冒険の始まり 地獄教の儀式 1
「でかしたぞヴァジャ」
鷹揚に出迎える老人に対して「ヴァジャ」と呼ばれた男が
この男は王女護衛部隊隊長ベンドルンからは「ジモス」と呼ばれていた男である。ジモスと名乗っていた時のような明るく気さくな様子はまるで無く、別人のように冷たい残忍なゆがんだ笑みを口元に浮かべていた。
「全てはポルエット師のお導きのまま」
ヴァジャは陶酔したような目の輝きで老人を見つめる。この老人は地獄教の中でも最大の勢力であるラジェット派の大司教デネ・ポルエットである。
ヴァジャの後ろには十数人の部下が付き従っていた。その部下に囲まれて、ピンク色のドレスを着、頭に布を被せられた少女の姿があった。デネ大司教がその少女に近寄ると、頭に被せられている袋を乱暴にむしり取る。
袋の下は栗色の髪に、ブルートパーズのように輝く青い瞳をした少女の顔があった。
口には痛々しく猿ぐつわがされていて「う~~~」「う~~~~」とうめくことしか出来ない。涙に濡れてこそいないが、その青い瞳は恐怖に揺れていた。
頭に乗った小さなティアラは宝石がちりばめられ、ミスリルで出来た美しい物で、それがこの王女が本物のアクシス・レーセ・グラーダ王女であると物語っていた。何より、ヴァジャがジモスとして何度も合った事があるのだから間違いが無い。
今年15歳になったばかりだという。この世界で二番目に高貴な血を持つ少女である。
デネ大司教は歓喜に打ち震える。
「王女殿下。ようこそおいでくださいました、我が神殿に」
芝居がかった動きで、王女にたいして
「我が弟子が無礼を働きました事、誠に
王女は恐怖から血の気がすっかり引いていた。
「王女殿下には我らが儀式に参加して戴きたく、こうしてお迎え致しました次第でございます。なに、難しい事など何もございません。王女殿下には、ただその場に居て戴くだけで大丈夫でございます。何もなさらなくて結構でございますからご心配なく」
デネ大司教はそう言うと「失礼いたします」と言いながら、アクシスの頭からティアラを外す。アクシスが身じろぎをする。
「いえ、何かの魔法道具であっては儀式の邪魔になりますので、念のためにお預かりいたします。儀式が終わったらその頭にお返しすることをお約束します」
そして、背後に控えていた大柄の男に声をかける。
「ロビル。王女殿下をご案内して差し上げろ。くれぐれも粗相の無いようにするのだぞ。大切なお体だ。傷一つ付けないように気を付けろよ。ただし、王女殿下がお召しの物は全て取り替え、こちらで用意した衣装に着替えていただく。介添えは女性信者がお手伝いいたします故、王女殿下にはご心配召されますな」
大柄の男は
アクシスが通路の奥に去るのを見届けてから、デネ大司教はヴァジャに向かい合う。
「さて、長い役目ご苦労だったな、ヴァジャ」
「いえいえ。たいした苦労でもございませんでした」
ヴァジャが笑う。
「それよりも、儀式の準備は整っておられますか?グラーダの奴らは恐らくそう時間をかけずにここを突き止めてくる事でしょう」
それを聞いたデネ大司教は小さく頷く。
「もちろんだ。すでにこの神殿内で儀式が行われている」
このラジェット派の儀式とは、すなわち男女の交わりと生け贄である。
今回は過去最大の儀式となるため、入念に数年かけて準備されてきた。地獄の魔王の使いから様々な手順を指示されている。
これまで、グラーダ各地で儀式を行い、儀式を行った地点を点として、その点を繋ぐ巨大な魔法陣を描く。
そして、指定されたこの地で、古い遺跡を密かに改修して儀式を行える環境を整え、地獄教の神殿として、広間に魔法陣と祭壇を設置した。
現在、この神殿の中には500人を越えるラジェット派の地獄教信者が世界中からかき集められている。
