ある女の一時期

ジュン

第1話

私は箸を置いた。食べ終えた後の感覚は、食べる前とあまり変わらない。箸の先には、米の粒のつぶれた糊のようなものが付着している。私は、いつも食べ終わると、なにか一つの段階を終えたような気がする。これは、頻繁に繰り返される。昨日も、朝昼晩とその間の何回かに渡って私は食べてそして最後に箸を置く。箸は、二本は、互いに同じ向きを向かず、無造作に投げ出されたように、互いに違う方向を向いて、バラバラにただそこにあるというふうな感じだ。私は、食後に若干汗ばみ、そして、また、この一段落の後に、ずっと、あるいは幾分先には、またこの繰り返しが待っていることはもちろん承知していたが、とりあえず、今は落ち着いたところだ。この茶碗たちもいつまでも放っておかれるわけにもいかず、洗ってやらねばいけない。そうだ、私はそう気がつきつつも、そうそう直ぐに急いで洗う必要もないだろうと自分に言って、そして、台所に行って、金属製の急須様と湯のみ、これは、洋風のカップというほうがあっている、を持ってきて、遅ればせながら、やかんに水を注ぎ、それから、ガスレンジに掛け、点火して、直に湯になるのを待つ。この待ち時間は、妙に扱いにくい。早く沸いたらいいのに、と思いつつ、この間に一つや二つ、なにか考えていられるだろうという気になって考え出す。が、この考えの途中の段階で湯が沸き騒がしくなると、私は急かされて、中断されるようで、もう少し後で沸騰してくれたら、もっと助かるのになあと毎回思うのです。

食事の風景はこのようなもので、この食べるということは、人が生きていくうえで避けては通れないような錯覚に陥ります。懐かしい、久々に肉を、古い鍋で焦がすあのにおいは、なにか気まずさや、害するような、逃げたい気持ちを起こさせるものです。私は、その感覚を気にかけながらも、椅子にもたれて、お茶を飲んでいました。このように書くと、私は、いつも自分で料理をする、コンビニの弁当やパンなどは買わない人なのかなと思われるかもしれないが、私は、朝食は買って食べる、夕食は作って食べることが多い、という人間です。

食事というのは、食べるということは、なかなか厄介です。恐ろしい情景さえ思い浮かべる人もいるくらいです。一人、部屋で、なにかを食べる。たとえば、年頃の女性、15歳くらい、思春期を過ぎると、身体のことがすごく気になりだして、特に級友、部活動のカッコイイ先輩に会うと皆うつむいてしまうといった感じです。一般に初潮というのは小学校の高学年くらいに経験するようですが、この辺からいうと、女子は男子より成熟が早いみたいです。それで、思春期以降、男子、女子ともに、身体に注目するわけですが、女子の場合、食べることともろにからめて考えようとするようです。

少女は箸を使うことは、あの思春期の気づき以来、こんりんざい御免だ!というふうに思って、それで彼女は箸を使わない食べ方で食事を済ますことにしたのです。パンを箸で食べないのです。手で口元に近づけたら、勢いよく口の中に押し込んで、噛みきって、ようやく飲めるほどになると直ぐに、どんどん飲み込んでいくのです。あまりの悲しみと、そして恥を感じるので、それもここからはじまり、それを隠すのもこの方法を使うので、彼女はいつも疲れているわけです。私は、一緒に台所に立つと、せいぜい、自分のできることといえば、なにも、ほとんどなにもできはしないということを悟るくらいです。彼女の口元の洋菓子のクリームの白い、その一部が、今の彼女の状態を詳細に語ろうとするので、私は耳をすませました。耳だけでなく、目からも声を聞こうとして、目をすませました。

彼女は、まだ私に直接、声を使って語ろうとはしないのだけれど、そんなことは期待してはいけないのだなあということが、後になってわかるのです。語る、それも嘘を交えずに語ることほど恐ろしいことはないので、よっぽど、信じられなければ本当のことを口にすることはないのです。泣きながら、あの相貌でもって私に言葉では伝えられないけれど、今、あなたが私の隣にいるということから、どれだけ私があなたを信じているかをわかってほしい。私は、あまりにもあからさまなものは、私が伝えたいもの以上に伝わってしまって、それが、彼にとって、彼の力よりもはるかに上回っていたら、それ以後、彼は私のまえには現れなくなるだろう。彼女はそう思ったので、この自分の気持ちというものを、言葉にして彼に伝えることが恐かったのです。

私は、強く抱き留めてあげたいと思いました。それほど、彼女が愛おしく感じられたからです。言葉の応戦を望まない二人は、もっと先までゆく必要があるのでしょう。この手前の段階は、ある人たちにとっては容易に通過しその先にゆくのに、別のそうでない人たちにとっては、この途中の言葉の段階は、どうにも自由にならないのです。だから、あえて、もっと先のあの、むしろ恥ずかしい有り様というものの方が、手近なように思えるのでしょう。私は、この無視された段階をいつか、やはり取り戻す必要があると思っています。私たちのような人たちの方は、いつもこのとばされた段階を取り戻すことを気に掛けているのだけれど、それをいつ取り戻せるだろうか……機が熟すのを待つというのは間違っていないと思うけれど、あの恥ずかしさ、私たちの方にとっては、なによりの恥ずかしさは、いつか、対面し、対決し、奮い起こさねばならない、そういうものだ、そういうふうに思うのです。

