軒先つらら

白と黒のパーカー

第1話 軒先つらら

「はぁ~」

 

 唇を尖らせてゆっくりと息を吐きだすと、白い煙が立ち昇る。


 冬だった。


 つい先日秋の陽光は心を洗う素晴らしさだとかなんとか考えていたような気がしたけれど、今はどこをどう見ても洗われた瞬間から凍っていきそうなほどの白銀の景色に包まれている。

 別に冬は嫌いじゃない。

 嫌な汗もかかないし何より暑くない。

 でも、それでもなんだか寂しい気持ちを覚えるような気がして少しだけ言いようのない胸のつっかえが私の心を蝕んだりもする。

 こんなにも寒いなら雪の一つでも降れば良いのに、なんて愚痴の一つも言ってみるが嫌味かというほどに晴れ渡っている青々とした空は涙の一つも見せやしない。


 ピンポンという音とともに待っていた目の前の信号が赤から青へと変わる。

 前方で貧乏ゆすりをしていたおっちゃんがチリンチリンと忙しなくベルを鳴らして走り去っていくのをなんだかなぁと思いつつ見送ってから、私もゆっくりと歩き始めた。

 雪は降っていないけれど朝露が寒さで凍ったのか、地面はじゃりじゃりと音を立てて小気味良い感触を与えてくれる。

 これから向かう先への憂鬱さを軽減させてくれるかのような、思いがけないサプライズプレゼントに少しだけ口角が上がるのを感じる。全く、マスクをしていて助かった。これがなければ私は今頃道路を歩きながら独りにやついているやばい奴だ。

 何ならこのままタップダンスでも踊ってやろうかと少し考えるが、冬の冷たい風は変に熱を持ち出す思考回路を冷却するスピードも速く、人生を棒に振る絶好の機会をすぐさま排除した。


 意味の分からないことを延々と垂れ流し続けるこの脳内はもう既にどこかバグっているのかもしれないなどと静かに考えながらも歩を進めれば、目の前には凍った水溜まりが一つ。

 昨日は雨など降っていないため、水溜まりができるのはおかしい。何事だと周りに気を回せば答えは単純で、どこかの家から垂れ流れてくる水がちょうど私の進行方向に水溜まりを作っていたらしい。それが一晩ほどかけて凍ったか。

 凡そ、蛇口の締め方が緩かったかなんかだろうと自己解決するものの、先にある小さなスケートリンクは見逃せない。何がって普通に危ない。

 気付かずにその上を通っていればまず間違いなく滑って転んですってんてんだ。お尻が痛いことになるのは容易に想像できる。

 なればこそは排除しかあるまい。

 目の前に広がる必殺のトラップに踵落とし!踵落とし!踵ぉ!落としぃ!

 肩を大きく上下させながらゼイゼイと息を吸ったり吐いたりと忙しく、ああ、やばい目がチカチカしてきた。

 いい歳した大学生が何をやっているのかと少しだけ現実に戻って心に要らぬ傷を負ったものの、これでこれから先この氷属性のフィールド魔法に転ばされる人間がいなくなったということで無理やり気持ちを切り替える。


 さてと、現実逃避は残念ながらここまでだ。もうそろそろ大学という名の地獄にたどり着いてしまう。

 大雪で学校が休みにならないかとてるてる坊主を逆さに吊り下げ、電車が止まっていてくれと途中の神社でお参りもした。

 だというにも拘わらず儚く、そして脆い私のささやかな反抗はことごとく意味をなさず、それどころか自宅からここまでの道のりはとても快適で、鮮やかに死地へといざなってくる。

 ちくせう。

 もうここまでくればあきらめてさっさと登校してしまえと、重い腰ならぬ足を持ち上げ視線は下がりとぼとぼと歩き始める。

 そして――


「あてっ」


 頭を強かに何かにぶつけた。

 最後の最後で私に通せんぼするのは誰だと見上げれば、それはそれはもう立派なつらら。

「え?」という言葉が思わず口から飛び出たほどに異色のつらら。

 こんな雪も降らない街でつららと遭遇することなどあり得るのかとびっくりしながら、おでこをさする。コブになっていた。

 学校へと続く道の途中にある住宅の軒先から垂れ下がるつらら、そんなテレビの中でしか見たことのない存在に偶然にもヘディングを決めた私。

 あはは、なんだかもう笑いが込み上げてきた。

 行きたくない学校には行くしかなく、欲しくもない鈍痛はおでこに響く。

 その脇を通っていく同学校在校生は見て見ぬふりをして流れていく。


 しばらく放心状態でじっとしていると頬に冷たい感触を得る。

 見上げればいつの間にやら、青い空は鈍色へと変わり、ふわりふわりと雪が降ってきていた。

 心の中はすでに土砂降りの雨だったが、何とか気持ちを押さえつけ手を伸ばし雪に触れる。


「あはは、綺麗だなぁ」


 目に浮かぶは大粒の涙。

 それは次第につららへと変貌し、ポキッと折れて地面を硬く打ち付けた。


 冬なんて。


 冬なんて嫌いだ。

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軒先つらら 白と黒のパーカー @shirokuro87

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