第30話 彼女の居場所は


 リナが。

 俺に惹かれていると、そう言った。

 今まで完全に一方通行だった想いが少し報われたのだから、こんなにうれしいことはない。

 俺がリナを想うほどリナが俺に惚れていないのはよくわかっている。

 よくて淡い恋心程度のものだろう。

 だが、それでも。彼女がようやく俺を見てくれた。

 多少押し切ったようなところもあるが、恋人候補にもなれた。

 もちろん候補で終わる気などさらさらないが。


 それに、リナは恋をしたことがないと言っていた。

 今まで女性の恋愛経験の有無など気にしたことがなかったし、むしろそこにこだわる男は気色悪いとさえ思っていたが、リナが初恋だと知ってうれしかった。

 彼女の中で特別な男は、過去も含めて自分だけだとわかったから。

 もう気色悪い男の仲間入りで結構だ。うれしいものはうれしい。


 だが、今はあくまで恋人候補。

 候補から恋人になるためには、少しずつ先に進まなければならない。

 もどかしい。もどかしいが……楽しい。

 今日はリナとどんなことをしよう。どこまでなら許してくれるだろう。いやいやガツガツは禁止だ。ゆっくりと関係を進めていかなくては。

 そしていつか、リナに愛していると言われたい。

 かわいく俺を見上げながらあの愛らしい唇でそんなことを言われたら、俺はもう……。


「シルヴァン。……何かあった……?」


 オスカーの呼びかけられ、はっとする。

 そういえば団長室だった。


「何かとは?」


「今日は朝からずっと頬を染めてしょっちゅう上の空になるし、大丈夫かなと」


 怪しいものでも見るような目で俺を見るオスカー。

 いつの間にか団長室にいたアレスが鼻で笑った。


「どうせリナのことでしょう。ヤッたんですか」


「下品なことを言うな。盗賊にさらわれたばかりのリナにそんな無体な真似ができるか。今はその三十歩手前くらいだ」


「じゃあ告白してあいまいなOKをもらったくらいですかね」


 なかなか鋭いところをついてくるな。

 なぜあいまいなOKだとわかったんだ。


「想像にまかせる」


「そうですか。まあお幸せに」


 アレスは書類を置くと、さっさと帰っていった。


「シルヴァン、リナちゃんに本気なんだね」


「当然だ。俺の妻になるのはリナしかいない。何か不満でも?」


「ないよ。夢中すぎるところがちょっと心配だけど、もともと君の恋愛に口を出す気もないし。それにリナちゃんは思っていたよりすごい子だから、むしろ好ましく思っているよ。絡んできた食堂の女の子たちとも関係が改善したみたいだし、盗賊の件では大活躍だったしね」


「食堂の女の子に絡まれた? 初耳だな」


「報告しなかったからね」


 眉根を寄せる俺に、オスカーは感情をあまり感じさせない微笑を浮かべる。


「なぜ黙っていた」


「君が介入すべきことじゃないと思ったから。騎士であるライアスの件は団内の規律の問題でもあるから君が対処して正解だったけど、女の子同士のもめごとにまで団長が出ていたら示しがつかない。君があからさまにリナちゃんをかばってしまうと、かえって彼女は正しい評価を得られないし反感を買う可能性すらあった」


 医務室の正式採用なり今回の手柄なり、リナが何かを成し遂げても陰で俺の力が働いていたと思う人間が出てくる、ということか。

 女同士のもめごとにすら騎士団長が出てきてかばうくらいだから、と。


「お前の言うこともわからないではないが。エスカレートしていたらどうするつもりだったんだ」


「ひどくなるようなら私がこっそり間に入るつもりだったよ。場合によっては食堂の子たちを解雇してもいいと思ってたし。でもリナちゃんは自分の力と優しさで解決以上の効果を出したからね。この騎士団の中でリナちゃんを敵視するような人間はもういないだろう」