やかんが騒がしくなってきました。一人部屋にいると、あのやかんのふつふつと泡がではじめて、うるさくなってくるので、本沸騰まで、後どれくらいかかるかということを経験から逆算して、あと1分くらいは考えていられると思うのです。彼女の誠実さは、やかんの沸騰のあの勢いに被ってきて、私は、一人部屋にいて、誰も見てはいないのだけれど、そう、オテントサマも見ていないと思うのだけれど、彼女に見合う誠実さを私も持ちたいと願うので、やかんを火から下ろすまでの間だけでも、誠実に振る舞おうとするのです。この意志はしばしば挫かれるのですが、それも人間の現実の有り様なんだという理解もあるので、やがて自分はなんとか生活できるほどには落ち着いてくるのです。

箸の先のつぶれたやつ、あれはもう乾燥して、なにか板のようになっていました。私は、台所に立って、スポンジに少し水をかけ、それからキッチン用の洗剤を垂らして、そして手で握って放してを数回やって泡立てて、洗う準備ができたところで、洗ってない食器を洗い始めました。

この食器を洗うというのは、やるまえは面倒で、やりだすと途中で止めるのが逆に嫌で、終わらせてしまいたいという気持ちになるから不思議です。食器がどんどん洗われていって、そしてすすいで最後の方では本当にいろいろ美しいような状態になっていきます。自分もなにか満足感のようなものまで感じるので、面倒なこともやりだしたら、さほどでもないと毎回毎回思うので、最初のやりだしの時がもっと面倒でやる気がないというものでなかったら、全部、楽なものになるのにといつも思ってしまいます。そうして今は、最初というものは、自分が選ぶことではない、機械的にやりはじめてしまえばいい、などと言い聞かせてやっているのですが、これは、おもしろくないもので、できることなら、やりたいくらいの気持ちになれたらいいのにと毎回思ってしまいます。箸の先を丹念に洗うと大方の米粒は離れていってくれるのだけれど、なかなかしぶといのもいて、若干ザラザラが残るのです。それはほとんど気になりません。

彼女はお酒をよく飲むのです。この酒というのは、私は機会があれば飲むというくらいで普段はまったくというほど飲まないのですが、飲む人はたくさん飲むんだということは知っています。

ところで、酒とそうでない食べ物というのは、実はよく似ていると思うのです。食べるというのは一つのメカニクスで、食欲の異常は工学技師に診てもらうほうがいいのではないでしょうか。どのような機械も動力があって動く。シリンダー、その中のピストンは前進と後退を繰り返すことで運動をどんどん伝えて、ある一定の機械運動がある役割をしてくれて、利用者はその役割が有用なのでとても助かる、というものです。私は、あの彼女たちの実態は、機関士を必要とする勢いに余る蒸気機関車たちだと思いました。それで、彼女らに機関士は欲しくないのかい?と尋ねると、欲しいのだけれど、近づくのも、近づかれるのも恐いわ!と返答してくれました。機関士のなにが恐いの?と訊くと、私のこのままならない状況は、望んだものではないけれど、しかし、助かってもいるのよ!と答えてくれました。機関士は、結局、彼女らにとっては、時期尚早なのでしょう。この肉体の機関車たちのその暴れ馬のようなポニーたちは、なかなか巧妙なメカニクスに拠っているんだなあ。しばらくは、そのような理解でよかったのだけれど、彼女らのあの「望んだものではない」という説明句は軽々と無視できるものではないと思うので、私は、やはり機関士を彼女らは欲しているのだ!と確信したのでした。つらいのは、だからといって私になにができるわけでもないという事実でした。まったく無力ではないにしても、わずかにできるというくらいです。

お酒は、アルコール、アルコホールが含まれていて、飲むと、けっこうの人に違いが出てきます。笑い出す人、泣き出す人、それから自慢話とか悪口とかがあふれてきて喧嘩沙汰になる職場の同僚同士など。私は、どちらかというと、まあ少しシラフの時より話の量が増える、といった変化が起こることが多い。さて、彼女の場合、楽しく飲む時ももちろんあるのだけれど、そうでない時は、お酒を飲まずに、アルコホールに自分を奪ってもらおうとします。

コンビニの酒類コーナーというのは、特に広いのではないでしょうか。いろいろな酒が置いてあります。日本酒、焼酎、それからビール、そしてワインにウイスキーと、多種多様な酒が売られています。酒はそれほどにまで必要とされるのだなあという感慨がわいてきました。

この酒というものは、妙なもので、昔からいろいろな地域のいたる所で、このアルコールを含んだ飲み物は存在しています。特に、なにか儀式めいたものを執り行う際には、必ずといっていいほど登場する飲み物です。彼女もまた、あるときは酒を飲み、またある時は、アルコホールの世話になろうとします。そのどちらも人は必要とする、そういう部分が誰にも、行動に移すにしろ留まるにしろ、そういう気持ちは誰もが経験していると私は思います。

酒を飲むこととそれ以外の食物を食べることも、一度、それが一連のプロセスを遂行することが目的になってしまったら、あのパンや、ケーキや、シュークリームのおいしさとか、ワインのロゼだ、これには赤だ、パスタだから白だ、というような選ぶ余地はもうなく、私は、それらは、もう固有の名称は失せてしまって、その私に対する一連の命令にのみ従うよう自分から仕向けるようなものなの!だから、意識が研ぎ澄まされて、繊細で、鋭敏だったらつらいじゃない!せいぜい同時に私を曖昧にしてくれるものを選ぶのだけれど、後で思い返すと、その時はまま回復しているのだし、あの鋭敏さが、それから逃げていたあの曖昧時を突きつけられて、とてもつらくなるのよ、わかってもらえるかしら!

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ある女の一時期 ジュン @mizukubo

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