第9話 至れり尽くせりに慣れるのは怖い


 家の中を掃除して、持っていくものを袋に詰める。

 身一つで来てくれれば必要なものはすべて用意するとシルヴァンさんは言ってくれたけど、薬を作る器具は使い慣れたものがいいので、少なくともそれだけは持っていきたい。

 大きなカバンに器具とわずかな着替えだけを詰め込んで、外に出る。

 小屋の裏手に回ると、いつもと変わらずオルファのお墓が静かに佇んでいた。


「オルファ。私、ここを出るね。ごめん」


 当然、返事はない。


「これからどうなるのかちょっと怖いけど、私を助けてくれた人を助けたいから。これからはちゃんと人と関係を築いて生きていこうと思ってる。だから、心配しないでね」


 手を合わせて、お墓に深々と頭を下げる。


「私を拾ってくれてありがとう。生きていく術を教えてくれてありがとう。たくさん優しくしてくれてありがとう。オルファのこと、ずっと忘れない。置いて行くのが心残りだけど、またお墓参りにくるから」


 そよそよと風が吹く。

 オルファが行っておいでと言ってくれているような気がした。


『そろそろ行こうか』


 シルに後ろから声をかけられて、私はうなずく。

 昨日一足先に森を出たアレスさんとの待ち合わせ時間が迫っていた。


 森を出てすぐのところに、大きな馬車が停まっていた。

 その側にはアレスさん。

 彼が手配してくれた馬車に三人? で乗り込む。

 御者は一瞬ぎょっとした顔を見せたけど、何も言わなかった。

 アレスさんが言い含めていたのかな。

 シルを見て馬が騒ぐかと思ったけれど、そんなことはなかった。馬にはシルが人間だってわかるんだろうか。

 アレスさんと私が向かい合わせに座って、シルは当然と言わんばかりに私の隣に座った。

 そしていそいそと体を伏せて、私の太ももに頭をのせる。


「団長……もうリナの飼い犬にしか見えないんですが」


 アレスさんの声など聞こえないとばかりに目をつむるシル。

 その顔がかわいくてつい頭を撫でると、尻尾がふりふり動く。

 アレスさんの、深い深いため息が馬車の中に響いた。


 引きこもりだった私は知らなかったけど、住んでいた町は王都に近い位置にあったようで、その日の夜には王都に着いた。

 シルヴァンさんのお屋敷はお城にわりと近い住宅街にあるらしい。

 そこそこお金があって、なおかつお城に関係する人しか住めないとか。

 貴族のタウンハウスがある貴族街とはまた別の場所らしい。

 三階建ての大きな建物の前に着いて、その立派さに言葉を失う。

 貴族の屋敷よりこぢんまりしていて住みやすそうだろう? というシルの言葉にまた驚いた。

 これでこぢんまりなの? こんな家、日本じゃテレビくらいでしか見たことないよ。海外セレブの家みたい。

 出迎えてくれた執事らしきおじいさんに、アレスさんが色々と説明する。

 呪いについては知っていたようで、私が呪いを解ける可能性がある魔女だと知ると涙を流して喜んだ。


「まことにありがたいことでございます。ささ、一番良い客室へご案内いたします。お疲れでございましょう」


『客室?』


 シルが少し不満そうに言う。


「どうしましたか?」


 執事の手前、丁寧な言葉で問いかける。


『客室か……いや、いい。人間に戻ってから自分で色々手配する』


「あの、私、寝られるところならどこでも」


『そういうことじゃない。とりあえず今はその客室を使ってくれ。今夜は休もう』


「わかりました」


『ああそうだ、大事なことを言い忘れてた。わが家へようこそ、リナ。来てくれて心から感謝する』


 なんだかくすぐったい気持ちになって、微笑んでうなずく。

 シルが何故かアゥ、と声を漏らした。

 アレスさんはそのまま帰り、シルはたぶん自室へ。私は客室に案内された。

 その部屋はまるで一流ホテルのスイートルームのようで、質素な生活に慣れ切った私は目がチカチカした。

 ありがたいことにお風呂やトイレまでついている。

 メイドさんも親切で、すぐに食事やお風呂、着替えを用意してくれた。

 まさに至れり尽くせり。こんな贅沢な生活、しちゃっていいのかな。

 でもお風呂の気持ちよさの前には全てが吹き飛んだ。


 翌朝、メイドさんに案内されて入った部屋には、シルヴァンさんがいた。

