VaRiable whale

玉藻稲荷&土鍋ご飯

クジラとわたし

 今日も雄大にが泳ぐ。決められたルートを自らのペースで。


 私はそのルートには行けない。この決められた船の上からは動けない。だから、私達が交わる事は無い。こんなにもすぐ近くだというのに。


 この触れる事が出来そうな距離はどこまでも遠い。何故ならこれは【ヴァーチャルリアリティ】仮想の現実、作られた現実なのだから……。




「主任、吉岡主任。退勤の時間ですよ。課長が来る前に起きて下さい」


 ゆさゆさと、とても優しい揺さぶりに起こされても、私はまだ海の中にいるのかと錯覚する。気付いたらテストプレイそのままに寝てしまっていたらしい。まだ現実に戻り切れてない私に、部下の芦田君が困った様に声をかける。それに礼を言いながら、まだ私の身体のどこかが静かに心地よく揺れている。波間に海水に揺らめく様に。ふんわりふんわりと。




   ***********




 世はヴァーチャル・リアリティ元年と呼ばれ、大きなゲームのイベントやニュースでも取り沙汰され注目されている【仮想現実】。

 前々からそういった分野にも手を伸ばしていたうちの会社は、そのブームの波に乗り癒し系の風景等が体感出来る物を開発している。ゴーグルを眼鏡の様にはめ、両手にはそれぞれスティック状のコントローラーを持つ。標高の高い山脈の風景を楽しんだり、どこまでも続く平原をアルパカと歩いたりと、癒し系の仮想現実に特化している。ちなみにコントローラーを近付ければアルパカの毛並みを揺らすことも出来たりと、映像ときちんと連動している。それによって、プレイヤー操作者はただ見るだけでなく体感することが出来る。


 私が今開発に携わっているのは、海。しかもダイビングの最中の様に、海中にプレイヤーがいる作品だ。


 仮想現実といっても、色々なタイプがあり、うちの会社の物は実際にユーザーに歩き回って動いてもらう必要がある。自宅で広い空間を確保するのは難しいので日本の家屋のリビング程の広さを想定している。開発室では最長の状態の高さ三メートル、幅四メートル程のそこそこに大きな空間でチェックを行っている。


 動作チェックデバッグの為に毎回行っている初期設定。部屋の四隅に三脚に乗せたプレイヤーの動きを捉えるカメラ。使うユーザーの身長に合わせて、目一杯手を伸ばして上を(天井を目指す)、そして床をコントローラーでタッチする。小柄な私がこれをやる度に、微笑ましい空気を周囲から出されるのが何だか気恥ずかしい。職場ではしっかりした先輩でいるつもりなのだけど。


 初期設定が終わったらスイッチを入れる。そうすればそこはもう海の中だ。


 わずかに揺らぐ水の中の風景。海流に合わせてまるで風が吹いた様に一斉に動く海藻。呼吸をすれば、私の動きに反応して空気が頭上の海面へと向かって行く。持っているコントローラーを伸ばして近くのイソギンチャクを触ればそれは縮まり、泳ぐ魚は近付けば逃げていく。頭上が暗くなったと思えば海亀が静かに泳ぎ去り、それを追うかのように色とりどりの魚が追従する。


 そして『彼』が来る。


 海亀の時とは違い、静かに泳いでいるのに水も空気も大きく動く。魚達もいつの間にか逃げるかの様にいなくなり彼と私だけになる。


 十メートルはあろうかというサイズのクジラだ。私は土台となっている海中の沈没船から、すっと足を進め、彼が一番近付いた時に手を伸ばす。でも、そこでエリア範囲外のマークが表れて進めなくなる。無理に進んだとしても現実には部屋の壁があるので手がぶつかってしまう。


