第12話 上限金利規制②

 さて、ゴウの方はというと……。


「ええっと、利息とは『金銭その他金銭代替物だいたいぶつの使用の対価として、元本の額およびその使用期間に応じて支払われる金銭その他の代替物だいたいぶつをいう』? やっべえ、全然覚えてねぇ……」


 いちばん最初の「利息の定義」のところで、すでに躓いていた!


「この『金銭その他の金銭代替物』とか『金銭その他の代替物』って、一体なんだよ!?」


 そして煩わしい言い回しに、若干、逆ギレ気味である。


 用語の定義は基本だ。

 覚えておいた方が良いのだが、「その他金銭の代替物」という部分はとりあえず放っておく方が良いかもしれない。


 なので、


――利息とは、金銭の使用の対価として、元本の額およびその使用期間に応じて支払われるものをいう


 で、おさえておけばよい。もっとシンプルに、


――利息とは、元本利用の対価である


 でも十分な気はする。


 お金を借りた「対価」(レンタル料金)が、利息ということだ。


 たとえば、お金を100万円借り、契約で年利率を10%と定めた場合、1年後に返還する額は利息を含めて合計110万円である。


 10万円が利息分だ。

 この利息分の10万円は、100万円を借りた対価(レンタル料金)だとイメージすればよい。


 ちなみに、この定義は法律学における定義である。

 ここでは触れないが、他の学問分野においては少し異なる定義になる。


「で、民事法定利率を定めた民法404条……って、どんな規定だったっけ?」


 本棚で埃を被っていた『ポケット六法平成30年度版』を取り出し、民法404条を開いてみた。


 このとき、ゴウは極めて危険な行為に及んでいた。

 すでに、時代は「令和」である。


 古い六法など取り出して、改正された条文が掲載されていなかったらどうするつもりだったのだろうか?


 ……が、『ポケット六法平成30年度版』であれば、平成29年改正後の民法の条文は掲載されている。


 辛くも、セーフ。


 古い年代の六法など、たんに大学の講義または資格試験のためだけに必要だったという人にとっては、たんなるゴミである。


 もう一度言おう。


 ゴミだ。


 法律学の研究者や法律を専門にする仕事についている人にとっては、重要な資料になることはある。


 が、それ以外の人にとってはゴミそのものなので、古い年代の六法は直ちに処分した方がよい。

 後生大事とっておくものではない。


「へえー。民事法定利率は、3%になったのか……。ということは、利率3%は問題なく取ることができると……」


 ……少し心配になってきた。

 たぶん、ゴウは民法404条の規定をあまり理解していない気がする。

 ゴウのセリフは、いまひとつ理解していない人の言葉である。


 おそらく、いまのゴウに、つぎの問題を解答させると間違える可能性が高い。


【問題】つぎのうち、正しいものはどれか?

 ①ある金銭消費貸借契約において利息を取る旨の定めがない場合、その利率は民法404条により3%である。

 ②ある金銭消費貸借契約において利息を取る旨の定めがない場合、無利息の金銭消費貸借契約となる。


 正解は②である。


 まず、問題の選択肢の文章が、いずれも「利息を取る旨の定めが場合」となっている点に注目しよう。


 前回、解説したように「利息を取る旨」の特約を金銭消費貸借契約に入れなかった場合、その金銭消費貸借契約はの契約となる。

 利息を取るためには、その旨の契約条項を金銭消費貸借契約のなかに追加しなければならない。

 したがって、選択肢②は正しい文章である。


 民法404条は、利息を取る旨の契約条項はが、うっかり「を定めていない」場合の規定だ。

 そのときは、自動的に3%になるというワケだ。

 選択肢①の文章は「利息を取る旨の定めが」となっているから、契約上の利率が自動的に3%と決まることはない。

 したがって、選択肢①の文章は誤りである。


 前回の復習は、この辺りにしておこう。

 ゴウには、もう少し民法を勉強してもらう必要がありそうだ。

 法学部卒にしては、少し残念なカンジである。


 がんばれ! ゴウ。


 では、前回示した疑問について検討しよう。

 つぎのようなものだ。


『じゃあ、金利も契約で自由に決めてよいのなら、なんで上限利率が法律で決められているの?』


 前回、契約自由の原則から、本来、契約でどのように利率を定めてもよいハズだ、と述べた。

 

 これは、つぎのような考え方にもとづいている。

 

 経済学的に考えると、契約上の利率についても自由競争の原理がはたらく。

 そうだとすれば、自然に利率は適切な状態に落ち着くことになるということだ。


 なぜか?


 ごく簡単に検証してみよう。


 モノやサービスに対しお金を払うさい、多くの人は「より質が高くて、価格が安い」ことを選択の基準にする。


 このことから経済学では、市場において「買い手」は「プライステイカー」(価格決定者)と位置付けたりする。


 モノやサービスの価格を決定するのは、最終的には「買い手」というワケだ。


 えっ! 「売り手」じゃないの!?と思うかもしれない。


 つぎの例で考えてみよう。


 たとえば同じ品質種類のAとBという商品があったとする。


 商品Aは100円

 商品Bは90円


 だった場合に、どちらを購入するだろうか?


