その名はオロチ、魔族の王

 その日の夕食は、とても豪勢なものだとすぐにわかった。

 夕暮れまで森を駆け回っていたカイナは、帰宅と同時にいい匂いに包まれる。油が熱してはじける香りは、空腹の胃袋を酷く刺激した。入り交じる香辛料スパイス芳香ほうこうも、気持ちよく鼻孔びこうをくすぐってくれる。

 出迎えてくれたのはユウキだった。


「おかえり、カイナ君」

「うん、ただいま。……どうした? 具合が悪いのか?」


 ユウキの笑顔が、無理に作ったものだとすぐに気付いた。

 夕闇迫る薄暮はくぼの時分でも、彼女のいつもの微笑ほほえみはもっとまぶしいはずだ。そんなことばかりすぐにわかる自分が、不思議とカイナは奇妙に思えてならなかった。

 ユウキはほおを僅かにひきつらせている。

 そして、その背後からサワが飛び出してきた。


「にぃに、おかえりなさいっ! ほら、ユウキ! まだ情けないこと言ってるですか」

「やや、サワちゃん。いやあ、女子高生には刺激が強過ぎるってば」

「ジョシコーセー? なんですかそれは。にぃに、すぐに晩ごはんなのです! ユウキがってきたいのししは、私がさばいたのです!」

「いや、手伝ってくれって言われたけど、わたしちょっと……その、面目めんぼくなーい」


 端的にいうと、猪を解体している時にユウキは卒倒そっとうしてしまったらしい。

 キャーキャー言うだけで、全く役に立たなかったとサワがくちびるとがらせていた。

 やはり、妙だ。

 ユウキくらいの年頃になれば、どこの家でもひつじとりを捌くくらいはやる多分、都会の方ではすでに加工された肉を買うのだろう。それに、もしかしたらユウキはそうしたこととは無縁の身分に生まれた娘なのかもしれない。


「そう言えば以前、お嬢様がどうこう言ってたな……ふむ」

「あ、あのね、カイナ君」

「いや、気にするな。しかし意外だな。どんなモンスターも恐れぬお前が」

「血とか内臓は苦手だよぉ……あ、ホルモンとかは食べると美味おいしいけどね」

「ホルモン? まあ、とにかく飯にしよう。とてもいい匂いだ」


 三人で食堂に向かえば、弟や妹たちが満面の笑みで出迎えてくれた。そして、その中に既に魔族のワラシが馴染なじんでいる。彼も、少し緊張しているものの笑ってくれていた。

 そして、すぐにセナが無数の皿を両手に持って現れる。

 どういう体幹とバランス感覚をしてるのか、子供たちの間をうように歩いても全く危うげがない。鍛え抜かれた下半身のなせる技で、いつもながらカイナは感心してしまう。


「ようし、ワシのかわいい子供たちィ! できたての料理を食べるがよいぞ、カカカッ!」


 ざっくばらんに切った肉を焼いて、スパイシーなあんかけにしたワイルドな料理が並べられた。カイナの家は食べざかりの子供ばかりなので、まとまった量の肉が手に入るのはとても助かる。

 セナは昔から家事は得意ではないが、料理はやたらと豪快だった。

 出される料理自体が、自由奔放にして剛毅ごうきな彼女を如実にょじつに物語っている。

 セナはエルフの里を出てからは、各地を放浪して武術を磨き、無敵の拳を極めたのだ。そして今は、このユズルユ村でカイナたちのお母さんをやってくれてるのだった。


「わあ、いただきまーす!」

「母さん、凄い! 頭悪そうな料理なのに、すっごく美味しい!」

「おいばか、やめろよー! また蹴りが飛んでくるだろー」

「猪さん、美味しいね。サワ姉ちゃんがバラバラにしたんだよね」


 子供たちは夢中で食べ始めた。

 そして、それを食卓のすみで見守る視線があった。

 ワラシの母は、目をうるませながら優しい笑みを浮かべていた。

 すぐにカイナは、皿に肉を取り分ける。スープもすぐに台所から運ばれてきたので、ユウキが子供たちの差し出すわんに次々と盛り付けている。

 カイナもそれを受け取り、女性の元へと運んだ。


「ありがとうございます……本当に、なにからなにまで」

「気にするな。ここはそういう土地で、傷もやまいもすぐにえる。急ぐ必要はないし、いたいだけいればいい」

「私には、なんのお礼も……申し遅れました、私はマイム、ワラシの母です」

「マイムさん、ここを我が家と思ってゆっくりしてくれ。部屋も空いてるし、母さんもそうしてくれると喜ぶ。勿論もちろん、村の皆も」


 外からは、宵闇よいやみが冷たい風を運んでくる。

 その中に、広場での歌と踊りの声が入り混じって聴こえた。

 あきれたことに、大人たちは客を招いた祝いのうたげで、マイムとワラシがいないのに盛大に騒いでいるのだった。もはや、酒が飲めて騒げれば理由はなんでもいい、そういう雰囲気である。

 だが、その能天気のうてんきさもまたこの土地の気風きふうなのだ。

 聞けば、この魔王との動乱の中で、湯治客とうじきゃくは激減してしまったという。

 それでも、村の基本は自給自足だし、ここだけは外の世界とは別物のように穏やかだった。


「マイムさん、もしよければ王都のことを教えてくれ。同じ魔族として、魔王の軍に保護してもらおうとは思わなかったのか?」

「あの、それは……信じてもらえないのでしょうけど」


 マイムはややためらいがちに、うつむき目を伏せる。

 とりあえず、料理を熱いうちに食べるようすすめて、カイナも肉を頬張ほおばった。

 ジューシーなあぶらうまみが、口の中で熱く踊って舌の上にとろける。味付けも絶妙で、大雑把おおざっぱ野放図のほうずなセナが信じられないくらい、繊細なまろやかさに満ちていた。そして、この味は今宵こよい限りで二度と出会えぬとカイナは知っている。