 そして、あの目が、あの目が私を捉えて離さない。あの全てを内包する様で、そしてすべてを赦してくれるかの様なあの目が。

 そうして伸びた私の手を、彼は時々まばたきしながら見つめつつも、そのまま泳ぎ去ってしまう。私を置いて。


 映像が終わり現実に戻される。私は水中から地上へと、バーチャルから現実へと、ゆっくりと身体の重さを実感しながらゴーグルを外す。実際には、物理的には何も変わっていないはずだというのに、それは確かな実感として【脳が】意識する。


 脳は騙される。


 私の心も騙される。




   ***********




「新製品【海底散歩】の発売を祝って、乾杯!」


 三々五々、それに声を合わせて杯を重ねていく。調整に調整を重ねてようやく発売へと至った商品。私の所属する部としての慰労の飲み会だ。正直お酒もあまり飲めないし、私は静かな方が好きなので欠席したかったのだけれど、このプロジェクトの主任として参加せざるを得ない。少しでも笑顔を浮かべ、乾杯で場が慌ただしい内に、一人ずつ乾杯しながら声をかけていく。


「お疲れ様」

「あ、吉岡主任。お疲れ様です」


 まるで子犬のように、私が来た途端に周りとの話を止めてまでこっちと相対する芦田君。年齢は確か幾つか下だったと思うけど、かなり大柄な彼がこういう態度だから、子犬というよりも大型犬になつかれている様な気分になる。そして周りが私と芦田くんを微笑ましそうに見つめているのは何でなんだろうか。


「いい作品に出来ましたよね」

「確かに、前作のアルパカのも良かったけど、すごくリアルだし、情感ある感じに出来たよね」


 強く頷きながら一気にビールのグラスを空ける芦田君。お酒は強いみたい。


「そこなんですよ! 物凄く、切なさみたいなのが、クジラから感じるんですよ。景色は綺麗だし、癒されるのに何でなんでしょうね」


 私以外にもそこに気付く人がいたんだ。少し嬉しくなってしまった。


「うん、あのね。クジラの瞳って……」

「おぅ! 飲んでるか! やってるか!」


 課長が既に出来上がった感じでやってきて、私のグラスにどぼどばとビールを追加する。悪い人じゃ無いんだけど、ずっと運動していたらしい大柄な身体から、同じ様に気の強さが滲み出ていてちょっと気後れしてしまう。ガハガハと笑いながら私が少し飲むとまた注いでくれたもので、そうこうする内に私はいつしか意識が無くなっていた。




 ゆらり、ゆらりと身体が揺れる。一定リズムで世界が揺れる。


 また水中かと思ったら、誰かの背中の上だった。優しくて何だかいい香りがする。「鍵を」と言われ、ポケットから鍵を出すと玄関が静かに開かれ、私の夢うつつな指示の元、ベッドに静かに運ばれる。


「鍵は、締めたら郵便受けから中に入れますからね」


 と、優しい誰かの声が聞こえた気がして、それに頷いたら私はまた夢の中へと旅立った。




   ***********




 翌朝、お酒臭さと頭痛で目が覚める。記憶が無いのだけど、どうやって帰ったんだろう。とりあえずぼうっとしながら携帯電話を見ればメールと着信が数件。嫌な予感がして頭痛が増した。




 急いで身支度を整えて慌てて会社に着いてみれば電話は鳴り響きまくり、あちこち対応で追われ、騒ぎになっていた。ダウンロードでの販売を主にしていた為、日付が変わって昨日の夜の発売と同時に購入して早速プレイしたユーザーから問い合わせが相次いでいるというのだ。


 【クジラに食われる】


 思わず「は?」と声が出てしまった。そんな仕様は一切入れていないし、こちらのプレイヤーが動ける範囲にクジラは入れないになっている。仕様書やデータ上で確認しても、それらしき物は無し。バグ不具合を起こすにしても、プレイヤーがそもそもクジラに干渉出来ないはずなのだ。


「実機で見るしかない様ですね」


 芦田君が寝癖そのままの頭でそう言いながら、私を見て何故だか顔を赤くする。昨日酔って何かしたんだろうか私は。今はそれよりもテストを。慌てて私はテストルームへと向かった。




