第21話 なつかしのおにぎり


 昨日買ってもらったお米その他は、昨日の夜のうちに届いた。

 というわけで、今朝は早起きして厨房を借りて、お米を炊いてみることにした。

 お米を研いで、しばらく水に浸す。


 昨日はシルヴァンさんに色々と買わせてしまって申し訳なかったなあ。

 この国では貴族の男性は女性に財布を出させないのが美徳らしいけど、こういうのはやっぱり慣れない。自分のお金で自分のものを買うのが落ち着く。

 今度は一人で行ってみよう。

 でも……昨日は、楽しかった。

 色々なものが見られてワクワクしたし、ゆったりと街を歩いていつもとは違う食事をして。

 手をつないだのも、恥ずかしかったけど同時に温かい気持ちにもなった。

 私の中で、男性への恐怖感が薄れてきてるのかな。それとも……シルヴァンさんだから?


 お米を水に浸している間、具を用意する。

 鮭や梅干しは売ってなかったから、牛肉を甘辛く炒めた具と焼きおにぎりを作ることにした。

 牛肉を炒め終わってフライパンを洗い、炊飯にとりかかる。

 お鍋でお米を炊いたのって炊飯器が急に壊れた時くらいだったから、うまくできるかな。


 お米を炊いてしばらく蒸らし、蓋を開ける。

 わぁぁ……ごはんだー!

 うん、ちょっと硬いけど、ちゃんとお米だ! わあーうれしい!

