第一章 影の名探偵

1-1 佐鳴湖

 浜松市・佐鳴さなる湖畔のとある料亭で結婚披露宴が行われていた。新婦が地元産業・潤和じゅんなアクアケミカルの社長令嬢ということで、多数の招待客がひしめいていた。

 この料亭は窓から見える湖の絶景で有名なのだが、新婦の父親である社長の長話が延々と続くので、招待客たちはせっかくの絶景を楽しむこともなく、疲れてゲンナリしていた。

 大の大人でさえそうなのだから、幼い子供たちが痺れを切らすのも無理はない。やがて、親族の子供たちが退屈のあまりこっそり会場を抜け出してしまった。社長の挨拶が終わってホッとしたのも束の間、子供たちがいなくなっていることに気づいた親たちは慌てて探しに回った。


「いたぞ! 湖の方だ!」

 探していた一人がそう叫んだので、迷い子の親たちは一斉に岸辺に集まった。そして確かにそこに子供たちは集まっていたのだが、どうも様子がおかしい。顔は血色を失い、みな呆然と立ち尽くしていた。

「あんたたち、探したのよ! 一体何をしていたの?」

 一人の母親が厳しく責め立てると、その娘は真っ直ぐ指差していった。

「あれ……」

 娘の指差した方向には草の茂みがあった。目を凝らして見ると、草の隙間から人間の足らしきものが見えた。さらに近寄ってみると……

「いやあああっ!」

 彼女が悲鳴を上げたので、驚いてみなそこにやってきた。そこにはが俯せになって浮かんでいた。


      †


 身元不明の男性の水死体が佐鳴湖で発見されたと通報があり、地元の交番から警察官が駆けつけ、初動捜査にあたった。それに続いて浜松中央署の刑事、雁屋誠憲かりやまさのりもやって来て視察した。

「ご苦労、調子はどうでぇ?」

「そうですね、死因は溺水による窒息死、つまり溺死というわけですが、争ったり、もがいた形跡がないところを見ると、入水じゅすい自殺の可能性が高いと思われます」

「……言い切るねェ。鑑識まだだら?」

「ええ。でも例えば転落したり無理矢理誰かに溺れさせられたとなると、暴れた拍子に湖底が荒らされ、泥成分などが身体に付着する筈ですが、そういったものがないのです」

「だけぇが、犯人が洗い流したかもしれんに?」

「まあ、確かにそうもいえますけど……」

 交番巡査は雁屋がいちいちケチをつけてくるのに苛立った。そんな時、雁屋の携帯が鳴った。

「はい、雁屋……え! 了解、ちゃっちゃと行くにー!」

 そうして通話を終えた雁屋に、交番巡査が空々しく尋ねた。

「何かあったんですか?」

「浜名湖ん方でも水死体ぃ上がったもんで、ちいっと向こう行かにゃならん。こっちほっぽかすけぇが……」

「了解、行ってらっしゃい」

 交番巡査は雁屋に敬礼したが、本心では厄介払いが出来てホッとしていた。


      †


 次なる水死体が発見されたのは、浜松市西区舘山寺町、浜名湖の湖岸であった。やはりこちらも身元不明の男性、泥成分の付着していない溺死体で、初動捜査に当たっていた捜査員から話をきくと、やはり入水自殺の可能性が高いということだった。

(佐鳴湖の水死体と浜名湖の水死体……偶然にしちゃ状態がバカ似だもんで、どうも事件臭い……)


 中央署では佐鳴湖、浜名湖の両方の事件を自殺の線で捜査を進めていた。しかし、雁屋は他殺を疑っていた。それはいわゆる〝刑事の勘〟とでもいうもので証拠はなかったが、雁屋は自分の勘に自信を持っていた。

(調べれば何か出る。鑑識ん結果待とう……)

 だが、程なくして知らされた鑑識結果は雁屋の期待を裏切った。

「自殺と断定!?」

 雁屋は刑事課長に食らいついた。

「ああ。鑑識課の上杉君の話では、二体目とも肺の中にはそれぞれの湖水が充満していたそうだ。しかもその水には湖底の成分が含まれていなかった。これがどういうことかわかるかね。仏さんは水に溺れてもジタバタしなかったということさ。つまり普通に考えれば自殺ということだ」

「ばかこくでねぇ、同様の水死体が別々ん場所で現れただら?」

「仕方ないだろう、偶然は偶然。ともかく、本件は自殺で間違いないんだ。だからウチでも捜査しない。ああ、念のためいっておくが勝手に捜査なんかするんじゃないぞ。捜査費用は出ないし、それどころかもし捜査していることが上に知れたら懲罰ものだからな」

 課長から釘を刺され唇を噛み締めながら、雁屋は一人の男のことを思い浮かべた。綾小路直戸……元刑事で影の名探偵と呼ばれる男だった。

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