急ぐお父さん

モモスガ

急ぐお父さん

霧が出ていた…こんな町中で珍しく車のヘッドライトを付けていないと、周囲が見えないくらい深い霧だった…

仕事先へと向かおうとしていたが何とも運がないと感じた…

仕方なく車の速度を落とし走っていると、

早朝にあった母からの電話を思い出した…

目覚まし替わりとなった、その電話は父が亡くなったという知らせで、私は特に悲しみも感じる事なく

「そうか…仕事終わってから、また連絡するわ…」と答え電話を切った…

深い霧の中を仕事場へ車を走らせながら、

「これは、道に迷うで…」

と独り言を呟くと、

走馬灯の様に父と過ごした日々が溢れて止まらなくなってしまった…


小学校低学年のある日、父は三人兄弟の長男の私一人を連れて母に

「ちょっとマサヒロと一泊で花火観てくるわ…」

それだけ伝えると母の顔を見る事なく、私を連れ出した。

私は何も言わない母の顔を覗き込んだが、

母の顔は無表情だった…


私は車が大嫌いだった…当時の私は乗り物酔いが酷く、特に父の車はタバコと香水の匂いがキツくて、たまらなかった。

記憶に残るのは幼稚園の時…

父はゼンマイを巻くと羽ばたき飛ぶ、鳩のおもちゃを山程購入して、

良く私一人を連れて公園などへ行き露店を開いて、一個五百円で売り歩いていた。

父は私に向かって

「マサヒロ、これで遊んでこい!」

私は鳩のおもちゃを受け取ると父が出した露店の前で鳩のおもちゃを飛ばし遊んだ。

まあ、サクラをヤラされたわけだか…

(ちなみに鳩は白と茶色のニ色あり、私は白が好きだった。)

そして、父がトイレに行った時は私が店番をしていた…

「ボク…これ幾らかな?」

「五百円…」

けっこう売れたのを覚えている…

とにかく…移動はすべて車だったので、私は乗り物酔いとの闘いを強いられた。

「吐くなよ!」

そんな私に父は、車へ乗るごとに私に言い、

私が車内で吐く度にキレた。

だから、泊りがけで花火なんて

『どれだけの時間、車に乗るのか?』と

子供ながらに血の気が引いた…

そう思いつつも文句を言える訳もなく、渋々付いて行くしかなかった。


『彼女』は母と全くタイプが違っていた…

父にはベッタリだったが私に冷たくする訳でもなく優しかった…

そんなシーンは高校生になってからも見かける事になり、私は父の『彼女達』に紹介される度…

「うちのチビや…」

(全然、体は小さくはなかったが結構大阪の方では子供の紹介に使われるのかな?)

と言われれば

「初めまして…」

と言うのが常であった…

しかし、父も毎回バツが悪かったのかタバコを逆さまにくわえる事が多々あった…


ホテルに宿を取り、近くの食堂で夜食を済ませると花火が良く見える公園まで、真ん中に私を挟み三人で手を繋いで歩いた。

もうすでに周囲は暗くなっていたが、公園が近くなると人が増えていった…


花火が打ち上がると歓声が起き、周囲も花火の光で明るく見えたが、背の低い小学校低学年の私には周りの大人達であまり良く見えなかった。

「キレイやね…」

彼女が手を繋ぐ私に向かいそう言うと

「うん…」

私にはよく見えなかったがそう答えた…

父はすでに私の手を離し、離れた所でタバコをふかしていた。


私はいい加減に過ごしていた…

ろくに就職もせずに、父が亡くなった当時の仕事も元ヤクザの社長が経営する中古車販売店の同じ敷地内の片隅にある、平屋のプレハブ建築の建物の中に開いた、モグリのマッサージ店で働いていた。

