淀む命/火曜日 昼


 大樹は、神聖樹と呼ばれていた。

 名の通り、神がこの世に現界し大樹の形を取った姿だ。

 神聖樹は星の始まりに現れ、生命を生み出して営みを見守った。

 その生命の中には人類も含まれ、人の生活に寄り添い、それを助けるのが喜びだった。


 けれど、人類は進化の後に争いを起こした、

 飢餓が起こり、災害が起こり、罪のない人々も大勢死んだ。


 神聖樹の枝葉は、一つ一つに意思があり、皆神聖樹を愛する子ども達。

 彼らは世界のバランスを保つ為、台風や雷、大雪といった災害を引き起こしていた。

 それは世界に対する自浄作用だったけれど、

 人はそれを理解しなかった。


 災害を根絶する為、人類は神聖樹を切り倒し、「お前など要らない」と罵った。

 けれど神聖樹は──彼女は穏やかなまま。

 人類の選択を咎めず、自らの死を受け入れた。


 受け入れられなかったのは、枝葉達の方。

 母を奪われた子ども達は、人類を憎んだ。


 神聖樹が切り倒された日、大雨が降り、

 大洪水が起こって人類は大幅に数を減らしたという。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




「だから憑き物は自然霊、なんだね」

「ええ。元々は世界を守り、大切な役目を果たす枝葉……もっと言えば、私の子ども達ですね」


 中身が多く残った開けたばかりの缶コーヒーを両手で包んで、膝の上に置く。

 黒羽は何処かスッキリとした気持ちで、自らのこれまでを達也に語っていた。

 らしくも無く饒舌に、話すつもりの無かった過去と、自身のルーツを語り聞かせる。


 黒羽の話を聞く彼は、向かいのソファに座って、真剣な目で黒羽を見つめていた。


「神聖樹というのは、私の前世の様なもの。

 私は今も、大樹でありそして神だった頃の記憶を、全て持ち合わせています。

 今の私が人間より飛んだり跳ねたり出来るのも、憑き物を祓う力を持つのもその為です」


 細かい部分や説明が難しい部分の話を、黒羽は適当に端折ったりしていたが、

 語られるその大方を、

 達也はすんなりと理解し把握していく。

 自身に憑いたモノから受ける影響と、

 元々、何となく黒羽が「人智を超えた者」だろうという認識を持っていた事から、

 彼は語られる「前世」や「神」といった現実味のない言葉にも、物分かり良く頷いた。


 

