朝と夜の合間/月曜日 昼


「なんか、意外と普通に過ごせちゃったな」


 黒羽から借りた黒い傘を開きながら、達也は独り言を言った。

 時刻は二時過ぎ、今日が週明けである事に気付いた朝は頭を抱えたが、

 黒羽に事情を話して、──どうやら彼女は大学やバイトの存在がよく分からないようで説明に少し手間取ったが。

 日が落ちる前に帰って来れるならいいですよと送り出してくれた。


 無事講義も受け終え、何故か人とすれ違う度ぎょっとされたり、

 友人達から何度も心配されたが、

 帰路につけそうである。


 通っている大学は駅前にどんとキャンパスを構えており、ビル群の中に紛れている。

 達也が一人暮らしをしている自宅は駅前から踏切を渡った反対側で、

 毎朝二十分くらい歩くのだが、

 黒羽の住むマンションは駅前から道路を挟んだ目の前なので、今朝はちょっと楽だった。

 いいなぁここら辺住みたいなーと、何でもないことを考えながら達也は出来る限り、

 足元、正確には水溜まりを見ないように歩く。


 本当ならここから駅前のファミレスでアルバイトがあるのだが、

 流石にそちらは日が落ちる迄に帰れはしない、また体を乗っ取られたら今度は人的被害を出してしまうかもしれないので、

 申し訳ないが普段の真面目っぷりを盾に仮病を使って、

 休ませて貰おうと先程連絡を入れた。

 のだが、どういうわけか。

 店長は本気で心配そうに達也を案じてくれ、病院に行くことを強く勧められた。


 曰く「今にも死にそうな声をしている」らしい、こんなに自分が仮病を使うのが上手いなんて知らなかった、

 少し申し訳ないが、有難く休ませてもらうことにする。


 今日の流れを振り返りながらそれにしたってと、達也は肩を竦めた、

 知り合いだけでなく、普通にすれ違う人や、道行く人が皆、

 達也を見てぎょっとするのだ、まるで死人でも見るかのように。


 確かに頭は痛いけれど、そこまで調子が悪そうに見えるのだろうか。

 昨日一日、非日常を体験してきて思うのも何だが、不思議、謎である。


 駅の方まで歩く道すがら、小さな公園へ横切るように入った。

 公園と言っても花壇とベンチが何個か置かれているだけの休憩スペースのような場所で、普段、素通りする場所だ。


 今日も真っ直ぐ駅に向かおうとして、あれと足を止める。

 視界の端に、見覚えのある色が過ぎったから。



 色を追うよう辿っていき、あったのは小さな花壇の前で、赤い傘を被った後ろ姿。

 どうやら花を見ているらしい、

 知識がないから名前までは分からないが、

 赤に紫に、カラフルで小ぶりな花々。


 もしかしてと思って近付いて行くと、

 赤い傘は楽しげにくるりと回る。


「黒羽さん?」


 呼び掛けてみると、ご機嫌に回っていた傘が止まった。

 振り返ったのは、今朝達也を送り出してくれた張本人、牧藤黒羽。


 花壇の前にしゃがみこみ、幹色の髪を二つ結びにして、まるで子兎のような彼女はすくっと立ち上がる。


「終わりましたか。人間くん」

「終わりましたよ……ってもういいの?」


 見なくて。と達也が花壇に咲く花を指さして問い掛けると、うんと黒羽は頷いた。


 蕾と花弁、葉も濡らして揺れている。

 誰に向けてもなく咲く花。

 素通りしてきた花達、今だってここで足を止めているのは黒羽と達也しかいないのに、

 花は咲いている、枯れる時までずっと。


「挨拶はもう、済みましたから」


 柔く笑う黒羽の事を、雨に濡れた花に似ていると思った時、

 達也は彼女の正体を、何となく察した。


 黒羽は何処まで気付いているんだろう、分かっているんだろう。

 答え合わせならば幾らでも出来た、

 現に黒羽は穏やかな顔で達也の言葉を待っている。

 疑問を投げかけることだって、確信をつくことだって達也には出来たけれど。


「そういえば、さ。お腹すかない?」


 笑みを浮かべ、達也は問いかける。

