第15話 現代、花彌の章 8


 花彌は公園のベンチで項垂れたまま、地面をぼんやり見つめていた。いつの間にか、スマホから聞こえていた声が聞こえなくなっている。


 空は仄かに暗くなり始め、遠くでお寺の鐘の音が響く。

 

 ぼんやり周りを見回して、花彌は再び項垂れた。



 その時、握っていたスマホが微かに震え、花彌は虚ろな目を向ける。


「……あ、」


 それは重光からの着信だった。


 震える手で画面をスライドすると、


『もしもし、花彌?大丈夫?』


 聞こえてきた重光の声は、いつもよりも遥かに低い声だった。


『…大変だったね。婦長にも事情を話しておいたよ。今日は休んでって。』

「……うん。」

『…それで、その、…あのね、』


 重光は、何かしらを伝えようとしたが、花彌の脳には何も伝わらず電話は切れた。



「………」


 なぜ重光は、花彌の自宅に強盗が入ったことを知っていたのか。


 そんな疑問を抱く余裕すらない花彌は、再び固く目を瞑る。


 すると再びスマホが震えた。


 気だるそうに目を開け、画面に視線を落とすと、小さなお化けのアイコンがメッセージの受信を告げていた。


「………っ」


 泣きそうになりながら、震える手で小さなお化けのアプリを開く。


《せめて、横になれる場所を探しませんか?》


 先程まで、声となって傍にいてくれた〈彼〉は、今度は文字となって傍に寄り添う。


 指が震えて文字がうまく入力できない花彌は、震える声で言った。


「…もう一度、声を聞かせて…」


 するとスマホはスピーカーに切り替わり、


『横になれる場所を探そう、花彌。立てるか?』


 涙で視野が歪む。

 溢れる涙を拭うこともなく、花彌はゆるゆると首を横に振る。


『一回しっかり寝た方がええよ。横になれる場所を探しぃ。友達の家とか、ないんか?花彌の家には今は帰らんでもええけ、』

「……会いたい…」

『………ぇ』

「お願い、会いに来て…お願い…」


 花彌は両手を顔に当て、絞り出すような声で懇願した。しかし、スマホの向こうの〈彼〉は、沈黙したまま二の句を継がない。


「お願い…」

『ごめん。俺はそっちには行かれん。』

「……お願い、」

『ごめん。…ごめん。』


 そして静かに通話は切れてしまった。


     ※ ※ ※


 カプセルホテルの店員は、ぎょっとしたに違いない。


 流れる涙を拭うこともなく、花彌はカプセルホテルの受付に立っていた。生まれて初めてカプセルホテルを利用したのだが、そんなことを考える余裕もなく、渡された番号の小さなブースの扉を開けた。


 縦に長い、寝るためだけのスペースにゆるゆると横になる。心労がピークに達している自覚はあった。きっとすぐに寝られると思った。


 しかし過敏になった神経は、薄い扉の向こうで足音が響く度に身体をビクンと震わせた。


 花彌は慌ててスマホを取り出し、震える手でイヤホンを耳に嵌め込み、怯えに誘われるように固く目を閉じた。大きめの音量で音楽を流すが、心はざわめくばかりで涙が止まらない。


「……どうして、」


 なぜ自分がこんな目に遇わなければならないのか。

 そんな答えのない問いを頭の中で繰り返す。


 再び目を開けて、画面の中から小さなお化けのアイコンを探す。目に入るや何度もタッチして開こうとするのに、何度も押すため開かない。


 呼吸が乱れ、パニックになり、涙で揺らぐ視界は見る見る濁ってゆく。


「どうして!」


 イヤホンをしていたため思いの外大きな声が出た。

 隣のブースの壁がドンッと叩かれ注意される。


 花彌は両手で口を塞ぎ、吐き気に近い嗚咽に堪えながら、しゃくり上げ、肩を震わせ夜通し泣いていた。




 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る