第16話 夏はやっぱりひんやり熱く





俺はその日、「キコちゃんと過ごす夏に何をするか」について考えていた。そして、夏と言えば思い浮かぶ、恋人同士の催しを並べてみる。


たとえば、「花火大会を観に行く」。これは多分キコちゃんを連れて行かない方がいいだろう。彼女がたくさんの人目にふれる可能性があるということは、彼女の危険を意味する。


「夏祭り」に行く。これも花火大会に行くと仮定したときと同じ理由で、あまり気が進まない。それに、キコちゃんには金魚すくいや射的はできないし、せいぜいチョコバナナやりんご飴にかぶりつくくらいだと思う。それはそれでとても可愛らしいだろうし、見てみたいのだが…。やっぱり多くの人が集まる場所に彼女を連れて行くのはリスキー過ぎる。


それから、「プールか海に行く」。これも却下だ。彼女は小さすぎて、たとえばプールや海で水にさらわれてしまったりしたら、救い出せる可能性が小さすぎる。そんなの心配でしかない。


もしくは、「山に行く」。うーん、これも小さなキコちゃんには危険のような気がする。そもそも、彼女が俺の肩かなんかに掴まっていて、地面に落ちるようなことがあるだけで、すごく危険なのだ。


「二人で温泉旅行」。しかし俺にその金はない。あと、俺たちはすでに一緒に住んでいるので、二人でどこかに泊まりに行くことの必要性も薄れる。それから、キコちゃんを連れて移動しても彼女が見つからないようにするには、荷物などに詰め込んでしまうしかない。でもそれでは、キコちゃんが苦しいばっかりだろう。これもダメだ。困ったなあ…。




俺は数日考えに考えたがやはり何も思い浮かばず、二日間の休みをもらった前日の晩に、キコちゃんに聞いてみた。


「したいこと…ですか…?」


キコちゃんはかじりついていたフルーツグミをひと口飲み下してから、うーんと考え込む。そして、しばらく顎に手を当てて首を傾げていた。しかし彼女はやがて答えが出たのか、ぱっと顔を上げて明るい笑顔を浮かべ、自信満々に言い放つ。


「宇宙に行きたいです!」


「はい無理」


「どうしてですかっ!?」



俺はそれから、宇宙に行くためにはどのくらいお金がかかるのかと、俺の用意できるお金では一生かかってもそれに足りないことを、まず彼女に納得させた。その上で、宇宙にはそれなりの立場の人間しか行けず、それは人類の学術的探訪のためでなければならないことも、キコちゃんに教えてあげた。



「なんだぁ…そうなんですかぁ…。“しーえむ”ではみんな月に行ってるから、誰でも行けるのかと思ってました…」


確かに俺たちはこの間、簡単にロケットに乗り込んで月に行き、憂さ晴らしにかけっこをする大人が出てくるCMを見た。


「まああれはCGだから…月には行けないけどさ、なんか他にしてみたいこと、ない?」


それからキコちゃんはまたしばらく考えて、おそらくこの間また“しーえむ”で見たのでやってみたかったのだろう、あることを俺に頼んだ。





俺は今、おもちゃ屋に来ている。郊外の国道沿いにある大きな店舗なのでとても広い。ここならキコちゃんに頼まれたものも必ず見つかるだろう。そして、あわよくばそれ以外にもキコちゃんを驚かせられるものがないかと、喜び勇んで奥へと入って行った。



夏休みに入って少し経つ。そろそろ毎日暑くなってきたから、涼しくなる道具なんかも、もっと必要かもしれないな。家で常につけていてもそんなに電力消費の多くない冷房器具なんかないかなあ。まあおもちゃ屋にそんなものがあるわけないか…。


そのときたまたまそう考えていた俺の目に、あるものが飛び込んできた。


それは、商品棚の端で通路側を向いているところに飾られた、手持ち扇風機のようなものだった。俺はなんとなくそれを手に取る。「ハンディファン」。商品名にはそう書いてあった。それは手のひらに収まる持ち手に小さいファンがついていて、立てかけて置いておくこともできるみたいだ。そして、ファンの頭の部分には、猫耳がついていた。


…どうしよう。


俺は純粋に悩んだ。なぜなら俺は18歳の男子だからだ。たとえ彼女のためにこれを買うのだとしても、それを想像できる人はなかなかいないんじゃないかと思う。ギフトラッピングなんかを頼めば、「ああ」と思ってもらえそうだけど、それは100円が余計にかかるからできない。


買うの、ちょっと恥ずかしいなぁ…。


いや、今日ここに買いに来た物も買うのはちょっと恥ずかしいのだが、たまには大人でも購入する人がいる。だからそこまで抵抗はなかった。しかし、“猫耳つき手持ち扇風機”はハードルがあまりに高すぎる。


しかし俺は、キコちゃんがもしこれを目の前にしたら、と考えてみた。彼女はきっと喜んでくれるだろう。すぐに使いたがってくれるかもしれない。突然の風に驚いたり、猫耳がかわいいと気に入って、にこにこしてそばに置いておく彼女を思い浮かべる。


…まあいっか。


俺はそのピンクの猫耳ハンディファンをカゴに入れて、それから目当てのおもちゃコーナーを目指した。





「ただいま~」


「おかえりなさいませ一也さん!ありましたか!?ありましたか!?」


キコちゃんは俺がドアを開けた途端、大急ぎでそう聞いてきた。俺はそれに笑いが込み上げながらも、「あったよ」と返事をする。するとキコちゃんはほっとしたように微笑んで、俺を振り返りながら部屋の中へ駆け戻った。楽しみにしていた物だから、すぐに見たいんだろう。


「こっちです一也さん!早く開けましょう!」


「うんうん。それから、もう一つ、いいのがあったから買ってきたよ」


「いいの…?なんですか?」


俺は大きなエコバッグから、まず猫耳ハンディファンの箱を取り出し、中身を開ける。それから充電がされていることを確認するため、自分に向けてスイッチをつけてみた。すぐにふわっと風が吹いたので、俺はそれをキコちゃんの隣に置く。かなり小さいものだから、サイズは彼女とやっぱり同じくらいだった。


「なんですか?これ…?耳がついてますね。かわいい」


彼女は猫耳を撫でて、ほわっと顔をほころばせる。俺がキコちゃんに向けてファンのボタンを押すと、彼女は「きゃっ!」と悲鳴をあげた。




「あ゛あ゛~」


キコちゃんはハンディファンの前で、安直な四コマ漫画のように、「ああ~」と言っている。これもテレビで見てから、やってみたいと思っていたことみたいだ。俺は彼女が夢中になっている間に、本来の目的だった道具を組み立てていた。ちょっとハンドルを付けるだけなのでそれはすぐに終わって、キコちゃんに声をかける。


「できたよキコちゃん!」


「えっ!?できましたか!?」


そして俺は完成した「かき氷機」をテーブルに乗せた。キコちゃんは「きゃーっ!」と叫んでかき氷機に抱き着く。


うーん。ここまで喜んでもらえるんだから、そりゃ買っちゃうだろう。「ペンギンの形をしたかき氷機」だって。


「わあー!ペンギンさんです!一也さん!氷!氷をください!私が回します!」


「待ってね、あとシロップも買ってきたから、お皿も用意するよ」


そして、やっぱりハンドルを回す力のない彼女の代わりに俺が氷を削って、小さなガラスボウルに山盛りになったかき氷にシロップをかけ、かき氷が完成した。


「んー!冷たくておいしいです〜」


「うん、おいしいね」


俺たちは頭が痛くなるまでかき氷を食べた。「あいたたた」と2人で言って、顔を見合わせる。


「ふふ、一也さん。ありがとうございました」


「いえいえどういたしまして」


「あの…それから…」


「うん?」


キコちゃんは小さなスプーンをお皿に置いて、俺を見た。俺はそのときドキッとして彼女を見つめる。彼女は小さなテーブルに頬杖をついていた。それから、頬をふっくり上げた満足そうな笑みで俺を見上げて、首を傾ける。その仕草は、彼女をいつもより少し大人っぽく見せていた。


「…好きです、すごく」


今が夏じゃなくたって、俺は体が熱くなるはずだ。君がそんな顔をするから。


「俺も、好き…」


俺は自分の言葉が尻すぼみになり、うつむいてしまったことがちょっと悔しかった。



夏がこんなにきらきらと楽しいとは思わなかった。


俺の過ごした幼い頃の夏は、人のいない家で鳴る風鈴の音に身を任せて、昼寝をするだけだった。でも今は、彼女がいる。一緒に楽しいことをして、それを喜び合える彼女がいるんだ。


彼女が一つ一つ新しいことを知っていく喜び。それを見守っていく喜び。彼女が俺を見つめていてくれること。「好き」と言ってくれること。それだけで俺はよかった。


それが、あんなにすぐに揺らぐなんて。





つづく

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