないふりをする。報酬の件も却下だ。


「冗談じゃない」

「そう煙たがることもないだろ。何回かヤってみたが結構良かった――」

「いらないって言ってるんだ。聞こえなかったのか?」


 言葉に怒気を込めると、男は一歩後退った。


「わ、わかったよ。んじゃあ、報酬は後払いってことで良いんだな」


 確認に頷くと、すごすごと男は下がっていった。


 今までの旅の中で、こういった連中に絡まれることは少なくはなかった。

 慣れてはいるが、やはり不愉快でしか無い。


「これは……先が思いやられるな」


 溜息交じりに呟くと、ユルグは迷いの森ヘと足を踏み入れるのだった。




===




迷いの森は、鬱蒼とした草木に遮られまだ陽が落ちていない時分でも薄暗かった。


 道も整備されたものはなく、隊列から外れてしまえば遭難は容易い。

 加えて、至る所から感じる獣の気配に、ユルグは一層気を引き締めた。



 けれど、度々彼を凝視する視線に集中が途切れる。


 隊の後方。荷台の後ろを着いているが、隙間から誰かがユルグを見つめているのだ。

 おそらく奴隷商の商品だろうが、ユルグには彼女らを助けようなどという心は一切無い。


 関係も無いし助けたところでこの森の中では足手まといだ。

 一人で国境を越えるつもりだったが、流石のユルグでも誰かを護りながら進むのは容易ではない。

 そうするくらいなら、囮にしてさっさと走り抜けるだろう。


 あの奴隷商をクズだと評したが、こんな考えをするユルグも同類だ。


「俺に何か用でもあるのか?」

「――っ」


 微かに光る藍色の瞳の持ち主は、話しかけられるとは思っていなかったのだろう。

 ユルグの問いかけに驚いて、息を呑んだ。

 それから無言で首を振る気配が伝わってくる。


「気が散るから見つめないでくれ」

「わ、かった」


 やけにか細い声に、どんな扱いを受けているのか想像に難くない。

 可哀想だとは思うがユルグには関係が無い。

 この森を抜けさえすればどうなろうがあずかり知らぬ事だ。

 無闇に足を踏み込んで、情でも移ったら面倒極まりない。



 それから黙々と進んでいると、やがて夜の帳が降りてきた。


 奴隷商の一声で今夜は野営をする事となった。

 ユルグはそれに渋い顔をする。


 今から夜は深くなる。ここで足を止めるのは得策ではないのだが、奴隷商の男は考えを改める気はないようだ。

 余計な荒波は立てたくない。口を噤んでユルグは退散する。


 ユルグの見立てではこの奴隷商の一行は旅慣れていないように感じる。

 火を焚いて、飯を食って、休息する。そこまでは良い。

 問題は魔物による奇襲を想定していないことだ。


 魔物と言って侮るなかれ。奴らは頭が良い。

 こんな無防備な集団など、すぐに歯牙に掛けられてしまう。


 気休め程度にしかならないが、鳴子なるこを作って周囲に張り巡らせる。

 そのついでに、辺りに魔物の痕跡がないか注意深く探った。


 この辺りに潜む魔物がどんなものか、ユルグは知らない。

 あらかじめ何かしらの手がかりを掴んでおけば対処はしやすい。


「……これは」


 ユルグが見つけたものは、木の幹に付けられた爪痕だ。

 野生の動物のものにも見える。けれど、そうじゃないことをユルグは瞬時に判断した。

 地面に足跡の痕跡が一切無いのだ。


 それを発見した時点で、鳴子など無意味だ。



 報告の為、奴隷商の元へ向かうと、彼は商品の奴隷とお楽しみ中だった。

 荷台の垂布たれぬのを開けて、目に飛び込んでくる光景に思わず溜息が出る。


 奴隷商はユルグに邪魔をされて、不機嫌そうに舌打ちをした。


「またアンタか。今度はなんだ?」

「ここ一帯はシャドウハウンドの縄張りだ。すぐに離れた方が良い」

「それがなんだって言うんだ。それを退けるのが護衛の役目だろう」

「それは承知しているが、群れで襲われたらこの人数だと護りきれない」

「だったらこいつを囮でくれてやれば良い。どうせ買い手も付かないだろうし、棄てるにはうってつけだ」


