3-2 原付の少女
原付の運転手がフルフェイスのヘルメットを脱ぎ、素顔を晒した。見るとそれは高校生くらいの少女であった。
「俺たちン後つけてたけぇが、何か用け、お嬢ちゃん」
「あの、さっき柏木モータースに来ていた刑事さんですよね。私は社長の娘の柏木美奈と申します。実は……父が刑事さんにお話出来ないのには理由があるんです」
「理由……是非聞かせてくりょ」
雁屋は柏木美奈を車の後部座席に座らせ、話をきいた。
「実は、父は怪しい業者に付きまとわれているっていうか、脅されていて、それで何も言わないように口止めされているんだと思います」
「怪しい業者……どんな人物かわかるけ?」
「いいえ、いつも電話してくるだけなんですが、父はその人物のことを〝パイン〟と呼んでいます」
「〝パイン〟? ばか甘そうだに……」
「お願いです。父を助けてくれませんか。このままでは〝パイン〟に何かされそうで……その代わり、刑事さんが欲しがっていた村下周三という人の免許証のコピー、探して写メします」
「わかっただに。気持ちぃありがたいけぇが、無理せんでくりょ。お父さんがパインっちゅう怪しい人物に襲われんよう、パトロール手配するで」
「ありがとうございます、よろしくお願いします」
柏木の娘はそういって深々と頭を下げると、再び原付に乗って去って行った。
†
その近所に雁屋おススメの鰻屋があるというので、直戸は物は試しと、そこに入ることにした。雁屋によればガイドブックにも載らない穴場ということだが、古ぼけた店内はいかにも時流に媚びない佇まいだ。最近買ったらしい液晶テレビだけが場違いな新しさを醸し出していた。
「いらっしゃいませ、ご注文はいかがいたしましょう」
「ええと、うな重二つと烏龍茶……おんしゃビールけ?」
「いや、ビール飲むと魚が生臭く感じるんで俺も烏龍茶にするよ」
「かしこまりました、少々お待ちください」
店員が厨房に入ると、直戸と雁屋はテレビの画面に目を移した。ローカル局による地元の名士へのインタビュー番組が放映されていた。
「本日は駿府大学人文社会科学部教授の大河内安彦さんにお話をしていただきます。では、大河内先生、よろしくお願いします」
「……よろしくお願いします」
テレビの中の大河内教授を見て直戸は「あっ」と声を上げた。
「なんでぇ、大声出いて」
「ちょっとこれを見たまえ」
直戸は歩夢の描いた肖像画を取り出して見せた。雁屋はそれをテレビの画面と見比べて驚いた。
「ほぉ、こりゃよく描けてるだに。ホクロやシワん位置まで同じだで」
「実はこの男が店にやって来たらしいんだが、その時道下君は急に眩暈がして気を失ったようなんだ。この絵はその時の記憶を頼りに、道下君が描いたものなんだよ」
「そうかね。ほんだぁ早速こん大学教授さんに会わまいか」
「その前にうな重だ」
といって直戸は運ばれてきたうな重に箸をつけた。
†
それから直戸と雁屋は駿府大学浜松キャンパスに向かった。
大学の事務局の受付係に訪問の旨を伝えると、運良く教授は自室にいるとのことで、直戸たちは教授室へと向かった。入室すると大河内教授は社交的な笑みを浮かべて彼らを迎えた。
「これはこれは綾小路さん。つい先だっては留守中にお邪魔して失礼しました」
「いや、こちらこそ。ところで今日お邪魔したのは……」
直戸は大河内教授が来店し、携帯の着メロがきっかけとなって気絶したことを掻い摘んで話した。教授は神妙な面持ちで直戸の語ることに耳を傾けていた。
「少し様子がおかしいとは思ったのですが、あの後そんなことになるとは……配慮が足らず申し訳ありませんでした」
「いいえ。それよりも、道下君がパニックを起こした原因について心当たりはないでしょうか」
「彼は私の携帯の着信音が引き金となって発作を起こしたようですが、その着信音は『ほろしつみ』という、かつて遠江国で発祥した古い童謡です。歌詞はこんな感じですね」
大河内教授は机からプリントを出して直戸たちに見せた。そこには『ほろしつみ』の歌詞が印字されていた。
〽︎鷹さん呼ばはばほろしつみ
鳥さんむかさりみのりつみ
観音さんの
ついに
色の照る日も
「……先生、これは何を歌い表しているのでしょうか?」
「おそらく婚姻の歌と思われます。鷹は身分の高い男性でしょう。『呼ばふ』とは求婚を意味しますが、それに対し鳥に比喩される女性が嫁に迎えられるというわけです。『むかさり』は嫁入りを意味する古語ですね」
ここで雁屋が口を挟んだ。
「『むさかり』ゆうたら、山形県の『むかさり絵馬』思い出すもんで、東北ん方言だと思ったんなぁ……」
「たしかに『むかさり絵馬』が有名なのでそのように思われがちですが、文献によれば中部地方の各地で嫁ぐことを意味する『むさかる』という言葉が記録に残っているのです」
「なるほど、ところで歌の意味は?」
「歌詞にある『ほろしつみ』と『みのりつみ』ですが、これはヤマホロシの実を摘むという意味で、おそらく当時の婚姻の儀式と関連性の深い行事であったと推測されます。そして、『観音さんのきざはし』というのは観音を祀った寺の境内にある段で、そこで婚姻の儀式が執り行われたのでしょう。ところが、それも終わってみるとすっかり恋の熱も冷めてしまう。『色の照る日も空にあり』は般若心経の『色即是空』を拝借したものと思います」
「なーんだか、ちいっと切ない歌詞だら」
「ええ、当時は色恋に逸りがちな若者を諭す意味でこのような歌が生まれたかもしれません」
「なるほど。だけぇ気絶するほどトラウマにんなるような歌詞でもありゃせんで……」
と、その時雁屋の携帯にメッセージの着信があった。
「あ、柏木の娘からですね」
「村下の免許証コピーの写真か?」
「ああ、あんなガード固ぇ社長ん目ー盗んで、よぉ撮れたのぉえ……って、ちいと待ってくりょ。こりゃ例の水死体だに、佐鳴湖ん浮かんどった……」
「なんだと……!」
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