暇な時は客が購入した中古車を家まで届けたり、ひたすらマッサージ店のチラシをコピー機で印刷したり、マッサージ店が忙しくなると中古車店の軽自動車で出張していた。

なので当然、父の葬儀費用など出せる訳もなく、父の弟…つまり叔父が何も言わずにすべて捻出してくれていた。


叔父は私達兄弟にとても良くしてくれていた…

父は四人兄妹の長男で間に妹、弟、妹と妙にバランスの良い並びであった。

父は兄妹達に片っ端から金策を行い、総スカンを食らっていた。

叔父の奥さんも私達家族とは関わりたくはなかったはずだが、叔父はそんな父の元で育つ私達兄弟をとても不憫に思ってくれていて、

事あるごとに励ましてくれていた…


叔父が私達兄弟に言う決めゼリフ

「…お前ら、わかってるな…あれは反面教師やからな!…」

後に私が結婚する時にもこのセリフで念を押された。


そう言えば父も私達兄弟に良く話をしていた…楠木正成の三本の矢…

父は鉛筆三本重ねて

「お前ら三人が力を合わせれば…」

そう言って鉛筆を三本圧し折っていたな…


父は仕事人間だった…

普段、家にはほとんど帰らず、たまに帰って来るのがとても嬉しかったのを覚えている…

私と三つ年下の三男は近所の幼馴染に

「今日、お父さん帰ってくるねん!」と

嬉しそうに言うと

「お父さんは毎日帰って来るもんやろ?」

と言われたそうだ…

仕事も良くできた人で、多額の借金は背負っていたものの(当然、自分で作ったものだが…)

私が高校生になった頃には市内の不動産会社で営業本部長をするまでになっていたようだ…


安ホテルの硬いベッドで寝つけずにいると

彼女が入って来た…

裸の彼女に抱きしめられ

「…暖かいでしょ?…」

そう言われたが私は母が恋しくてたまらなくなった…


父はどうやら彼女に借金をしており(先程の話…多額の借金の一部にあたる…)

「別れたければ借金を返せ」

と言う事を、

ある日、私達の家に来て、父の母(祖母ね)と父と彼女と母を交えての話し合いをしていた…

父は怒鳴りながら言い訳し、

彼女は正当な理由で来ているものの、かなりバツが悪いのか、ずっと下を向いていた。

祖母も父に負けず短気なので父を叱り飛ばして、そして…母はずっと泣いていた…

私達兄弟はと言うと…幼い三男は居場所を探してうろちょろし、私と一つ年下の次男はそれぞれ(怖かったので話を聴かないように)一人遊びをしていた…


結果…父は借金を返済できず彼女と暮らす事になり、私達兄弟は母と暮らす事になるのだが、父は長男の私をどうしても連れて行きたかったらしく、事あるごとに私を彼女と暮らす家へ連れていき、ある日…

「…今日から、お母さんと呼べ!…」

と父に言われた私は父への畏怖の感情もあり、彼女を

「…お母さん…」

と呼んだ…

ちなみに次男も同じ事を言われたが断り、

どつかれと言っていた…

ほどなくして彼女は妊娠し出産して妹が生まれ、私は図らずとも父と同じ四人兄妹の長男となった…

父は私に妹とやたらと会わせた、父の家に行く度、

「こっち小学校にけえへんか?…」

と勧められ、私は子供ながらに

「妹が一人で可哀想だな…」

と考えていて、小学校の同級生の友人には

「俺…転校するかも?…」

とよく話をしていた…


結局、父の目論見は失敗に終わり、父と母は私が小学校高学年の頃に離婚、私は母と兄弟達と暮らす事に決まった。


父はオモチャの個人販売からオモチャ会社の営業を経て不動産会社へ転職した後、しばらくして大手不動産会社に移籍の際、

契約金一億円を手にしたはずであったが、いつの間にか使い込んでしまって借金まみれとなり、(先程の多額の借金の大半…)

また、他の市内不動産会社へと転職した…


私が中学生の頃によく我が家へ借金取りが押し掛けて来て喚いていた。


私は運が良いのか悪いのか、借金取りと出くわした事はなく

「本妻がこんな所に住んで愛人の方がええ所に住んでるがな!」と

借金取りは母に向かってそう喚いていたらしい…(彼女には契約金でマンション買ってあげたそうだ…母と私達兄弟はニ階建ての文化住宅の一階に在住…)



小学校高学年になった頃、私の母と父と兄弟達で遊園地へ出かけた…今思えば最後の家族連れで遊んだ記憶だ…

父は別れ際、ソフトクリームを食べる私に

「マサヒロ…お前も大人になったら俺の気持ちがわかる…」

「…うん…」

私は曖昧に返事はしたが当時は、あまり良くわからなかった…今現在は良く理解できる所と無理な所もかなりあるけどね(色々な意味で)…


遊園地と言えば…父と鳩のおもちゃを売り歩いていた幼稚園の頃、たまたま次男も一緒だった事があり、閑散とした遊園地で人もほとんど居なくて、おもちゃも売れなかったので、次男と二人で遊園地の中を(お金もないので遊具で遊べるはずもなかったのだが…)手を繋ぎ歩いていると、すり鉢状の大きな舞台を見つけた。

