行方不明 8

「なにごとですか、まったく! おかえりなさいませ、アレック様。ミシェルったらまた大きな声で泣いて。ガットがいじめでもしたのかしら。早く寝なさいって言ったのに、アレック様のおかえりを待つって言うものですから」

 キッチンの片づけをちょうど終えたのか、フローナが前掛けを外しながらアレックを出迎えた。

 アレックはというと、上着を脱いでソファーの背もたれにかけると、そのまま倒れるようにして横になる。

「違うよ、ガットじゃない」

「あら、そうなんですか。まさか、あなたが?」

「まあね」

 深く息をついて、天井を見上げる。天井に飛び出ている釘の数をひとつふたつと、何とはなしに目で数えていると、余計なことを考えなくてすんだ。

「まあ珍しい」

 フローナは目を丸くしてそうつぶやくと扉を開けて廊下に向かって声を張り上げた。

「ミシェル! いい加減になさい! 何時だと思っているの」

 廊下の向こうから「アレックのせいだよ!」とガットの言い返す声が聞こえたのを、アレックはうんざりしながら聞いていた。

 戻ってきたフローナは寝ているアレックを覗き込むようにして再び口を開く。

「――ところでアレック様、王女様は見つかりましたか?」

「いや」

 ソファーに寝転がっていると、眠気が急激にやってきた。釘を数えるのも飽きてきて、十七本まで探したところで目を閉じる。あいかわらずミシェルの泣き声が廊下でわんわんと響いていた。

「そうですか……皆さんさぞ心配なされていることでしょうね。一日捜して見つからないとなると、何か危険な目に遭っているのかもしれませんわ」

 アレックは何も答えず、無視を決め込む。まぶたの裏でも釘を数えていて、そんなことするんじゃなかったと軽く後悔し始めたところだった。

 はあ、とあからさまなため息が聞こえたので、気づかれないように少しだけ目を開けて見ると、まるで嫌味でも言うようにフローナは独り言を始めた。

「この一年で、ずいぶんお変わりになりましたね。前はもう少しお優しかったはずでしたのに」

 何が言いたいと問う前に、彼女はミシェルを静めに廊下に行ってしまった。

 やれやれとアレックは身体を起こす。「フローナ!」と大きく廊下に呼びかけると、仕方なくソファーから立ち上がって、かたまっていた関節をほぐすように腕を伸ばした。

「呼びましたか?」

 と、廊下からフローナ。

「少し話があるから、二人を連れてこっちに来て」

 ようやく泣き止んだミシェルと、機嫌の悪いガットがアレックを睨みながらリビングに入ってくると、アレックはフローナに顔を向けた。

「隣町に魔法使いがいるのは知ってるかな」

「ええ。クアラーク出身の魔法使いだったと思いますが。たしか、黒魔術の」

「そう。ガット、黒魔術ってわかるか?」

 振られてふてぶてしくガットは答える。

「……なんとなく」

 アレックはまだ鼻をすすっているミシェルの方を見た。

「ミシェルは?」

「……よくない、魔法」

 うん、とアレックは頷いて見せた。

「僕やフローナが普段使うような魔法とは違う、怖い魔法なんだよ。他の人をおびやかしたり、呪ったり、痛い目に合わせたり、自分の欲を満たすために使われる魔法」

 いまだ話のつながりがつかめないフローナが、あの、と声をかけた。

「――ガット、その魔法使いに魔法を教えてもらおうと思ったんだろう? フローナ、だから二人を叱ったんだ」

「そんなこと絶対に許しませんよ! 当たり前です、どうしてそんなこと」

 フローナの怒った声に、ミシェルだけでなく、ガットまで目に涙があふれてきていた。

「だって、だけど……ぼくたち、本当に魔法の勉強がしたいんだ。本当はアレックに教わりたかった。でもアレックはいつも忙しそうだから……。それに、ぼくたちにはまだ早いって絶対に言う。だって教えないって言ってたもんね。そんなことわかってたけど、アレックを見てたらすっごく格好いいなって思うし、アレックみたいになりたいって思うんだ。そう思うのは、いけないこと?」

 少し意表を突かれて、アレックとフローナは顔を見合わせた。正直に言えば、ガットの言葉は嬉しかった。アレックが初めてガットとミシェルに出会った時とは違って、明らかに二人とも前向きになっている。この兄妹が魔法を習うのは、確かにまだ早いとは思った。けれど、一般的にはミシェルくらいの年齢から知識をつけるが普通でもある。アレックは十の時に魔法を習い始めたが、今でも覚えているのは習う前から「どうして早く教えてくれないんだ」と師に不満ばかり言っていた記憶だった。

 どうしたらいい。少し考えて、アレックはフローナを見た。お任せします、と彼女は目で言っている。

「……いけないことはないよ。だけど、格好いいって憧れだけでできるものでもない。大変なことばかりだし、二人にはいつも通り学校にだって行ってもらう。それでも勉強したいと思う?」

 魔法使いになって良かったことが多いが、嫌に思ったこともアレックは何度となくある。少なくとも、魔法を習っていなければ大勢に迷惑をかけてまで国を出るようなことにはならなかったし、かと言って、そうして故郷を離れることで、前の家でひどい扱いを受けていたガットやミシェルに出会って二人を助けることはできなかった。

「したい!」

 ガットとミシェルの声が重なった。

「学校もちゃんと行くって約束する!」

 アレックはもう一度フローナを見る。

「僕らと一緒に暮らしてるんだ。そう思うのは仕方がないことだよ。フローナ、お願いできるかな」

「かしこまりました。黒魔術なんて使ってもらっては困りますからね。アレック様の足元にも及びませんが、私でよければやらせていただきます。ただ、もっと先を考えるなら、王立学校も視野に入れておかなければなりませんよ」

「その時は先生に相談するよ。――二人とも、僕は絶対に君たちに他の知らない魔法使いのところへ弟子入りさせるなんて許さないからな。だからと言って、申し訳ないけど僕が教えることもできないんだ。どうしても学びたいと思うなら、フローナにきちんとお願いしなさい。フローナも立派な魔女だからね」

 ガットもミシェルもさっきまでの不機嫌顔はすっかり忘れて、満面の笑みで「フローナ先生、おねがいします」と目をきらきらさせた。

「いいですね、私の言うことはきちんと聞いてもらいますからね。わかったら今日はもう寝なさい。明日は学校でしょう。寝坊は許しませんよ」

「はい、フローナ先生!」

 調子の良い返事が聞こえて、アレックもフローナも苦笑した。――明日になったらまた反抗期再来じゃないといいけど。



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