 セナは、昔から何事もどんぶり勘定で適当、目分量でざっくり料理する。

 それでも、スープを一口すすったマイムは安堵あんどの溜め息をついた。

 そして、ゆっくりと事情を話してくれる。

 その言葉は、カイナには信じられないものだった。


「魔王様は、とてもお優しい方です。こんなこと、人間の方にはご不快かもしれませんが」

「……いや、いい。大丈夫だ」

「魔王様は、オロチ様はこの村の存在を教えてくださいました。私には持病があって、皮膚が太陽の光にとても弱いのです。魔族にはまれにある病で、その治療にも温泉がよいと」


 ――

 それが魔王の名か。

 カイナはその時、初めて敵の名を知った。

 かつて幼馴染おさななじみの三人で挑み、カルディアの命を奪われた。

 セルヴォの剣もカルディアの魔法も、勿論もちろんカイナの拳も届かなかった。それほどまでに、圧倒的な強さを魔王は持っていたのだ。

 その魔王が、慈悲深き人格者という話は耳を疑う。

 同じ魔族、同胞どうほうには優しいというだけではないだろうか。

 現に、奴はカルディアを殺した。

 見た目こそ同世代の少年だったが、純然たる邪悪なのだとカイナは自分に言い聞かせる。

 そんな時、意外なところから肯定的な言葉が差し入れられた。


「ま、そうだね。オロチ君は優しいの。優し過ぎて、さ……優しさの使い方が無器用なんだよね」


 誰もがユウキを振り返った。

 彼女は窓際で、静かに外を眺めていた。

 星空は明るく、宵闇よいやみの中に家のあかりが転々と続いている。

 ユウキの整った横顔は、どこかさびしげだった。

 そして、すぐにサワが椅子を蹴って声をあげる。


「ユウキ、魔王は悪い奴です! ワラシたちは困ってるから助けたけど、悪さをする奴は魔族でも人間でも、悪い奴なのです!」

「ん、まーね。でもさ、サワちゃん。キミたちユグドルナの人間から見て、オロチ君は悪い子かもしれないけど……逆から見たらどうかなって思ってさ」

「逆、ですか?」

「そ、逆側から見るの。案外、……


 誰もが静かになってしまった。

 そのことに気付いて、気まずそうにユウキは照れ隠しをするように笑う。


「な、なんてな! わはは! ゴメン、忘れて。ここでは魔族も人間もエルフも、仲良くやってる。それがわたし、嬉しいんだ。だから、今夜はお腹いっぱい食べて、ぐっすり寝ようね」


 それだけ言うと、ユウキは皿の肉にかぶりついた。

 見事な食べっぷりで、しかもどこか上品な所作しょさが育ちを感じさせる。幼少期はサワやセナと寝食を共にしてきたし、カルディアと食事を取ることも冒険の旅では少なくなかった。

 しかし、異性が食事をしているのを見るだけで、妙に心が落ち着かない。

 カイナは、思わず負けまいと肉にかじりつく。

 美味い、食べごたえも味も一級品だ。

 周囲も思い出したように、楽しい晩餐ばんさんの騒がしさを取り戻す。

 そして、息子の食事に目を細めつつ、マイムは言葉を続けた。


「失礼は承知です……でも、オロチ様は、同胞を救うために決起されたと思うのです。会って話して、そう感じたのです。そして、それでも……苦しめられてる人間が沢山いるかと思うと」

「あなたのせきではない、マイムさん」


 そう、目の前の御婦人に罪はない。

 カルディアを殺し、自分の右腕をも奪った魔族。

 その魔族だからと、彼女に失礼を働いていい道理はない。そして、礼を失すればあっという間にセナに蹴り倒されるだろう。蹴られて倒れるまでに、軽く数十発の蹴りにはちにされるだろう。

 それに、元からマイムにもワラシにも忌避きひ嫌悪けんおを感じることはない。

 カイナ自身、妙なのだ。

 右腕を失い、友に断絶を申し渡されてから……上手く言えないが、魔王に対しての憎悪や怨恨えんこんが上手く感じられない。幼馴染の少女を殺された恨みが、上手く想い続けられないのだ。


「それでも、俺は戦う。戦うために、またセルヴォのとなりに戻ってみせる」

「あ、あの、カイナさん?」

「いや、すまん。こっちの話だ。それに、気にしないでほしい。あなたが魔王をどう思うか、それはあなたの自由だ。そして、俺たちは恐れているが、あまりにも魔王を知らなすぎる」

「……それでも、オロチ様が多くの人間にあだなす敵というのは、わかります」

「でも、奴はあなたにここに来るように言ったのだろう? ユズルユ村なら、あなたをいやせるし、あなたたち親子を迎えて共に生きることもできる。なら、それはいいことだ」


 今でも、セルヴォを守りたい。

 カルディアに守られた命で、カルディアを守れなかった者同士としてこれからも生き抜かねばならない。そう強く感じるからだ。

 だが、カイナはそんな気持ちをつのらせる中で、敵意を維持できていない。

 そして、そのことに妙なあせりと不安を感じているのだった。

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