 タイ米と日本米の中間くらいの見た目だけど、おいしい。なつかしい味。

 ちょっと胸が痛む。

 日本に帰りたいという気持ちは薄れつつあるけど、それでも日本の食べ物は時々恋しくなる。

 そういえばお父さん、私の運動会の日は朝早く起きておにぎりとかたくさん作ってくれたなあ。

 もっとちゃんとありがとうって言えばよかった。

 お父さんがいれば幸せなんだよって、寂しくなんかないよって、ちゃんと伝えていればよかった。

 ……だめだ、お米に色々引きずられてる。

 考えないようにしないと。

 気を取り直しておにぎりに取り掛かろうとしたとき、小さな物音がして振り返る。

 入口のところにシルヴァンさんが立っていた。


「あっ、おはようございます」


「おはようリナ。ずいぶん早いな」


「朝食の支度の邪魔になってはいけないので」


「昨日買ったライスか」


「はい。今日のお弁当にしようかと」


 とそこで、私の顔を見てシルヴァンさんが少し驚いたような顔をする。


「リナ、何かあったか?」


「え?」


「目が潤んでいる」


 うわ、やだ。

 私、涙目になってたんだ。恥ずかしい。


「なんでもないんです」


「もしかして、故郷を思い出していたのか」


「……父のことを、少し」


 目をそらしつつ言う。


「リナはニホンに帰りたいのか……?」


 そんなことを言われ、顔を上げる。


「すまない。失言だった」


 世界の落とし人は、元の世界に帰れた人はいないと言われている。

 帰りたいと思っても、帰れるものじゃない。でも。


「帰りたいわけじゃないです。私を待つ人もいないし」


 あいまいに笑って、そう答える。

 シルヴァンさんが何かを言いかけて、口を閉じた。

 日本に少しも心残りがないわけじゃない。

 お世話になった伯母さんにもっとちゃんとお礼を言いたかったし、湖に落ちた時に一緒にいた友達には心から申し訳なく思う。

 ボートに乗っている人は近くに何組かいたから疑われることはないと思うけど、目の前で落ちてそのまま行方不明じゃトラウマになってもおかしくない。本当に申し訳ない。


「でも食べ物は恋しくなるので、お米を買ってくださってありがとうございます」


「そんなに喜んでくれるなら買い占めておけばよかったよ」


「ふふ、そんなに食べきれないですよ」


「ならまた買いに行こう。ところで、昼食を作るなら大変じゃなければ俺の分もお願いしてもいいだろうか」


「もちろん。ただ、お口に合わないかもしれませんよ?」


「いいんだ。食べてみたい」


「わかりました。じゃあご用意しますね」


「ありがとう」


 邪魔になると思ったのか、「じゃあまたあとで」とシルヴァンさんは厨房から出て行った。

 口に合うかな、おにぎり。

 お世話になりっぱなしだし、少しでも喜んでもらえたらうれしいな。




 開けっ放しの医務室の入口から、今日も騎士さんが元気に入ってくる。


「リナちゃーん、筋肉痛なんだけどマッサージしてくれない? ってうわ、カレン」


「ジャン。私がいたら何か不都合でも?」


 腕を組みながら冷たい視線でジャンさんを見据えるカレンさんは、やっぱり迫力がある。

 気弱に見られて男女ともになめられがちな私にとっては、うらやましいことこの上ない。


「いや、不都合なんてないです……」


「そう、マッサージだったわね。じゃあ私がしてあげるわ。整体は得意なの」


「得意ってあれ拷問だろ……いやなんでもないです、治りました。じゃあこれで」


 そう言ってジャンさんは去っていった。


「やっぱりカレンさんはすごいです」


「かわいげがないってよく言われるけどね。でもいいの、オスカーに対してだけかわいければ」


 そう言って笑うカレンさんは、たしかに女性らしくてかわいらしい。

 うらやましいなあ。こんなに大好きな人がいて。

 私、誰かを好きになったことなんてないから。

 とそこで、ふと銀色の髪の男性が浮かんで、あわてて頭の中から振り払う。


「リナは恋人は作らないの? モテるでしょうに」


「そんなことないですよ。それに……私、男性が怖いんです。以前よりは怖くなくなったと思うんですけど、付き合うとか結婚を考えると……」


 紳士で優しいシルヴァンさんと過ごすことで、日常生活の中ではあまり男性に恐怖心を感じなくなってきたと思う。

 でも、男性と親密な関係になるということを考えると身がすくむ。

 四年前のあの出来事は、未遂ではあったけど、まったく何もなかったわけじゃない。

 叩かれた頬や押さえつけられた手首の痛み。聞きたくない言葉、見たくないもの。体を這う手の気持ち悪さ。

 もう四年も経つというのに、いまだにあの感覚が自分の中から消えてくれない。

 ふっと、背中に温かくて柔らかい感触。

 カレンさんが背中からそっと私を抱きしめていた。


「怖い目にあったのね。かわいそうに。私もね、昔は治安が悪いところに住んでて、色々危なかったことが何度かあるの」


「そうだったんですか……。それでも男性を愛して結婚できるカレンさんはすごいです。私はいつまでも弱虫で」


「そんなことないわ、誰にだって傷は残る。私の場合は怖いというより男を憎んだわ。いまだに男に対してキツいのはそのせいもあるんだけど。でも……オスカーと出会って変わったの」


