幕間1 滅びの詩

 虚とリィンが出ていった後のこと……書類仕事をしていたバークスの耳に扉をノックする音が響く。一体何事か――部屋に入るよう声を掛けると、訪ねてきたのは博士だった。

「ん?……ああ、博士か。クリミアの月巫女天使たる貴方が、こんな時間に訪ねて来るとは……緊急の用件か?」

「ええ、ちょっとね……」

 この時間は研究所に籠もっており、訪ねてくることは滅多にない……目の前で起きている出来事が只事ただごとではないと、脳内は警鐘けいしょうを鳴らしていた。


「実は、リィンちゃんについて話があって来たの……」


 しかし、話に挙がったのは先程虚が連れてきた少女……リィンについてだった。改めて思い返してみるが、“普通の女の子”という印象しか持ち合わせていない。緊急の用件という程では無い気がしていた……あるいは、何か見落としている事があるんだろうか?

「ええと……虚が連れてきた子で、確か記憶喪失だとは聞いていましたが、何か気になることでも?」

「……おかしいと思わないの?記憶喪失って……魂に輪廻の書が刻まれていないのよ!?そんな状態で、!?」

 その一言でハッと気付かされる。何故、今の今まで違和感に気付けなかったのか?この世界で生きとし生ける人間は魂に刻まれた輪廻の書によって使命が定められている。記憶喪失などにより使命を失くした者の末路は――――最悪の結末が頭を過ぎる。


「私だってこんなこと信じたくないわよ!それに……偶然と願いたいけど、リィンちゃんの姿が“滅びの詩”の伝承に出てくる少女にそっくりなのよ」

「……っ!?それは、本当ですか……?俺には、世界を滅ぼすような存在には……思えません」

 追い打ちを掛けるように、博士の一言はバークスにさらなる衝撃を与える。“滅びの詩”とは、北方にある世界樹の石碑せきひに描かれており、リブラ・クロニクルに伝わる世界崩壊のときうたった詩篇しへんである。



『龍ノ信仰識ル来訪者、現レシ刻世界ノ概念崩レ、全テ虚無ヘカエル』



 いくつかの詩篇は掠れて読み取ることは出来ないが、それがいつ、誰が建てた物なのかは知る人はいなかった。

「……で、ですが根拠が見当たりません。先程聞いた話では、本によって幼少期のおぼろげな記憶しか思い出せなかった……くらいしか」

「問題は『その本』なのよ……彼女、『大戦の英雄〜双剣の守護者〜』が私の部屋にって言うのよ。」

「莫迦なっ!?……処分し忘れていたのか!?」

 ――そう、本来ならば『大戦の英雄』に関連する伝承本は、禁書指定されて絶版ぜっぱんになっている……博士の研究所に置いておける代物ではない。

「いいえ……確かに禁書指定された時に、クロニクルに渡したはずよ」


 処分したはずの本が目に付きやすい位置に置いてあった事、本を読んだ直後の意識を失う程の急激な頭痛とそれに伴う記憶の想起……あまりにも出来すぎている気がしてならない。しかし、状況証拠だけではリィン・フュートが世界を滅ぼす存在であるという確証を、得られなかった。


「……仮にリィンちゃんが詩篇通りの存在だったとしたら、下手をするとクロニクルナイトに処刑される可能性があるわ」

(……処刑されてしまえば、変わらない日常は保たれるかもしれない。だが……)

 ――本当にそれでいいのだろうか?もしかしたら、我々の知り得ない所で世界を揺るがす事象じしょうが起き始めているのではないか……しかし、判断しようにも情報が足りない。


「バークス?どこに行くの?」

「クロニクルナイトの友人に会ってくる……今、必要なのは情報収集だ。もしかしたら、何か掴めるかもしれないからな。」

 おもむろに席を立つと、バークスは情報を得るためにクロニクルへと向かって行った。

「分かったわぁ、こっちでも調べてみる……何か分かったら連絡するわ」

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