 多くの人は、値段の安い商品Bと答える筈だ。

(ただし買い手の方が特別な事情を持っている場合は、このような答えにはならない)


 そうすると、必然的に商品Aは売れなくなる。

 多くの買い手が商品Bを選択するからだ。


 このとき商品Aの売り手がつぎに採用するであろう戦略は、商品Aの値段を下げるか、売るのをやめるかになる。


 その結果、商品の値段は「売り手がつけたい値段」と「買い手が払ってもよい値段」のちょうどいいところで落ち着く。


 こうしてみると、商品の値段を最終的に決めるのは「売り手」ではないことが解る。「売り手」は、「買い手」が買ってくれる値段をつける必要があるからだ。


 同じことが、お金の貸し借りにおける「利息」にもいえる筈だ。

 

 ここで、利息制限についての法律が存在しない自由な状態のなかで、適正な「利率」がどのようにして決まるかを考えてみよう。


 たとえば、A社では100万円借りると利率30%、B社で100万円借りると利率20%だったとしよう。

 ここで、いますぐ100万円必要な人が、お金を借りるとしたらA社とB社どちらで借り入れるだろうか?


 おそらく多くの場合、B社で借り入れすることを選択するだろう。


 そうすると、A社で借りる人はいなくなるので、A社は利率を下げる筈だ。


「貸し手」は、「借り手」が払ってもよいと考える利率を設定する必要があるということだ。 

 結果、利率も自然に「貸し手がつけたい利率」と「借り手が払ってもよい利率」のちょうどいいところで落ち着く。


 このように、利率についても自由な経済活動に委ねておけば、自然に適切なところで契約がおこなわれる。


 そういうワケで利率についても、契約自由の原則から、本来、契約でどのように定めてもよいといえる。


 ……ハズだった。

 ところが実際には、このようにならなかった。


 お金の貸し借りにおいて、この原理が通用するのは「借り手」が、たとえば高額の資産を持つなど見込みがある場合だ。


 このような「借り手」は、貸し手からすれば喉から手が出るほど獲得したい超優良顧客だろう。

 しかし、現実にはこのような顧客は、消費者金融(貸金業者)よりも利率を低く設定できる銀行から借り入れをする。


 ちなみに消費者金融(貸金業者)が貸し出すお金は、銀行から借り入れたりして調達している。借りているのだから、当然、利息がつく。

 このため消費者金融(貸金業者)が設定する利率は、銀行に返済する利息分に諸経費等を上乗せして計算しているのだ。

 いいかえれば、消費者金融(貸金業者)がお金を貸し出すさい、銀行が設定する利率よりも高くなるのは当然なのだ。

 だから消費者金融(貸金業者)が銀行よりも低い利率で消費者にお金を貸すのは、ムリゲーである。


 話を戻そう。


 超優良顧客を銀行に根こそぎ取られた結果、貸金業者の顧客は、あまり資産を持たない借り手ばかりになる。

 つまり、お金を貸しても回収不能のリスクが高い。


 この「回収不能」のリスクを回避するため、貸金業者は利息を高めに設定する。

 支払われる利息で、貸したお金(元本)分を回収しようとするからだ。

「リスクプレミアム」などと呼ばれる。


 これは、逆に「借り手」の側から見ると、資産や返済能力が低くなるほど利率が上がるということになる。


 お気づきだろうか?


 資産・信用のない「借り手」は、低い利率の「貸し手」からはお金を貸してもらえない。

 すなわち、利率の高い業者しか選択できないのだ。


 こんなたとえ話がある。

 テナントビルに数社の消費者金融が入っている場合、上の階へ行くほど利率が高くなるらしい。そして資産・信用が低い顧客ほど上の階の業者へ行かされると。


 ここで分かるのは、お金の貸し借りにおける「利率」(価格)決定のプロセスのなかに、市場原理を阻害するような構造がみられるということだ。

 このため「ちょうどいいところ」に落ち着かない。


 そこで、法律を制定して「ちょうどいいところ」になるよう調整する必要があった。


 そうすると、民法の「契約自由の原則」を修正・補足するようなルールとして、出資法、利息制限法、貸金業法における上限金利規制をおいたと考えられるのではないか?


 まぁ、かなり強引に「ちょうどいいところ」を設定したともいえるが……。


これが、前回示した『じゃあ、金利も契約で自由に決めてよいのなら、なんで上限利率が法律で決められているの?』という疑問に対する一応の解答である。


 以上のことは、あくまで民法の「契約自由の原則」と上限金利規制との関係を経済原理と法との関係から検討してみたものだ(かなり不十分ではあるが)。


 もちろん、他の観点からの説明もあるハズだ。

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