 オスカーはいつも冷静で、少なくとも騎士団のことに関しては感情に左右されることはない。

 それは俺が副団長をオスカーに任せている理由でもある。

 だが、冷静すぎてたまに腹が立つ。


「お前の考えはわかる。結果的にはよかったんだろう。だが、報告くらいは事後でもいいからしろ」


「うん、ごめん。それにしても、リナちゃんは今回大活躍だったし、君の呪いを解いた人物でもあるし、いずれ王太子殿下にもお目通りがかなうかもね」


「殿下のことは尊敬しているが、そういうことにリナを巻き込みたくない」


「君の妻になるなら一度も会わずに済むことはないと思うけど」


 それはそうなんだが。

 殿下がリナに女性として興味を抱くことはないだろうが、それでも王宮というのは面倒なところだ。リナを近づけたくない。

 まあ、それはいずれ考えよう。

 結婚までの道のりはまだまだ長いだろうしな。



 リナと休みが合ったのは二週間もあとで、ようやくデートが実現した。

 場所はなじみ深いラトンの森。

 新鮮味に欠ける場所ではあるが、恋人候補になってから初めてのデートと思えば楽しい。

 何より、人目がない。二人きり。

 いや、何も不埒なことを考えているわけじゃない。だが、周囲に人がいないほうがいろいろと好都合だ。

 墓参りと小屋掃除を済ませ、泉のほとりで敷物を敷いて昼食にする。

 リナがオニギリと揚げたチキンを作ってくれたのがうれしい。リナの負担にならないよう、我が家の料理人にも何品か作ってもらったが。


「リナのオニギリはおいしいな」


「喜んでもらえてうれしいです」


「今度街でオニギリの具になりそうなものを探して歩くのも悪くないな」


「それいいですね。とりあえず季節になったらサーモンがほしいところです。おにぎりに合うんですよ」


「食べてみたいな」


 そんな他愛のない会話をしながら、おだやかな時間が流れていく。

 ああ、幸せだな。

 リナといるだけで幸せなのに、彼女が少しでも俺のことを想ってくれていると思うと、胸が熱くなる。

 昼食も食べ終わり、リナが空になったランチボックスを片付ける。俺も手伝った。


「このままここで少し休憩していこう」


「はい」


「こんなにゆっくりとするのは久しぶりだ。リナが作った美味しいものも食べられたし、今日は最高の一日だ」


「ふふ、それはよかったです」


 リナが俺に向ける柔らかい笑顔が、俺の心を乱す。

 触れたい。

 そう思って、先日「嫌じゃない」と確認した髪に触れる。

 リナは少し驚いた顔をしたが、そのまま拒否せず触らせてくれた。

 髪を耳にかけ、そのまま小さな頭に沿うように後頭部まで指を潜り込ませる。

 リナの唇から小さな声がもれ、頬の血色が一気に良くなる。

 その様子はどこか艶めかしくて、頭の奥がしびれた。


「リナを抱きしめたい」


 思ったことがそのまま口から出てしまう。

 俺の自制心はどうやらどこかに旅立ったらしい。

 リナがちいさく息をのんだ。


「その……」


 どこまでが恋人候補なのか、どこまでを受け入れるのか。

 断ったら傷つけるのではないか。

 リナの逡巡が手に取るようにわかる。

 俺は彼女の髪から手を離した。


「すなまい、少し性急すぎたな。隣に座ってもいいか?」


「はい」


 俺は立ち上がり、リナのすぐ隣に座った。

 腕同士がつくくらいに近い。リナを見下ろすと、髪で顔が見えなかった。

 俺はリナの髪を指ですくうようにとり、反対側に流す。

 リナが緊張で身を固くした。その様子に、心の奥底に隠してある黒いものが顔を出しかける。

 あらわになった白く細い首筋。今ここに口づけたら、リナはどんな反応を示すだろう?

 いや、まだだめだ。まだ早い。

 少しずつ、少しずつ。


「髪を撫でてもいいか?」


 リナがこくりとうなずく。

 そういえばリナは緊張すると幼児のように黙ってうなずいたり首を振ったりすることがあるな。

 かわいい。 

 最初は、子供にするように手のひらで優しく頭をなでる。少しずつリナの体の力が抜けてきた。

 その反応に気をよくした俺は、今度は髪を指で梳く。

 そうするとまたリナの体に力が入って、思わず笑いそうになる。


「リナの髪はいつ触っても触り心地がよくて気持ちがいい。俺としてはずっと触っていたいが、嫌だったら言ってほしい」


「いやじゃない、です。でも……こういうの、慣れてなくて。緊張するというか恥ずかしいというか。こんな風に男性と触れ合ったりすることがなかったし……」


 この程度は触れ合いのうちにも入らないんだが、リナとしてはものすごく親密なことをしていると感じているんだろうな。

 かわいい。そして、うれしい。

 リナにこんな風に触れたのは俺だけだという事実に、俺の独占欲がわずかに満たされる。

 ああ、でもまだ足りない。

 もっと欲しい。全部欲しい。

 極限まで渇いた体にほんの一口の水が与えられたような気分だ。

 喜びと、さらなる渇望がわきあがる。


「リナが怖がることや嫌がることを、決して無理にしたりしない。だが恥ずかしいのは慣れていくしかないな」


「ええー……」


「慣れるための時間はたくさんある。何せ一緒に住んでいるんだから」


 笑みを浮かべると、リナの頬がまた赤く染まった。

 これ以上踏み込むのは良くないな。たぶん警戒される。 

 リナが慣れるまでは、しばらくはこの程度の接触で我慢しよう。健全なデートも重ねなければ。それはそれで楽しいしな。

 多少もどかしくはあるが、いずれ彼女を真の意味で手にしたときの喜びはひとしおだろう。


「こうして一緒に過ごせて幸せだ。やっぱり俺はリナが大好きだ」


「!」


 面白いくらいにリナが動揺する。

 もちろん今の言葉は本心だが、その初心な反応が楽しくて仕方がない。

 その一方で、動揺に揺れる長い睫毛と紡ぐ言葉を迷う開かれた唇からはかすかな色香が漂っていて、そのアンバランスさにまた魅了される。

 女性に夢中になって我を忘れる男の気が知れなかったが、今ならその気持ちがわかる。

 そんな自分を愚かだとは思うが、もうどうしようもない。

 俺はリナを愛している。俺のすべてを捧げたいと思うほどに。

 リナのためなら何を差し出しても惜しくはない。リナを裏切ることも決してしない。

 その代わり、リナのすべては俺がもらう。

 心も体も、すべて俺のものだ。絶対に誰にも渡さない。


 ひとりぼっちの魔女はもういない。

 俺が一人になどさせないから。

 彼女の居場所は、俺の側。俺の腕の中。 


 もう、逃がさない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ひとりぼっちの魔女と狼な騎士様(全裸) 星名こころ @kokorohoshina

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