第四章 完璧な凶器
4-1 高架下
雁屋は久々に娘家族の相原家を訪ねた。娘の晶子は父親が訪ねて来たからと言って特別ご馳走を作ったりしない。それが不満なのか雁屋が嫌味を言う。
「晶子、おめえさんの料理ん腕もなかなか上がんねえら」
「お父さん、文句言うなら食べなくてもいい! 和也さんだって美味しいって言ってくれてるんだから」
「相原君、まずかったらまずいって正直に言いないよ」
「お父さん! 憎まれ口を言いに来たんだったら帰って!」
歯に衣着せぬ父娘の間に挟まって和也は宥めにかかる。
「お父さん、晶子さんの料理は本当に美味しいですよ。それより、サッカークラブの件、本当にすみません。本当は僕がするべきなんですけど運動はカラキシ駄目でお義父さんにお任せしてしまって……」
「なに、とんじゃかねえだよ。それより遼、最近来た新しいコーチぃどうだに。うまくやってるけ?」
「うん、すごく楽しいし、みんなドンドン上手くなってる。すごいコーチだって評判だよ」
孫の遼は嬉々として答えた。しかし晶子がそれに口を挟む。
「でもねぇ、あの石角っていう人、祐也君のママと仲良くなって何だか怪しいって噂になってるのよ。そういうのって子供たちの手前、教育上よくないんじゃないかしら」
「ほんだぁ、あからさまにいちゃついとるんけ」
「いちゃついてるってわけじゃないけど、祐也君ママ、手作り弁当を持って来て石角さんと一緒に食べたり……別に好きなら好きでいいんだけど、もう少し子供たちの目につかないところでやって欲しいわ」
「ほんだことなっとっただに。他にも何か石角さんの噂聞いとるけ?」
「あらやだお父さん、刑事の目になってる。石角さんって何かあるの?」
「いや、別に深い意味はないよ」
雁屋は茶を濁す。
直戸からきいた偽ヴァイオリン鑑定のことは伏せておいた。保護者との色恋沙汰は兎も角として、石角秀俊には何かある。雁屋の刑事としての臭覚が何やら蠢くのを感じずにはいられなかった。
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雁屋はまた遼のサッカー練習の見学に赴いた。すると松田祐也の母親である松田花菜も来ていた。娘が言うように石角が祐也の母親といちゃついていたら話しづらいが、彼女が息子を残して去って行ったので、雁屋は石角に近づいた。
「どうも、ご苦労さんだに」
「雁屋さん、今日も見学ですか。……しかし遼君も基本が安定してきましたね。ドリブルもパスもブレがない」
「そりゃ石角さんのおかげだに」
「いやいや、何をおっしゃいます」
「ところで孫に音楽もやらせたいと思っとるけぇが、おんしゃどう思う?」
「音楽ですか、いいんじゃないですか?」
雁屋は少しずつ核心に踏み込もうと試みる。
「石角さん、楽器やったことあるだか? ……たとえばヴァイオリンとか」
「いえ。学校で笛吹いたくらいで……それが何か?」
「あ、いや、ちいっと聞いてみただけだで……」
雁屋が話を続けようとするのを遮るように、石角は背を向けて子供たちのところへ向かった。
練習が終わると、雁屋は遼を連れて帰って行った。それと入れ違いに花菜も祐也を迎えに来た。石角はにこやかに花菜に近づき、そっと小声で話した。
「……遼君のお爺さん、何かに感づいているみたいです。もしかしたら警察官かもしれません。お互い気をつけましょう」
花菜はごく一瞬神妙な顔をしたが、すぐに笑顔を取り繕い、
「石角先生、ありがとうございました。さようなら」と挨拶して帰って行った。
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新幹線高架下のダンボールハウスの前で、一人の浮浪者が魚を焼いていた。近隣住民の苦情により、警官がやってきてやめさせそうとした。
「近所から苦情が出ているんだ。ここで魚を焼くのをやめなさい」
「……その近所って奴も魚くらい焼くだろ? 俺だって魚を焼く権利はあるさ」
「そもそもあんたのしていることは公共場所の不法占拠だ。すぐにしょっ引くことも出来るんだぞ!」
「おまわりさん、気が短いねえ。短気は損気。もっとドンと構えていなくっちゃ」
「何だと!」
といきり立つ警官の肩を誰かが掴んだ。恰幅のいいスーツ姿の男だった。
「……誰がどこで魚を焼いて食べようとその人の自由じゃないか? まあ、今日のところはこれで見逃してやってくれ」
男は懐から財布を取り出し、二人の警官に二万円ずつ渡した。それから警官は何も言わずにその場を離れていった。
「なあどうだい、食べていくかい?」
「本当に食えるのか、そんな魚」
「だから金持ちは困る。これは釣り人たちが外道だからって釣り場に捨てていくボラだが、キチンと処理すれば、そこらの高級魚よりうまいんだ。炙りにしてポン酢で食べたら最高だぜ」
「……やはりやめておこう。毒でも盛られてたら困るからな」
「さすがに警戒心は人一倍だ。……どうやら〝メイソン〟の奴、あんたに牙を剥くつもりだぜ」
「だろうな」
「それと、こっちも中々楽しめるぜ」
浮浪者が似つかわしくない茶封筒を取り出した。スーツ男はそれを受け取り、封を開けた。中には数枚の写真が入っていた。
「ふっ、〝メイソン〟の奴、やってくれるじゃないか」
「……どうする、老婆心ながら早めに手を打った方がいいんじゃないか」
「いや、このまま泳がせよう。奴ならこう言うだろう。『焦るな、時間をかけろ』とな。それと……」
スーツ男はコンロの上の魚を素手で掴み、近くにいた野良猫に差し出した。猫は凄まじい勢いで魚を平らげたが、直後苦しみ悶えて息絶えた。
「私も老婆心ながら忠告しよう。私へのこんな悪戯が許されるのは、これが最後だと思え」
スーツ男はそういい残して去っていった。浮浪者はその後姿を憎々しげに睨んだ。
「くっ、〝パイン〟め! くたばってしまうがいい……!」
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