第一章 少女、天下に覇を叫ぶ

11.声のラッパ

 鳥たちの美しいさえずり声が聴こえる。柔らかな日差しが窓を抜けて床に落ちる。もう少し微睡んでいたい、そう思えるような心地良い朝。


『スゥッ――みなさああぁぁぁぁぁん!』


 その大叫声は裂くように響いた。


「なんだっ!?」


 孝太郎は飛び起きた。あの部屋のベッドの上に戻ってきている。右には変わらずイスとベッドサイドテーブル、左にベッドが一つ増えておりそこにちよが寝ていた。次に自分を見る。なんと、服を着ている。よく見ればちよが着ているのと同じ寝間着だった。

 そして、


「お? 起きたねロリコン異世界人」


 ロングスカートにエプロンを着た見知らぬ少女がドアを開けて入ってきた。年のころはちよと同じくらいだろうか。彼女は褐色の肌をまくり上げた袖から見せて、髪はまとめてキャップの中に入れている。目と耳が大きくはっきりしていて、何かと気が付きそうな外見である。加えてその太く丸い眉はどこか強気な、勝気な印象を与えてくる。角と尻尾はない。

 また叫び声が聞こえる。


『おーーーーはーーーーよぉござぁいまーーす!』

「うるさっ! なんなんだいったい!?」


 孝太郎は耳をふさいだ。ブルーセル全体に響いているのか、四方の壁から床天井にいたるまで、360度からワンワンと声の余韻がしている。

 しかし、ちよを見ると変わらず眠り続けている。音に敏感な妹がまったく起きる気配がない、それだけ慣れているのだろうか。

 少女も慣れた様子で孝太郎に答える。


「これ、姫さんの朝の挨拶。この街中に毎日響かせてる。あんたこれ聞いても今まで全然起きなかったんだよ」

「マジか。……俺はどのくらい寝ていたんだ?」

「異世界から来てが3日。あんたが魔王と飛んで行ったのが昨日だよ。魔人の治癒魔法のおかげですぐ治って良かったね」


 あの戦闘の後、無事にここまで戻されたらしい。しかし孝太郎は嘆息した。


「3日。よくこんなバカみたいな声で起きなかったもんだ……」

 

 イングリットの大音声は今も途切れずに続いている。相変わらずワンワンと煩くけたたましい。それは校長先生の話のように今日の天気や昨日あったつまらない出来事などの脇道を通り、最終的にこう着地した。


『では今日も、私のためにその命をすり減らして頑張ってくださいね! アハハッ!』

「うそだろ」

「あはは……何言ってんだいって感じだよね。でも毎度この締めだよ。みんな慣れっこさ」


 少女はやれやれと肩をすくめた。鼻も鳴らして呆れた様子だが、少しにやついている。


「さて、あんたには自己紹介しないとね。今日から姫さんに代わってあんたらを世話するミーナだよ。よろしくね」

「なに? 姫さんに代わってだと?」


 その時咀嚼音が聞こえた。


『ボリッ、ん? ポリッ……んんっ? ちょっとこのナッツ塩かかってるじゃないですか! 誰ですか! 私無塩でっていいましたよね!?』

『イングリット様音が漏れております』

『なんですって!? ――ちょうどいいじゃないですか! 誰ですかーーー! 出てきなさぁーい!』


 その後どたばたと背後で騒がしくなる音がして、ブツッと音が途切れた。


「……そうだよ。昨日まではお姫様が直々にあんたとちよちゃんの世話をしてたんだけどね」

「何事もなかったかのように続けるのか」

「いつものことだからね」


 ミーナは早朝から掃除をしていたようだ。その手に持ったモップの棒側の先を孝太郎に向けた。


「とにかくさ、あんたが少女にも興奮するロリコンだって魔王が言うもんだから、警戒されたのさ」

「ウー……」


 孝太郎は頭を抱えた。さすがにあれの詳細は教えていないと思うが。いやそもそも自分はロリコンではないのだが。しかしあれだけの粗相をしては強く否定できない。


「はぁ。――ところで、ご年齢はおいくつですか?」

「こらこら、女を口説くときに歳から聞くんじゃないよ。初めてかい?」

「口説いていない。なぜそうなる」

「だってロリコンだろ?」


 ミーナはそう言ってウインクした。長いまつげが揺れる。


「あたしみたいな美少女見つけて唾つけないわけないよね」

「俺はロリコンじゃない。いいからいくつなんだ?」

「60」

「えっ!?」


 ギョッとした孝太郎を見てミーナはケラケラと笑った。


「はっはっはっ! ウソだよ。ホントは13歳。あんたどうせ魔人の歳でビックリしたんだろ? 人間はあんたらの世界と変わらない見た目通りの年齢さ。心配しなさんな」

「……からかったな?」


 ミーナは舌を出して「ごめんね」と謝る。

 孝太郎は何か気が付いたらしく唇に指をあてた。


「なぜ君みたいな少女を代わりにしたんだ、俺はロリコンだと疑われているんだろう?」


 ロリコンの世話係に少女を付けるなんて、女子中高生にタピオカみたいなものだろう。孝太郎はそう思った。必ず食われるということだ。半ば義務的に。

 ミーナは胸元を叩いた。


「だからだよ」

「なに?」

「あたしはあんたの下のお世話もするのさ」

「バカいえ」


 孝太郎は即答した。

 何を勘違いしたのかミーナは訳知り顔で頷く。


「わかるよ。素直になれないよね。恥ずかしがることないよ、それも個性なんだから」

「違う、俺はロリコンじゃない」

「ま、それがホントだとしても、ムラムラさせるわけにいかないのさ。そのままだとお姫様に手を出すかもしれないだろ? ちよちゃんの話じゃ、あんたは年上にしか興味がないってことだったけど――魔王はそうは思わなかったみたいなんでね」

「……」


 ちよは随分とこの世界の人を信用しているようだ。彼女が身内の性癖をポロポロ話してしまうような貞操感のない人物ではないことを孝太郎は知っている。しかし困った。


「そういうことなら、それこそ、大人な女性を用意してくれ……」


 今のところ出会えた大人はナジャだけであった。もちろん外見のみの話だが。周りに少女ばかりではロリコンだと思われて当然である。もちろんミーナに手を出すつもりはないが、このままだと勘違いされ続けてしまう……。


「はっはっはっ! まぁウソだけどね」

「は?」


 孝太郎は露骨に顔をしかめた。ミーナはニカッと笑っている。


「あたしみたいな少女に夜伽なんてさせるわけないじゃないか。あたしはホントにただの世話役、身の回りのお手伝い、服装通りのハウスキーパー、つまり女中さ。――それ以上を望むなら娼館にでも行くんだね」


 ミーナはモップとウインクを孝太郎に向けた。それはいたずらしてやったりのポーズ。やってやったぜと言わんばかりの決めた顔。


「さ、ちよちゃんを起こして朝飯食ってきな。あたしの仕事の邪魔だよ」

「……まて、それじゃ結局答えになってないじゃないか」

「うるさい、さっさと行く!」

「……はぁ」


 どうにも、この世界の少女は人をからかうのが好きらしい。孝太郎は深い嘆息とともにちよを揺さぶるのであった。

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