4-9 決行

 その頃、石角は洗面所脇のクローゼットで息を殺して泰造がやってくるのを待った。程なくして泰造の足音が聞こえてきたので、石角は音を立てないよう注意を払ってクローゼットから出て洗面所へ入った。ところが、そこには泰造の姿が見当たらない。

(どういうことだ?)

 石角がそう思った瞬間、背後から腕を掴まれてあっという間に羽交い絞めにされた。振り向くと、泰造の顔が牙を剥いた肉食恐竜のように目前に迫っていた。

(くそっ、先手を取られたか……!)

「甘い甘い。君たちの計画などお見通しなのだよ。メイソン……もとい、石角秀俊君!」

「知ってて泳がせるとは性悪な野郎だ。……しかし、おまえも実際に会ってみると、ただのチキン野郎にしか見えないな。とても〝パイン〟などと恐れらていた人物とは思えん」

「ほう……命乞いでもするかと思えば、この状況で私に憎まれ口を叩くとは、いい度胸じゃないか」

 泰造は掴んでいた手を捻り上げて相手を痛めつけた。石角は抵抗することもままならず、やがて手足をロープで縛りつけられてしまった。

「……このままで済むと思うなよ。おまえは息子のかたきだ!」

「おいおい、勘違いするなよ。私は君たち親子の恩人だろう、逆恨みもいいところだ。でもまあ、私に従っているフリをして虎視眈々と寝首を掻くチャンスを伺うのはいいとして、花菜に近づいて取り込むあたり、君もあまり賢くないようだね。あんな無防備で頭の悪い女を味方につけたところで足手まといになるだけだろう。その結果がこのザマだ」

「このクソ野郎、地獄に堕ちろ!」

「ふふふ、地獄に堕ちるのはだよ」

 そういって泰造は石角を蹴り倒すと、ダイニングへと引き摺り込んだ。石角は床に転げながら、使い込んだカーペットと食べ物の混ざった生々しい匂いにむせ返った。と同時に、部屋の隅を見て我が目を疑った。自分と同じように手足を縛られた花菜がそこに横たわっていたのだった。

「花菜さん!」

「うぐぐ……」

 花菜は猿ぐつわを口に嵌められていて返事が出来なかった。

「おい、仮にもあんたの奥さんだろう。こんな仕打ちは酷いんじゃないか!」

 すると泰造はしゃがみ込み、石角の髪の毛を掴んだ。

「人の女房をさんざんたぶらかしておいて、今さら何を言うのかね。情報屋の話では、君たちは随分仲良くしていたそうじゃないか。だから、せめてもの情けで一緒にあの世へ送ってやるよ。二人とも天国に入れてもらえるよう、今のうちに不倫の罪でもせいぜい悔い改めておくんだな」

「そうはさせるか!」

「ああそうそう。あの水の使い方だがね。洗面器に入れて溺れさせるなんて野暮ったいことはしないんだよ。冥土の土産に本当の使い方を教えてあげよう」

 泰造はそう言ってボンベのついた酸素マスクのようなものを二つ持ってきた。

「これは防災用の呼吸器を改造したものでね。ボンベに例の水を入れておくのさ。これがまた高性能なんだよ」

 泰造はマスクの部分を石角の顔にしっかりと取り付けた。石角は抗うことが出来ず、泰造にされるがままだった。「あとはこうして、スイッチを入れればおしまいだ……!」

 泰造が改造呼吸器のスイッチを入れると生臭い水が石角の体内に流れ込み、すぐに呼吸困難に陥った。数分も経てばこの世とおさらばだ。だが、このまま死ねば事故死にされてしまう。何とか他殺の証拠を残せないものかと石角が考えた時……


 ガツン!


 鈍い衝撃音がした。見ると、花菜が泰造の頭めがけてボンベを振り落としたのだった。花菜はガクガク震える手で石角に取り付けられマスクを外した。そして目を大きく開いて言った。

「私、縛られたフリをしていましたけど、本当はとっくにロープをほどいていたんです。夫は気を失っているわ。秀俊さん、今のうちに逃げて下さい!」

「どうして僕を助けてくれるんです? 話を聞いていたでしょう。僕は自分の復讐のためにあなたを利用していたんですよ!」

 花菜はかぶりを振って話を遮った。

「いいから早く! 私もすぐに逃げるから!」

 花菜に押し出されるように石角は松岡家から逃げ出した。そして少し離れたところから松岡家を観察し、花菜が出てくるのを確認すると急いでその場を離れた。そして自宅に戻ろうとしたが、色々思い巡らしている内にその足が自然に警察署に向いていった。

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