 驚いた顔で黒羽は立ち尽くしていた。

 まるでそんな事、初めて言われたとでも言うように。





「お世話になってるから僕が奢るね。

 バイト休んだ手前ここら辺うろうろするの気が引けるけど」

「……ありがとうございます」


 黒羽を目の前に、達也は椅子に背を預けて苦笑した。

 ファストフード店の隅っこの席、大雨だからか単純に時間帯か、客は少なく空いている。

 黒羽は騒がしい所を嫌いそうだから、好都合だった。


「はん、ばーがー……?」

「……あれ、もしかして知らない?」


 黒羽は手元の、トレーに乗った丸い物体を首を傾げて眺めている。

 紙に包まれたそれを指先でつついて、温かかったからかびっくりしていた。


 そんな黒羽に達也も驚いて、内心少し焦る、道中食べたい物を聞いても黒羽が任せるとしか言わないから、単純に今自分が食べたい物に従って連れてきてしまった。


 注文の際、何を食べたいか聞いた時、黒羽はハンバーガー単品を指さしたので、それを頼んだ。

 が、別に食べたかったとかでは無く、

 どれもピンと来ないどころか何なのかも分からないから、一番上のを適当に指さしただけらしい。


 達也も流石にハンバーガーを知らないとは思わなかったので、躊躇いなく頼んだのだが、もしかして間違いだっただろうか。


「えーと、パンに肉と野菜を挟んだ……うん、とりあえず食べてみて、口に合わなかったらそのときまた考えよう」

「パン……?」


 上手い説明が浮かばず、物は試しだと促す達也に従って、黒羽は覚束無い手付きで包み紙を剥がしていく。

 現れたオーソドックスなハンバーガーを見て、黒羽は小さく声を上げた。

 まじまじと凝視しているあたり、本当に初めて見るらしい。


「えっと……いただきます」

「召し上がれ」


 恐る恐る、小さな口を開いてかぶりつく。

 その様子を達也は黙って見守る。

 何故だが少し緊張した。


「……色んな味がする」


 咀嚼したのを飲み込んで、第一声。

 黒羽はかじられたハンバーガーをじっと見つめる、中央のトマトが瑞々しく、

 自然と二口目に移って行く。


 どうやら不味くは無かったようなので安心して、達也も自分の分を手に取った。


「あったかい、しょっぱい」

「ちょっと味濃かった?」


 呟きに反応して、達也が問い掛けると、黒羽はこくんと頷いてから。


「でも、美味しいです」


 浮かんだ小さな微笑みは、まるで幼い子どもの様で、

 達也は素直に、一緒に来てよかったなと思った。




 外に出ると、雨が降り続ける街は更に薄暗くなってきていた。

 夜が近付くと共に頭痛は痛みを増し、耐え難い眠気が襲ってくる。

 意識を手放せばまた、体の制御を奪われるだろうから、達也は頭を振った。


「大丈夫ですか?」


 赤い傘の下から黒羽が覗いてくる、達也は反射的に大丈夫と返そうとして、改めた。

 彼女には嘘をついてはいけない。


「頭が痛くて、あと凄く眠い」

「日没が近いですからね。憑き物が活性化して生命力を吸われているのかと」


 黒羽は視線を下に降ろした。

 おそらく水溜まりを見て状態を「確認」したんだろう。

 達也も気は進まないが、自らの足元を見ようとして──。


「見ない方がいいです」


 下に向きかけた目線を止めるように、

 黒羽は言った。

 中途半端な位置で漂う達也の視線を受け止めているのは赤い傘。

 黒羽が顔を上げ、達也と目を合わせた。


「今朝も言ったと思いますが。

 貴方に憑いた顔持ちを祓う為には、私の力をもっと溜めないといけません。

 ……協力してくださいね」


 さっきまで幼子の様にハンバーガーを食べていた彼女は、今は憑き物祓いの顔。

 真剣な眼差しに、達也は頷きを返す。


 ──軋む様に痛む頭の奥で「何か」が、

 唸った気がした。

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