 隅で蹲っている白髪の少女を蹴り上げて、男は笑った。


 他の奴隷よりもみすぼらしい身なりをしている。穴だらけのボロボロの衣服は薄汚れていて、風呂にも入れて貰ってないのか。臭いがきつい。


 ユルグの視線に気づいた少女は顔を上げた。

 藍色の瞳がじっとこちらを見つめてくる。


 それに気づかないふりをして、奴隷商から追いやられたユルグは不満を飲み込んで荷台を後にした。



 焚き火の傍に座り周囲を警戒していると、奴隷商の仲間の一人がユルグの隣へ腰を下ろした。


「オヤジには楯突かない方が良いぜ」

「そうは言っても危機感がなさ過ぎる。奴隷を囮に逃げるとしても、ただの時間稼ぎにしかならないだろうな」

「あんた、随分旅慣れているんだなあ。ここを一人で抜けようとしてたんだから、それも当然か」


 この男、やけに馴れ馴れしい。

 無駄話はしたくはないのだが、そんなユルグにはお構いなしに男は話し続ける。


「そうだ。あんたは聞いたか? 勇者の話」

「……勇者?」


「なんでも仲間に手を掛けて逃げ出したんだってな。国内では指名手配って話だ」

「なんだそれは」


 男の噂話は随分と真実がねじ曲がっている。

 おそらく、意図的にそうしたのだろうが胸クソ悪い話だ。


「馬鹿だよなあ。勇者なんて食うに困らねえ。良い思いし放題じゃねえか。それを棒に振るって、何考えてんのかね」

「……さあね」


 他人に、ユルグの気持ちは分かりはしない。


 彼だって、昔からこんな捻くれた性格をしていたわけではない。

 一年前のアレが無ければ、ユルグは勇者を続けていただろう。


 困っている人を助けて、死ぬかもしれない戦いに身を投じる。

 辛く苦しいものだが、それが勇者としての責務だと信じて疑わなかったはずだ。


「凡人にはわからないだろうな」

「ははっ、違えねえ」


 愉快そうに笑う男に応えることなく、焚き火の向こう側を見つめる。


 瞬間、仄かな火の灯りに混じって影が見えた。

 それを認識したユルグは立ち上がり帯刀していた剣に手を掛ける。


「……来たか」


 唐突なユルグの言動に隣の男は狼狽えた。

 何が起こっているのか分からない様子だ。

 素人ならば、あの魔物の存在すら気づかない。


 実際、ユルグも旅をし始めた頃は手酷い歓迎を受けたものだ。


「死にたくなかったら早く馬車を出せ」

「な、なんだ?」

「シャドウハウンドだ」


 地面の影から、四足歩行の獣が姿を現わした。

 それは影同様に真っ黒な見た目をしている。


 あの魔物は実際、影のようなものだ。

 実体はないに等しい。影を伝い獲物に忍び寄り襲いかかる。


 目を付けられたらかなり厄介な魔物である。


「――わかった!」


 ユルグの指示通りに馬車へと向かった男へ、シャドウハウンドが襲いかかる。

 けれど、魔物の攻撃はユルグが振るった剣撃によって失敗に終わった。


 斬られたシャドウハウンドは黒い靄になって霧散する。

 しかしこれでコイツを倒せたわけではない。


 この魔物には実体がないのだ。

 いくら斬り付けたところでダメージを与えられない。

 せいぜい、相手の攻撃を中断する程度の効果しかない。


 だったらどうするか。


 実体が無いのなら、作ってやれば良い。

 その為の方法はある。しかし、今の状況でそれをやるのは得策とは言えない。



「――兄ちゃん、準備出来たぜ!」


 男の叫び声を合図に馬車が動き出した。


 それに剣を収めて荷台へと飛び乗る。


「もっとスピードは出せないのか!?」

「無理だ。この重さじゃ、これが限界だ!」


「――だったら、これを棄てれば良いな」


 奴隷商の男が、先ほどの奴隷少女を見下ろして足で小突く。

 蹴られた少女は、怯えて更に身体を丸めてしまった。


 そんな彼女に痺れを切らした男は、無理矢理腕を掴んで立たせると荷台の外へと押し出したのだった。

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