「モニタリングOK。やはりデータ上は異常は確認出来ません」


 芦田君が隣の操作室でモニタリングしてくれる中、仮想現実を起動する。揺らめいたゴーグルの中、いつも以上に静かな海が出迎える。何だろう気配が少ない……いや、無いという雰囲気。肌接触は無いはずなのに、皮膚が泡立つ気分がする。イソギンチャクはいつもの様に反応するものの、海亀も来ないし、小魚もいない。そして……。


「主任避けて!」


 思わずその声に上体を下げれば、何かが駆け抜けた。見上げれば巨体が通過した軌跡が。


「なんでクジラが! こっちに!?」


 大きく身体を捻りながらこちらに視線を向けたその目は優しくなんてない。まるでサメが獲物を見付けたかの様に私を捉えている。私はいつもとは違う意味で目が離せない。そして……身体に衝撃。


「え……嘘……」


 私は吹き飛ばされ……エリアオーバー――現実には壁にぶつかるはずが、するりと抜けて、足元の沈没船から落ちかける。ゴボゴボと私の吐いた息が、頭上に激しく上がる。


――何故! どうして現実を侵食してるの!


 そして、このまま落ちたらどうなるのか。私は恐怖する。狙いを定めたクジラが、またあの冷徹な目で私を見据えて、突っ込んでくる。


――嗚呼……いつも見ていたあの目はきっと、芦田君の優しい瞳だ。この『彼』じゃない。私はギュッと目をつぶると、来るだろう何かに備えた。




 気が付くとそこは医務室だった。ずっと誰かが手を握っていたらしく、目覚めて体を動かそうとした私に気付いて安堵の息を吐く。


「芦田君……?」


 ふわっとした笑顔で彼はそれに応えると、私が大丈夫そうなのを見て、色々話してくれた。


 誰かが隠しキャラクター的に仕込んだプログラムに【サメ】があったらしく、それがクジラに反映してしまったらしい、隠しコマンドというか、お遊び位の感覚だったのかもしれないけれど、あの巨体にその動きが反映するのは問題あり過ぎる。既に対処して修正パッチもユーザーへ配布済みだそうだ。


「でも、私、落ちかけたし、エリアから外れたよ?」


 あれは何なんだろう。ユーザーの身にあれが起きては困るのだけど。


「急いでいたから、初期設定をきちんと行わなかったですよね。最後にあれを触ったのが課長らしくて、身長と手を合わせたら、主任とは二メートル以上の差がある状態で計算されてまして……」


 いつもとエリア範囲が違い過ぎて、私の認識とずれたという事だったらしい。でもあの臨場感はそれ以上だった様に感じた。衝撃も錯覚だったの……? それに、あまりにもリアル過ぎる体験だった。


「現実的に言えば、お酒がまだ残っていたからかもしれません。でも、もしかしたらあの仮想の現実と先輩が、リンクしてしまったのかもしれません」


 クジラのプログラミングは僕も根幹に関わっていたんですが、まさかサメとは……と、頭をかきながらも私を労る手は力をこめ過ぎない芦田君。それを見て、私はクジラにいつも見とれていた自分の気持ちに気付いてしまった。


――そして恐らくは芦田君の私への想いにも。




 夢を他人に感じさせる事も出来てしまう……。そんな一つかもしれず、それもまた一つの拡張された現実なのかもしれない。未知への入り口へと成りかねない拡張現実。私は今回の体験でそんな事を思ってしまったのだった。


 でも、まずは目の前の現実にも一つゴールをあげないといけない。だから、私はゴーグルを通さず「彼」の目を見て伝えるのだ。想いを。


 私の突然の告白に、彼の返事は赤面とハグが返答だった。

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VaRiable whale 玉藻稲荷&土鍋ご飯 @tamamo_donabe

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