 本当に愛する人ができたら、過去のことを忘れられるんだろうか。

 わからない、私には。

 でも男性が多いここでの仕事を引き受けたのは、正直なところリハビリの意味もあった。

 恋愛は別にしても、男性と関わらずに生きていくことは難しいから。

 私も、強くならなきゃ。


「ごめんね、事情も知らずにそんな話をして」


「いえそんな。いいんです、過去の話ですから」


「恋人がいてもいなくても、リナには幸せになってほしいわ。ううん、なれるわ、リナなら」


 カレンさんが体を離す。


「ありがとうございます。なんだか、気持ちが少し楽になりました」


 自分と同じような目にあっても前向きに生きて幸せをつかんだカレンさんを、素敵だと心から思う。

 そんな彼女に話を聞いてもらえて、私の弱い心を受け止めてもらえて、心が軽くなった気がする。

 ずっと一人で引きこもっていたら、こんな素敵な人には出会えなかった。


「私、カレンさんに憧れます。カレンさんに出会えてよかったです」


「もうリナったらかわいいんだから。私もリナに出会えてよかったわ。……って、あら団長。いたの」


 入口に視線を移すと、シルヴァンさんがそこに立っていた。


「邪魔したかな」


「そうね」


 ズバリとカレンさんが言う。

 やっぱり彼女は男性に厳しい。


「団長が来るのは珍しいわね。リナに用事?」


「リナと昼食を一緒にと思って来たんだが」


「あらもうこんな時間。リナ、今日は私はこれで帰るわね」


 そうだ、カレンさんは午前中だけの勤務に変えたんだった。


「はい、お疲れ様でした」


 カレンさんはバッグを肩にかけ、入口へと向かう。


「じゃあお疲れ様、団長」


「ああ」


「ごゆっくり、ふふっ」


 意味ありげに笑って、カレンさんは帰っていった。

 シルヴァンさんは複雑な顔をしている。

 その手には私が今朝作ったおにぎりが入ったバスケットを持っていて、なんとなくかわいく思ってしまった。


「ここで食べますか?」


「ああ。邪魔でなければ」


「邪魔だなんて。あ、じゃあこちらにどうぞ」


 カレンさんとは、医務室にある小さなテーブルで一緒に昼食をとっている。

 食堂もあるし使ってもいいんだけど、人が多いところは落ち着かないのでお弁当を作ってもらって持ってきていた。

 「どのみちご主人様の分も作るから」と厨房の人が私の分まで作ってくれるのは本当にありがたい。

 いつもシルヴァンさんが仕事をしながらでも食べられるようにサンドイッチがメインだから、今日もおにぎりと簡単につまめるおかずにしてみた。

 だから当然団長室で食べるんだろうと思っていたんだけど、これからお昼時にずっと一人な私を気を使ってくれたのかな。

 シルヴァンさんが私の向かいに座って、ランチボックスを開ける。


「これは。なんてかわいらしいランチなんだ」


 大きめのランチボックスの中には、おにぎりが二つ、玉子焼き、からあげ、ピックに刺したアスパラのベーコン巻き、レタスと薄く切ったチーズをハムで巻いたもの、ミニトマト。


「品数が少ないし、簡単なものばかりですけど」


「いやいや、じゅうぶんだよ。いただきます」


 シルヴァンさんがおにぎりを一口食べる。


「うん、美味い。塩分がほどよくて、……中に入っているのは牛肉?」


「はい」


「この味付け、好きだな」


 おにぎりとおかずを美味い美味いと言いながらおいしそうに食べてくれる。

 自然と、笑みがこぼれた。

 貴族のシルヴァンさんにおにぎりってどうなんだろうと思ったけど、よろこんでもらえたみたいでうれしい。


「そういえば昨日」


「はい?」


「強引にプレゼントしてしまってすまなかった。特に髪飾り」


「いえ、そんな。髪飾り、ほんとに素敵でうれしかったですよ」


「そう言ってもらえてありがたいよ。リナがあまりにきれいで浮かれてしまっていたようだ」


 そんなことを言われて、頬が熱くなる。

 もう、どうしてそんなにさらりと褒めるんだろう。

 シルヴァンさんはそう言ってくれるけど、自分がそこまでのレベルじゃないのはよくわかってるのに。


「一方的に何かを与えられるのは、リナは嫌いじゃないかと反省したんだ」


「嫌いというか……申し訳なくて」


「そうか。けれど、リナも俺にたくさんのものを与えてくれているということを忘れないでほしい。リナがいなければ、俺はただの狼として死んでいただろう。人生まるごと救われたんだ」


「解呪に関しては自覚はないんですが、お役に立てているのならうれしいです」


「それに、こんなに美味しいランチまで俺に与えてくれている。このおにぎりは最高だ。ほんのり甘い卵も揚げた鶏肉も絶品だ」


「あはは、そんなの大袈裟ですよ。でもよろこんでもらえてよかったです」


「お世辞ではなく、リナは料理上手だな。リナの料理をずっと食べたい。だからけっ……」


「?」


「……け、結局のところリナからはたくさんのものを与えられているということだ」


「? そうですか」


 シルヴァンさんが明後日な方向を向いている。どうしたんだろう?

 私が半分ほど食べ終わったところで、シルヴァンさんがすべて食べ終えた。

 そして私が食べる様子をニコニコとみている。

 他愛ない話をぽつぽつとしながら私も食べ終えたところで、シルヴァンさんが席を立った。


「慌ただしくてすまないが、もう戻らなくては」


「はい。お仕事お疲れ様です」


「ごちそうさま。本当に美味しかったよ」


「よかったです」


 シルヴァンさんは優しく微笑むと、開けっ放しのドアから出て行った。

 忙しそうだなあ。

 約一年不在にしてたから仕方がないと以前言っていたけど。

 狼に戻る前に家に戻らなきゃいけないし、大変だよね。


 特にやることもないのでお昼休憩を早めに切り上げてカルテを書いていると。

 扉のあるあたりから、小さくノック音が聞こえた。

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