3日前から儀式として、男女が交わり、更にその命を捧げる生け贄となって祭壇を血で染めていた。
普段であれば、生け贄は
祭壇の周囲はぐるりと深い溝があり、見えない溝の底にはおびただしい首なしの男女の死体が転がっているはずだ。
そして、明日の日の出と共に、最後の生け贄を捧げる事で、地獄の蓋が開くのだ。
地獄の魔王の使者である魔物は、最後の生け贄は「汚れ無き高貴な血の乙女」が良いとの事だった。
それならばこの世で最も高貴な血とは何だろう?デネ大司教が考えた。すぐにグラーダ三世に思い至り、グラーダ三世の娘、アクシス王女こそが最適に違いないと考えた。
グラーダ三世は世界を一度征服した。そして、世界中に変革をもたらした、間違いなく歴史に名を残す希代の名君であると一般的に思われているらしい。デネ大司教としては業腹だが。
なにせ地獄教に対して強烈な迫害をして来た、憎むべき相手である。世界の仕組みを根底から改革していくグラーダ国は、頭の先から足の先まで、地獄教にとっては憎悪の対象である。その娘を生け贄にするという発想は実に心地よい。
本来アクシス王女の誘拐などとても困難極まることだ。不可能と言っても良い。
だが、アクシス王女の厳重な警備が毎年一度だけ、わずかに弱まる時がある。
それが毎年春、2月の15日に旧王都レグラーダで行う「地母神カーデラ」に捧ぐ豊穣祭に参加する公務である。これはアクシス王女がまだ5歳の時から続く恒例行事である。この行事でも警備は厳重だが、何故か闘神王自身は参加した事がない。
そして、魔王の使いが指定したのも2月15日の日の出である。これは偶然などではない。このタイミングでアクシス王女を誘拐して生け贄にせよとの魔王様の意志に違いない、とデネ大司教は確信する。
「よかろう。ヴァジャよ。儀式の進行具合を確認しに行こうではないか」
デネ大司教はヴァジャの肩を抱きながら神殿奥に
ヴァジャ自身は、数年の潜入任務の為、今回の儀式がどのように進行していくのか、全く知らなかった。
「は。ご教授願います」
ヴァジャが頷く。
一方で、背後に控えていた小柄で、危険な香りがする、髪の長い男に声をかける。
「ウシャス。外の警戒を怠るでないぞ」
ウシャスは無言でうなずくと神殿出口から外に向かった。手には長い棒を持っている。そして、外に出ると、何処に隠れていたのか、影のように数人が現れて、ウシャスの指示を受けて、出現したときと同じように影のように姿を消した。
儀式の祭壇は凄惨な光景だった。
広間はかなり大きな空間となっていた。
最奥を演壇として、2階部分に大きなバルコニーがあり、演壇が設けられている。バルコニーにはカーテンが引かれていて、その奥の部屋の様子は外からは窺い知ることが出来ない様になっている。
デネ大司教に連れられたヴァジャは、このバルコニーから、儀式の様子を眺めていた。
バルコニーから見て、対面がこの神殿に改修された遺跡の出入り口となっていて、扉は無く、西に向かって大きく開かれていた。入り口のある階は、他よりも低いので、祭壇の様子が見えなかったが、祭壇より少し高い位置にあるこのバルコニーからはよく見ることが出来た。
祭壇は四辺を底が見えないくらい深い溝で囲まれていて、祭壇への行き来は、木の板を渡して、幅10メートルほどの溝を渡る必要がある。この板も、使う時以外は祭壇からはずしてしまうので、一度祭壇の有る場所に渡ったら、自力では戻ることが出来ない。
祭壇のある場所は一辺20メートルほどの正方形の舞台となっていて、その中央にベッドのような祭壇が設けられていた。
その祭壇の上で、白い袋を頭からかぶり、白い袋状の服をまとった男女が交わっていた。
