ケンカイッポン

雪見なつ

第1話

――喧嘩。それは強さを決めるための手段。何をしても許される。甘ったるい奴なんかはここにはいない。それが裏の喧嘩っていうやつだ――


 月の光も入ってこない裏の路地。外灯がパチパチとその場を照らしている。鈍い音が響き渡り、血生臭い匂いが鼻をつく。

 男は警官をしている。最近、街が物騒になってきたため、珍しく夜遅くのパトロールに出ている時だった。怒号と鈍い音を聞き、警官はその裏路地の方へと足を向ける。

 待っていたのは目を疑う光景だった。

 男たち二人が血塗れになって殴り合っているのだ。それを取り巻きの男たちが見ている。強烈な一撃には声援を、逃げる行為にはブーイングを。彼らは喧嘩を楽しんでいた。

 殴り合う二人も、目が血走り、正気を失っている。

 警官の男は棒立ちでそれを見ていることしかできなかった。それもそうだ。平和ボケしている日本警察官にとっては、目の前にある光景が、ここが日本であることを疑い、夢の中にいるのかもという幻想のよう。それも現実逃避に過ぎない。

「おい、おっちゃん。そこを退いてくれよ」

 警官の男の肩に手が置かれる。その手は警官の顔を優に超えていて、巨人を思わせる。

 警官は振り向くと、そこには壁があった。

「おいおい、どこを見てやがる。人を見るときはちゃんと目を合わせな、警察のおっちゃんよ」

 警官は声のする方へ目を向ける。いや、目を向けるというよりも顔を上げると言ったほうがいい。自分よりも二倍はある身長。警官も決して小さな体ではない。日本の平均身長ほどなのに。その二倍というのだから、三メートル近くはあるんじゃないか。警官は思わず「巨人……」と呟いた。

 大男は警官を優しく退かして、ゆっくりと前へ進んでいく。喧嘩の方へ。

「おいおい、生温いじゃあねぇかヨォ。喧嘩もここまで落ちてしまうとはな」

「何入って来やがる。喧嘩に部外者はいらねぇ。サシでやりあってるじゃねぇかよ」

 大男を塞ぐように二、三人の男が目の前に立ち塞がった。しかし、そんなものは巨人には無いのも同然。片手で跳ね除けて、前へ進んだ。二人の男たちは宙へ飛び、壁に打ち付けられる。恐ろしい腕力だ。

 殴り合っていた二人もすぐに状況がおかしいことを感じ、殴るのをやめた。

「そこのブ男よ。それ以上踏み込むんじゃねぇ」

「俺たちの喧嘩を邪魔する奴は誰だって許さねぇぞ」

 二人は大男に向かってファイティングポーズをとる。

「二人でかかってきな」

 大男は、くいくいと挑発するように指を曲げた。

 二人ははち切れそうなほど額に血管を浮かべる。

「俺たちもナメられてるなぁ」

「その舐め腐った態度、今すぐ治してやる」

 二人は一斉に距離を詰めて、拳を振る。

 警官が瞬きをして、開けた次には、男二人は泡を拭いて床で寝ていた。

 その光景に警官は目を擦ったが、目の前の光景は変わらない。

「この野郎。よくもカシラを!」

 周りの男たちは喧嘩に茶々が入ったことを怒り、男に飛びついた。男たちは鉄パイプやら角材やら武器を持って大男を殴った。大男は抵抗をしなかった。サンドバッグのように殴られている大男は、苦しい表情をしない。逆に彼はニンマリと白い歯を見せる。信じられる光景ではなかった。

 大男は右足で回し蹴りをした。取り囲んでいた男たちは纏めて、蹴り飛ばしたのだ。十人を超える大人の男たちを一撃で終わらせる。

 警官の男はその大男をかっこいいと思った。警官は平和を求めるもの、それなのに目の前にある平和と離れた強さに憧れを持ってしまったのだ。

「警察のおっちゃんよ。今見たことは忘れるこったなぁ。上に報告したりしちゃあ、オメェさんの玉金がなくなると思いな」

「は、はい……」

 大男は警官とすれ違い、表の世界へと溶けていくのだった。

 これは警官の話では無い。喧嘩を制す大男の話である。

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ケンカイッポン 雪見なつ @yukimi_summer

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