誰かがいた場所/エピローグ


 

 取り壊し予定の文字が入った看板が立ち、フェンスで外周を囲まれたそのマンションは長い間、人の出入りが無いようだった。

 工事の目処が付かずにそのまま、という感じだろうか、人気の無いマンションは鳥や猫の良い住処らしく物寂しくは無い。


 林界達也は駅前の喧騒が微かに届く中、右肩にリュックを掛けたままマンションを見上げている。



 ──これは聞いた話だが。

 このマンションの一室にはある医者の男が住んでいた。

 彼は周囲から名医と呼ばれる人物で、外科医として名が知れている。

 けれど医者は妻の死去と同時に精神を病み、自殺したのだという。

 2LDKの一室、当時十四歳の娘の目の前で。


 その後、娘の行方までは誰も知らないが、

 少なくともその事件が起きたのは十年は昔、娘も立派な大人になっているはずだ。



 風に巻かれた葉が前を通って行って、達也は視界を横切るそれを見送ってから、駅の方へ歩き出す。

 人通りが多くなり、人混みの中に達也は紛れて行く。


 大学を卒業して数年経ち、達也は二十四歳になっていた、今は自分の特技──というか体質を利用した仕事をしている。

 簡単に言えば、達也の幽霊を浄化する体質、何なら誘引までしている体を使って、そういう類の存在を成仏させる仕事だ。

 達也も最近知った事だが、兄が元々の職業らしく、色々と協力して貰っているところだ。


 ──ある日を境に色々なものが見え易くなって、苦労した事もあったが随分と慣れた。

 彼方側と此方側、その境界に片足を突っ込まざるを得なくなったのもからだ。

 昔は幽霊とか信じる方じゃなかったが、見えるのならば仕方がない。

 放って置くわけにも行かないから、片っ端から殴り倒して生計を立てる毎日である。


 久々に戻って来たこの街は変わらないようで変わった所もあった。

 よく通ったファストフード店が潰れていたり、駅前と大学を繋いでいた小さな公園が無くなっていたり。


 他人からすれば何て事はない変化だろうが、達也は寂しくなってしまって、その理由も分からないのだった。

 何時も日常の中にあった思い出の場所だからだろうか。


 さっきのマンションも、行ったことがある気がするから足を運んだのだが、何の用があって当時の自分が訪れたのかは不明である。

 当時は自分の体質を全く分かっていなかったので、何かに干渉されて動いていたのかも知れないが──考えてもやはり分からない。


 というか外観を見て思ったが、あのマンションは恐らく当時も廃墟だったのではなかろうか。

 何の目的で自分があの場所に立っていたのか、いよいよ本当に分からなくなった。



 一人で適当に思考を巡らしながら歩いていると、雨の匂いがしてきて、達也は一度本屋の屋根下へと入る。

 暫くすると路面にぽつぼつと染みがつく、静かに雨が降り始めた。

 達也は幽霊をぶん殴る次に、雨を予感するのが得意だ、匂いだったり音だったり、自然に対して過敏になったのもある一時からのように思う。


 リュックから折り畳み傘を取り出して広げ、もう一度歩みを再開しようとした時、

 自動ドアの開閉音、本屋から小さな長靴が飛び出して来て足を止めた。


 出て来たのは女の子、小学生くらいだろうか、女の子は赤い傘を広げる。

 くるくると楽しげに回るそれに既視感があって、達也は目を凝らした。

 その内にも、少女は楽しげに傘を揺らして人混みへと消えて行く。

 考えても考えても、達也は既視感の正体には辿り着けなかった。


 物思いに耽って、ふと瞬きをする。

 赤い傘は見えないが代わりに、水溜りに映り込んだ青空が見えた。


 途切れた雲の隙間から覗いた青空。

 どうやら通り雨らしい、虹でも掛かるだろうかなんて思いながら達也は歩き出す。


 雨粒と共に緑の葉が舞い落ちる。 

 ──濡れた路面は、全てを映していた。

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2LDKの憑き物祓い みなしろゆう @Otosakiaki

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