広い神殿全体が篝火の煙、それに大量に焚かれた香の煙でけぶっており、バルコニーから見ても、祭壇の様子ははっきりとは見えない。
そして、祭壇の下は血の海で、舞台の四辺に大きな桶が置いてあり、その中に男女の首が沢山放り込まれていた。舞台に転がったままの物もある。その首の体の方は、祭壇を取り囲む深い溝の下に放り込まれている。
祭壇は凄惨な光景ではあるが、ヴァジャや地獄教徒にとっては心沸き立つ光景だった。
祭壇を取り囲むように三方囲む形で設置された4段から成る回廊には、多くの地獄狂信者がひしめき合って、祭壇の様子を見ていた。
彼らは興奮していて、自らも早く儀式に参加したい様子で、儀式を見守っていた。
信者がまぐわっている寝台の様な祭壇の両脇に、斧を持った大男が2人立っている。元は白い布だったのだろうが、ほとんどが赤に染まった布を頭からすっぽり被っている。
祭壇の交わりが終わると、祭司であるこの大男達によって男女は首をはねられる。
普段の規模の儀式では、生け贄にされるのはもっぱらさらってきた無関係の人間だったり子どもだったりするが、今回は自分たちが生け贄にしてもらえるのだ。絶頂と共に首をはねられるとは、なんと幸福な事だろうかと、多くの信者は興奮していた。特別な儀式である事が信者たちの興奮をよりあおり立てる。
地獄教は完全に狂っているのだ。刹那的な快楽主義で、利己的で、殺人衝動が抑えられない者たちの集団なのだ。世界中が排除に躍起になるのもうなずける。彼らには筋の通った教義などありはしない。健全な世界という物、正しい道、光ある世界を憎んでいる集団なのだ。
アクシス王女は、そんな狂信者に生け贄として囚われてしまったのだ。
儀式としては、2月15日の日の出と共に、アクシスは祭壇で首を切られ、その後、デネ大司教によって、首を失った体を犯される事となっていた。
それによって儀式が完成し、地獄の蓋が外れ、地獄の魔物や魔王が、地上に現れる事が出来るようになるはずである。
アクシスは小さい部屋に連れ込まれると、ロビスと呼ばれた大男から解放された。ロビスと入れ替わりで室内に入ってきた女たちに囲まれると、身につけていた物を全てはぎ取られ、代わりに用意されていた白いドレスに着替えさせられた。
髪型を整えられ、金のネックレスや髪飾りを付けられる。
猿ぐつわも外され、化粧を施される。
それが終わると女たちは部屋を出て行き、外から鍵が掛けられる。小さな部屋は、粗末な寝台とイスが一つあるだけ。窓もない完全な密室である。
アクシスはそれでも涙をこぼさなかった。唇をグッとかみしめて絶え間なく押し寄せる、恐怖や不安と必死に戦っていた。
アクシスは絶望に屈しまいと、心の中の拠り所に必死に念じていた。
「きっと、きっと助けてくれる」
胸の中でつぶやいた。
ジーンが放った追跡隊「鷹」による追跡は困難を極めていた。
砂漠で痕跡が途絶えた上に、日もすっかり暮れている。しかも、今夜は砂漠の空に薄い雲が現れていて、月もかなり欠けてしまっているため、弱々しい光は地上を照らす役には立たない。夜明けを待たなければ、これ以上の追跡は出来ないと判断せざるを得ない。
しかし、追跡隊は諦めるわけにはいかない。18騎の内、特に優れた能力の5人はそれぞれに追跡する事とした。そして、補佐に各1名ずつ付ける。
無言でその采配をすると、それぞれ無言で散っていく。先行追跡隊を指揮する隊長は焦っていた。
時を掛けてはいけない予感がひしひしとする。
そして、自分が何かを見落としている気がしてならない。重大な痕跡をである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます