異端者シエル、科学の子

 その少女の名は、シエル。

 長い長い金髪を左右二房ふたふさった、いわゆるツインテールという髪型の女の子だ。酷く華奢きゃしゃせていて、背も小さくどこかはかない印象がある。肉付きがよくて健康美なユウキとは対象的な乙女だった。

 そのシエルが、ユウキのあの甲冑かっちゅうを造った人間だと聞いて、カイナは驚いた。

 ユウキが言っていた、借金をしている友人とはシエルのことだったのだ。


「ふむ、随分と手荒く使ってくれたね。酷使こくしと言ってもいい。まったく、あきれてしまうよ」


 ここはカイナの実家、その庭だ。

 丁度ちょうどこれから、サワが昼食を作ってくれるところだ。大きなテーブルの周囲では、弟や妹たちがキャッキャと元気に走り回っていた。

 そのド真ん中で、ユウキはシエルにしかられていた。

 口調こそ静かだが、シエルはかなり怒っているようである。

 それをカイナは、まだまだ幼い弟妹たちの相手をしながら眺めていた。


「ゴ、ゴメン、シエル。でも、すっごく役に立ってるよ? とても調子がいいの」

「役に立って当然さ。君みたいな規格外の馬鹿力じゃなきゃ、そもそも一歩も歩けない代物しろものだからね」

「うぅ……それで、そのぉ……支払いなんだけど」

「わかってる、俺だって鬼じゃない。その代わり、新兵器を持ってきた。試しに使ってくれ。すぐに盾の方に取り付けておく」


 あのユウキが、なんだか弱々しく背を丸めている。

 その情けない姿を見上げて、シエルは矢継やつばやに難しい言葉を並べていた。

 アクチュエーターがどうとか、モーターの負荷がどうとか、モーメントバランスがどうとか。正直、カイナにはサッパリ訳がわからない。

 昔からカイナは、この手の話が苦手だ。

 読み書きとちょっとした計算はできるが、理屈っぽい話が駄目なのである。一瞬で0か1を選べというのは得意だし、間違いを引いた瞬間にリカバリーする自信はある。戦いは常に、刹那せつなの判断とその尻拭しりぬぐい、あるいは得られたチャンスを最大限にかすことの繰り返しだ。

 だが、理屈っぽい議論は本当に駄目だ。


「ねえ、カイナにーちゃん。ユウキ、おこられてるの?」

「ん、そうだな。どうやらあのよろいを作った人らしい。あの歳で大したものだ」

「ユウキのよろい、かっこいいの! キュイーン、ギャンギャン。キューンって!」

「そうだな、あれはちょっとやそっとではけそうもない。まさに鉄壁、歩く人間要塞だ」


 正確には、要塞少女フォートレス・リリィである。

 完全無欠の防御力と、突出した攻撃力。おまけに、小回りこそ効かないものの驚くべき瞬発力と突進力を持っている。それは全て、自称『』ことユウキの能力があっての強さだ。

 まあ、自分で自分を美少女と言い切るメンタリティにも脱帽だつぼうするが。

 それが嘘ではないし、嫌味いやみにも聴こえないからカイナは納得してしまうのだ。

 本人は冗談めかしていても、笑えなくて滑ってる上に真実だからしかたない。

 そのユウキは、シエルにこってり絞られ意気消沈いきしょうちんといった様子である。


「みんな、ご飯です! 今日はおいもとりのシチューなのです! ……あれれ? ユウキ、なにしてるですか? その子、誰です?」

「あっ、サワちゃん。美味おいしそうだねえ、いただきまあああ、すううう……」

「人の話を聞くです! あと、ユウキは弟たちに皿を配るのを手伝うのです!」

「うう、誰かわたしに優しくしてぇ……またトンチキ新兵器の実験台にされるぅ~」


 弱々しい足取りで、ユウキはサワの運んできたなべに歩み寄った。

 その背を、すぐに子供たちが追う。

 気付けばユウキは、この家の誰にも好かれる家族の一員になっていた。それは、やってきて日が浅い魔族のワラシも一緒である。

 母親のマイムも、湯治とうじのかたわら家事を手伝ってくれる。

 最近はセナの代わりに新聞の書き写しもやってくれていた。

 道理で最近、セナが昼から酒瓶さかびん片手に悠々自適ゆうゆうじてきな訳である。

 そうこうしていると、シエルがこちらへやってくる。


「君がうわさのカイナだな? 旅の勇者三人組の話は、俺の耳にも入ってきてたよ」


 カイナは左腕で子供たちを順番に高々と掲げ、真上に放り投げてはキャッチするといういつもの遊びを繰り返していた。話しかけてきたシエルに向き直っても、それは途切れることはない。弟妹たちの放つ熱や吐息を肌で感じれば、目を向けずとも自由自在だ。

 そんなカイナを見上げて、小さなシエルが溜め息をこぼす。


「今は二人になってしまったんだってな。これというのも」

「そうだ……俺が不甲斐なかったからだ。俺はカルディアを守るどころか、守られた。そうして救われた命でも、今はセルヴォを守ることができない」

「それは考え過ぎだ、論理も合理も感じられない。俺が言うのもなんだが、カイナ……君は悪くない。そして、今も魔王の軍勢と戦ってる者、その中で死んだ者……誰一人として悪くはないんだ」


 意外な言葉だった。

 どこか怜悧れいりで冷静、ともすれば冷徹な印象を与えてくるシエルの言葉。彼女は肩をすくめつつ、不意に真剣な表情を作る。

 そして、そこに抜き身の剃刀カミソリにも似た憎悪ぞうお侮蔑ぶべつの色が燃え上がった。


「悪いのは王家、そして王侯貴族様さ! 国を、領地を守ることを捨てて、真っ先に逃げた。ノブレス・オブリージュ……貴族が己に課した高貴なる義務は、すでに死んでたのさ」


 シエルの言うことも一理ある。

 この地域は、王国を中心に栄えてきた。王は貴族たちに土地を与え、貴族はその領地に住む者たちを庇護ひごした。税として民から金と作物を得る代わりに、領民たちを貴族がモンスターから守ってきたのである。

 他の国との戦争からも、王家と貴族たちが守ってくれていた。

 だが、魔王が率いる闇の軍勢が攻めてきた時、彼らは責任を放棄した。

 農耕や狩り、商売にだけ熱心でいればよかった民は、守護神に逃げられたのである。

 勿論もちろん、真っ先に逃げたのは良識といつくしみを問いてきた教会だった。


「シエル、さん。その……確かに王も貴族も逃げてしまった。だが、それは」

「奴らは支配階級として、民から信頼を勝ち得ていたその根源、自分たちの存在そのものを捨てたんだ! ……い、いや、すまない。俺としたことが」

「……あなたは今、多くの人が言えない気持ちを言葉にした。俺しか聞いてないから、それはいいと思うし、事実の一面でもある」


 シエルになにか抱えたものがあることを、カイナは察した。

 だが、それを口には出さない。まして、まだ幼児の弟や妹にはチンプンカンプンな話だろう。幼い子供たちは、カイナが片手で生み出す空と無重力に、キャッキャと歓声をあげていた。

 そして、シエルも落ち着きを取り戻す。


「でも、今はレジスタンスの者たちが戦ってる。俺の造った銃は、役に立ってるようだな。もう、貴族たちが強い魔力と剣とで威光を示す時代は終わりつつある」

「銃……シエルさん、もしかしてあなたが?」

「シエルさんはよしてほしいな。うん、シエルでいい。俺もカイナって呼ぶが、構わないかな?」

「ああ、それは……でも、銃は」

「そうだ、俺が造って広めた。


 ――科学サイエンス

 その言葉をカイナは、初めて聞いた。

 自然と、心がざわめく。

 ユウキのことを考えている時に似ていた。

 期待と不安、好奇心と警戒心が身をもたげる。

 だが、科学というものをカイナは全く知らなかった。


「科学を知らない? じゃあ、そうだな。カイナ、魔法は?」

「知っているし、使える。攻撃や回復の技術は学んでいないが」

「荷物の収納と持ち運び、あとはあれか……念信や日常生活に使うやつか」

「そうだ。このユグドルナの民ならば、皆が同じはずだ」


 だが、思い出す。

 ユウキは魔法が使えないと言っていた。

 この世界では、身分や生まれに関係なく魔法が使える。あちこちに立って空を支える、天界樹ユグドラシルのおかげだ。だから民は、天界樹をまつる巫女を通して畏敬いけいの念を注いできたのだ。