 達也は「不可思議な事」や「非現実的な話」に対して、

 拒否感や驚きを余り感じない人間だ。

 黒羽と出会ってから、若しくは憑き物に憑かれた時から何度も思っている事だが、

 どれだけ信じられない非現実だとしても、幽霊や怪物といった存在が、目に映る範囲に現れたのなら、それは現実でしかない。


 神様に関してだってそう。

 ──嘘をつかない黒羽が、自分は神だと言うのなら、実際そうなんだろうと。

 それ以外に思う事は無い。


「……物分かりが良すぎますね、人間くん。常々思っていましたが。そんなに素直だといつか騙されますよ?」

「大丈夫、嘘かそうじゃ無いかを見抜くのだけは人一倍得意だから。

 出会った時から思っていたんだ、黒羽さんは嘘をつかないし、つけないだろうって」


 驚くどころか呆れた様に言う黒羽に、

 だから信じる事にしたんだよと、達也は苦笑混じりに返す。

 色んな事を話してくれる黒羽につられて、自分自身の事も溢しかけて、辞める。

 達也に関する事を話す必要は、今はない。


 一瞬出来た間に、黒羽が目を細めて首を傾げた。

 ──相手の言動から心中を見抜こうとするのは、何も達也だけではないらしい。


「──まあ良いでしょう。人の行く末を見守るのが私であり、干渉は最低限が望ましいですから、貴方の人格には何も言いません。

 ……話は変わりますけれど、私のこの姿、貴方には何歳くらいに見えますか?」


 思わぬ問い掛けが飛んできて、達也は一瞬硬直した。

 問いを理解してから、達也はえーとと言葉を渋る。


「外見年齢だけで言って良いなら、中学生……十四歳くらいかな?」

「なるほど。まあそれくらいでしょうね。

 実際

 因みに一応私、今十七歳ですよ」


 黒羽は退屈そうに髪をいじりながら言う、

 達也は思わず声を上げて驚く、大人びているとは思っていたし、憑き物祓いとしての彼女には尊敬すら抱いていたが、

 達也は黒羽をかなり年下だと思って接していた、それこそ口にした通り、十四歳くらいだと思って。


「最初に年齢聞いとけば良かったな……」

「別に良いです年齢なんて。今の私には大して関係ありません。

 憑き物祓いになってからは、時間の感覚かなり薄いですし」


 黒羽の言葉を聞きながら達也は中々、

 踏み込んで良いラインを見分けられず苦労していた。

 反射的に口から飛び出しそうになった問い掛けを自制する。

 問えば基本的に何でも答えてくれる黒羽だが、

 実は繊細でデリケートな女の子だろう事は今までで察しがついていた。

 黒羽のプライベートを必要以上に深掘りするのは避けたい。

 彼女自身が別に知られたところで何も気にしない様な事だったとしても、

 一ミリだろうが指先だろうが何だろうが、傷付けたくない。

 彼女に対する自分の気持ちが、出会って三日目で抱ける限界値を超えているのには気付いているけれど。

 思ってしまうのだからどうしようも無い。


 黒羽に対する大きな感情の波に翻弄されながら迷ったが、

 どうしても気になって考えあぐねた上、達也は腹を括った。

 慎重に言葉を選び、問い掛ける。


「あのさ、それって。

 憑き物祓いではなかった時期が、あるって事?」


 伺う様な目で黒羽を見遣る。

 黒羽は特に表情は変えずに、くるくると指先に自分の髪を絡ませて遊びながら、うんと頷いた。


「今世の私は普通に人間として産まれて、

 最初は前世の記憶もなかったので。

 学校にはあまり行けなかったし家にずっといたので、世の中の事は殆ど知らないまま育って、父と暮らす中で前世を思い出して。

 初めて憑き物を祓った日に、体の成長は止まりました。

 そこからは、誰かが憑かれる度に……今回は少しブランクがあって、憑き物祓うのも久しぶりだったんです」


 上手くやれてよかったなんて、別に何の感慨も示さず、黒羽はつらつらと語った。

 言葉の意味をそのまま捉えるなら、

 彼女には「人間を辞めた瞬間」が明確にあり、そこからずっと憑き物祓いを続けているという事だ。

 少しでも何か悲しんだり、寂しそうにしてくれたなら、達也は彼女を見つめる中で浮かんだ自身の気持ちに、

 名前をつけれる気もしたけれど、

「そうじゃない」から気付かなかった事にする。


 父親という単語に口を開きそうになって、今度こそしっかり自制した。

 踏み込んではいけないラインは、ここだ。


 黒羽は何を思っているのか缶を撫でる。

 その様子を見ていた達也は、

 そう言えばハンバーガーは知らなかったのに、缶コーヒーは分かるんだなと思った。


 話している間に窓の外はすっかり明るくて、けれど雨が降り続いている。

 夜明けに一瞬見えた晴れ間も直ぐに閉じ、

 思った通りだと達也は息を吐く。


 黒羽と出会ってから、達也は雨が嫌いではなくなっていた。

 けれどしつこい鈍痛が、雨音に合わせて不機嫌そうに頭の奥で響き出す。

 憑かれた当初と比べてみれば、体の不調は深刻で、悪化しているのが嫌でも分かる。

 痛みが増すほど腕が痺れて視界が霞むのだ、近いうちに歩けなくなるかもしれない。


 憑き物の正体が何となく分かった今では、

 達也は身を侵す存在の事を、恐ろしい怪物だと簡単には言えなかった。


「私、その子を助けたい。もちろん貴方のことも。だから頑張って、気を確かに持っていて下さい。もう少しで終わりますから」


 黒羽は達也に、懇願する様に言う。

 その目は彼を労っていて、心配していて。

 母の非業を悲しみ人を恨んでのたうち回る我が子を案ずる、母親の瞳だった。


 彼女が憑き物祓いを続けているのは、

 きっと苦しむ誰かを救いたいとか、憑き物に人を殺させたくないとか、

 そういった使命感だけではないのだろうなと思う。


 自分の子どもが心配で堪らない。

 迷子になった我が子を見付けて、家に連れ帰る為に必死になっている、そんな顔。


 達也は己が、黒羽に勝手な理由付けをしている事を自覚していた。

 何処から又は何から湧き出た感情なのか知らないが、随分と押し付けがましい物だ。

 だけど思ってしまうものは、仕方がないのだ、何度も何度も、自分にそう言う。


 考えを遮る程の痛みに、頭を抑えた。

 今にも死んでしまいそうな苦痛に、

 堪え兼ねることは不思議と無い。


 顔を上げれば目の前にひとり、孤独な憑き物祓いがいる。

 その孤独が同時に誇りである事も知っているから、

 簡単に寄り添いたいなどとは思わない。

 達也に出来るのは最初から最後まで彼女を信じて諦めない事だ。


 信じる事が、こんなにも生きる意思を支えてくれるなんて思わなかったなと、

 達也は意識が遠くなる中で。


 最後の最後に、達也は黒羽を






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