「ここで、ヒーローショーとかやるんやで!…」

と私が言うと次男は感動したかの様に嬉しそうな顔をして

「いつやるの!」

と私に聞くので

「また今度やるで!」

と私は胸を張って言った。


後々…次男とこの話になった時、

「あの時、一緒にヒーローショー観たなぁ!」

と嬉しそうに話すので

「…そうか…」

私はそう返事した…

次男にとっては強烈な印象の記憶で、誰も立って居なかった舞台を眺めていた記憶のある私との違いに、涙がこぼれそうになった…


父は決して身長は高くはなかったが身なりはいつも綺麗していた…頭はいつもバッチリ七三分け、高級なスーツ姿で普段を過ごし、近所の奥様方からは

『アル·カポネ』

と密かに呼ばれていた…

『カポネ』はスーツの裏地にまで、こだわりがあり良く私に裏地を見せてくれた…

「虎柄や!…エエやろ!」(今で言うタイガーストライプね…)

「うん!…カッコええわ!」

父が嬉しそうに話すと私も嬉しくなり、父に同調した。

私は父の側にいる事が好きだった…

たまに帰って来て家にいる時は、ノースリーブシャツとトランクス姿でソファーに腰をかけて、のんびりしている父の太ももに腕をかけ持たれかかり、トランクスの横から父のハミチンが見えていたが気にする事なく、

自称、空手三段の父のドス黒く固くなった拳だこを触るのが日課になっていた。


ある時、父が帰って来たが前歯が四本無くなっていた…

「!…どうしたん?」

私が父の顔まじまじ見て焦って聞くと

「くそぉ~!…顔面殴られてなぁ…」

父は言葉とは違いニヤニヤ答えた。

そして、数ヶ月後…

父が久しぶりに帰って来ると前歯が全部揃っていた…

「!…お父さん、歯が生えてる?!」

私がビックリして聞くと、

「エエやろ!…鉄の歯や!…マサヒロ、これで俺も『噛みつき』出来るわ!!フレッドブラッシーや!!」

父は昔噛みつきで有名なプロレスラーの名前を出し、

悪魔の様な笑顔で独特の引き笑いで笑った…


悪魔の様な笑顔で思い出したが、

「彼」と同じ笑顔に見えた…


『閻魔大王』…冥界(あの世ね…)の門の審判であり、冥府の王様…

父の笑顔は彼の笑顔と瓜二つに見えた…


何故、「彼」と『懇意』になったのかは解らないが…

多分、あの頃からだったと思う…


私が天気を『死人を迎える入り口』として気にする様になったのは小学校高学年の夏、父方の祖父が亡くなった時からだ…

母に朝早く起こされて、目を開けると眩い朝日がカーテン越しだと言うのに、目に飛び込んで来て、手をかざさないと本当に眩しかった。

「…おじいちゃん死んだよ…」

母は少し寂しそうに話した。

目の前にある眩い朝日の光とは合わない言葉に聞こえたが、

私は本能的に『旅立ちの朝』だと感じた…


その日以来…私は肉親や知り合いが亡くなった時に、

空の天気を『死人を迎える入り口』として見る様になった…

それから…だいたい、天気の具合でその人の『行き先』が解る様になっていた…


祖父は本当に優しい人であった。

家は元々、山形県が出自で祖父の父…ひいおじいちゃんは警察官で、それは厳しい人で鬼の様な人であったらしい…

長男だった祖父はかなり厳しく教育されていたようで祖母には、

「あの人は人間やない…」

と漏らしていたそうだ…

そんな父親と縁を切り、群馬県出身の祖母と結婚し大阪へと出て来て、そこで第二次世界大戦の中、空襲にあったと祖母から聞いた。


私は祖父の眉間シワさえ見た事もなく怒った所を見た事がなかった…

祖母の話だと祖母にだけは注意喚起を良くしていたそうだ。(短気な祖母へ息子の嫁に口を出すなとか…)