 この世界の人間ならば、誰もが知っている話だ。


「じゃあ、カイナ。クエスチョンだ……魔法が使える、その仕組を知ってるかい?」

「それは、各地の天界樹が力を与えてくれるからで」

「その天界樹は、どうして人間一人一人にわざわざ魔法の力を貸してくれると思う?」

「それは……正直、わからない。だが、俺は朝日が西から昇って東に落ちる理由も知らないし、こよみが一年で十二ヶ月な理由も知らない。知らないが、そういうものなのでは」


 その時だった。

 いい感じにほろ酔いの養母セナが、昼食を楽しむ庭にやってきた。

 どうやらかなり出来上がってるらしく、そのほおは桜色に染まっている。そして、岩をも砕く脚線美きゃくせんびは今、普段ユウキが身に付けている鎧の一部、具足ぐそくいていた。


「ほほう、これがからくり細工ざいくのブーツかや……なんじゃ、上手く歩けん!」


 そうは言うが、かかとが異常に高い具足でセナは堂々と立っている。彼女がブーツと呼んだそれは、装着者の曲線美をそのまま浮かび上がらせていながら……踵が高く、ピンヒールの先は刃のようにとがっている。

 すぐにシエルが、待ってましたとばかりに皆の中心におどり出た。


「四百年無敗、幻の最強武道家、セナ様ですね?」

「いかにも! っと、これしきの酒で千鳥足ちどりあしと見られれば、面目めんもくが立たん。酔ってはおらん、酔ってないからな! カイナ、ワシはまだ酔っておらんぞ!」


 酔っ払いは皆、同じことを言う。

 それは、十年来の養母でも同じだ。

 よろけたセナに、慌ててユウキが駆け寄った。普段から奇妙なこの鎧を身に着けているから、不慣れな人間が戸惑とまどうのがわかっていたのだろう。確かに、重装甲の高い防御力はカイナにも理解できる。同時に、あの爆発的な突進力が謎だった。

 その理由を、シエルが説明してくれた。


「動物は皆、踵が高い位置にあるんですよね。竜や虎、おおかみに山猫……後ろ足の踵が高い。俺は研究で得たデータから、戦士が戦闘時に使う足捌あしさばきを分析したのさ」


 シエルの理論では、戦いの最中に大事なのは爪先つまさきだという。逆に、攻撃にも防御にも、そして回避にも……踵が接地して生み出す力は少ないという。ゆえに、大自然の動物たちは踵が高い位置にある。一般人が後ろ足の膝裏ひざうらだと思っている部分、あれは踵だ。

 ユウキは甲冑を身にまとうと、休息時以外は全て爪先立ちで動いているのだ。

 それを聞いたセナが「ほう!」と声をあげる。

 次の瞬間には、駆け付けたユウキをかかえて転がし、セナは靴を脱がして放り投げた。


「確かに……これは理想的な筋肉じゃなあ。ユウキ、おぬし! まっこと良い脚を持っておる。この太腿ふとももの張り! 引き締まった脹脛ふくらはぎ!」

「ちょ、ちょっとぉ、セナさぁん! は、恥ずかしいですから」

「カイナも来て見よ! 一見して鍛えておらぬ脚じゃが、ワシにはわかるっ!」

「うう、部活が陸上部だっただけで……って、カイナ君!?」


 以前から興味があったし、先程の模擬戦プラクティスでそれが深まっていた。

 ついつい、カイナは養母が掴んででる脚に魅入みいった。近寄って、実際に触れてみて驚く。硬いのに弾力があって、柔らかいのに引き締まっている。

 ユウキの脚はまるで、はがね綿わたを織り交ぜたかのような二律背反にりつはいはんを同居させていた。

 すべやかな肌にも、その白さにも気付かずカイナは感嘆してしまう。

 その頃、顔を真っ赤にしたユウキはカイナの指使い、撫でて触り掴む手に切なげに吐息をらすだけだった。

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