戦時中も祖父は戦争へは行かずに知人と中国の上海で仕事をしていたと祖母が話してくれた。

祖父は技師だったらしく、戦争が終わってからは工場を経営して生計を立て、当時としては贅沢な暮らしをしており、昭和十年生まれの父には家庭教師が付いていたそうだ…

そんな祖父の元で甘やかされ育った父は気のままに育ち、自己中心的な人格になったようだ。

その後…祖父は、その知人に騙され工場は奪われて、私が知るかぎりの祖父の住んでいた家はコント仕立ての趣きのある家であった…


祖父の葬儀が行われる前…たまたま私一人が祭壇の前に並べられた椅子の一つに座っていると、

眠くなりウトウトして右側に倒れそうになったその時、

ふっと大きな手があてがわれ、私を支えた…

私はとても眠くなっていたので少し目を開けて、あてがわれた手の上の方を見上げると、身長ニメートルは超える大男が隣に座り、私の右頬へ大きな右手をあてがっていた…

私が眠い中、不思議そうに大男を見てみると、

大男は漆黒の僧侶の様な格好をし、

顔じゅうに生えたかの様な剛毛そうな髭づらの強面の顔を歪め、悪魔の様な笑顔を見せると

「…私の事は言わずとも解るであろう…お前の家は代々…人に利用されてはいるが、気にする事はない…」

大男がそう言い終わると私は眠りに落ちた…

それが『閻魔大王』だと子供ながらに何となく理解した。


父の葬儀は市営の施設の小さな一画を借り行われた。身内だけの列席のはずであったが、私の勤めるモグリのマッサージ店の社長も奥さんと生まれたばかりの赤ちゃんと舎弟…いや、従業員一人と来てくれた。


父の死に顔はとても成仏した様には見えない顔の相ではあったが、六十八歳で生涯を終えた…

父の願いは二つあり

「太く短く生きたい」

「もう一花咲かせたい」

だった…前者はかなったが後者はかなわなかった。


来てもらった社長や皆に順に父の顔見てもらっていた…

「…何、笑ってんねん!…」

社長は少し困った様な笑顔で私に突っ込んだ…どうやら私は満面の笑みを浮かべていたようだ。

「えっ?…あっ!…そうですか?」

私は昔から辛かったり悲しいと、つい…笑顔になってしまう…今だに何故だが解らないが…

しかし、一つ言えるとすれば、父を見送ってくれる人が一人でも多いのが、嬉しくてたまらなかったのだと思う…


その後、母が言っていた…

「…あの人で良かった…私はあの人のおかげで、成長させて貰った…感謝してる。」と…


現在の私は、結婚し子供も一人…男の子がいて病院に勤めている。

嫁さんには

「あんた…そんなに慌てて早く仕事場行ってどうするの?…もう少しゆっくりしたら?」

と良く言われている。

私はある意味、父と同じく生き急ぐ様に日々を過ごしていた…

のんびりするよりは何かしていた…

飽き性だが多趣味で、やる事には事欠かない性格だ。

とにかく、時間が速く過ぎる事を望んでいた…「何故だろう?」と自問自答した答えは…

『父に早く会いたい!』

と言う思いだった…


霧が出ていた…

私は霧の中、全力で走っていた…深い霧で視界は、ほぼ無かったが目的地は解っていた。

しかし、なかなか前に進んでいる気がしなくて、ふと全力で振る手足を見ると小さく幼かった…

私は小学校低学年の子供になっていた。

父と過ごしたあの頃の私に…

しばらくすると、霧の中にバス停が現れた。

バス停の長椅子にうなだれた男が腰掛けていた…父だった…

「ハァ…ハァ…お父さん!…どうしたん?」

私は息を切らせながら父に尋ねると

「…マサヒロか?…バスがけぇへんのや?…ずっと待ってんのに…」

父は覇気なく打ちのめされたように答えた。

私は父の手を力強く握ると、引っ張り立たせた。

父は驚いて恥ずかしそうに私の顔を見ると、手を握り返してきた。

私は嬉しくなって父を強引に引っ張り走り出した…

「マサヒロ!…何処行くんや?」

「僕に任せてくれたら、大丈夫やで!」

私はそう答えると、さらに父を引っ張り走った…光が差す方へ…

おわり





















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