 人間のシルヴァンさん。もちろん裸じゃない。

 質がよさそうな白いシャツとズボンというシンプルな服装なのに、すごくかっこいい。

 騎士らしく筋肉がついているのにゴリゴリという感じじゃなくしなやかで、足も長い。

 もちろん顔もものすごく美形で、外国のモデルさんみたい。


「おはよう、リナ」


「おはようございます」


「先ほど人間に戻ったんだ。だが、すぐに狼に戻るだろう。人間でいるうちにリナと朝食を食べたくてね。いいかな」


「はい。誘ってくれてありがとうございます」


 どうやらここは彼の部屋らしい。

 メイドさんたちはテーブルに料理を用意すると、出て行った。

 シルとは一緒にいると安心するけど、かっこいいシルヴァンさんと二人きりだとなんだか緊張する。

 もそもそと食べ始めるけど、彼がニコニコしながら見ているので食べづらい。

 でも、このサンドイッチ美味しい。ものすごく。


「美味しいか? リナ」


「はい」


「それはよかった。そのワンピースも似合ってるよ。とてもかわいい」


 そんなことを言われて、思わず照れてうつむく。

 こんなに肌触りのいい服は日本にいたとき以来で、なんだか落ち着かない。


「ところで、提案なんだが。部屋を変えても構わないだろうか?」


 たしかにほかにお客様が来ることもあるかもしれないから、一番いい客室をずっと使うわけにはいかないよね。

 それに、私ももう少し質素な部屋のほうが落ち着くかも。


「はい、どこでもいいです。シルヴァンさんのいいようにしてください」


「じゃあ、リナは今日からそこの部屋だ」


 そう言って彼が指したのは、出入口とは別の扉。


「……?」


「その扉の向こうに部屋がある。ここと同じくらい広いし、浴室もトイレもこの部屋とは別にあるから困らないよ」


「……えっと。この部屋との続き部屋を、私が使うということですか?」


「ああ」


 事もなげに彼が言う。

 混乱してきた。


「私の知識が間違っていなければ、そういうお部屋は奥様が使うものなのでは?」


「普通はそうだ。だが俺には妻も恋人もいないし問題ないだろう?」


「し、使用人の方々がどう思うでしょうか」


「微笑ましく思ってくれるだろう」


 そんな馬鹿な!


「リナの側にいるほど呪いが薄くなる気がするんだ。なら物理的に近い距離にいてほしい。こうして一緒に食事もしたいし」


「でも……」


「小屋では一緒に暮らして、一緒に寝ていただろう?」


 そんなことを言われて、思わず頬が熱くなる。

 そんな私を、シルヴァンさんが口に笑みをのせて見ていた。

 いつもの優しい笑みとは違う、どこか妖艶な笑みにドキドキする。

 彼が、笑みを引っ込めて真顔になった。

 

「リナが男に恐怖心を抱いているのは知っている。だから約束する。人間の姿のときは、俺は決して君の部屋には入らない。もちろんこうしてリナが来てくれているときだって、絶対にリナが嫌がるようなことはしない」


「……」


「そもそもリナに何かしようとするなら、一緒に寝ていたときにしていた」


「あの時は狼だったでしょう?」


「ん? あー。ああ、そうだったな。いずれにしろ、リナが大事だからリナを傷つけるようなことはしないよ」


 たしかに、シルヴァンさんはシルなんだから、決して悪い人じゃない。

 むしろこんなに優しくしてくれるしいい人だと思う。

 それに、こんなにかっこよくて貴族で騎士団長なんだから、女性にだって困っていないはず。

 私みたいに子供に見られてしまうような女がビクビクする必要なんてないよね。


「わかりました、信じます。でも人間の姿のときっていうことは、狼の姿のときは来るんですか?」


「リナに撫でられたい時には行くかもしれない。狼のときなら安全だろう?」


「うーん……」


「解呪のためだと思って、許してくれないだろうか」


 それを言われてしまうと弱い。

 騎士団長という立場なら、一刻も早く人間に戻りたいだろうし。


「わかりました。私もシルをモフモフしたいし」


 また、シルヴァンさんが微笑んだ。

 とそこで、彼が急に立ち上がってベッドサイドの衝立の奥に隠れる。


「?」


 しばらくして衝立の陰から出てきたのは、狼のシルだった。


『もう戻ってしまった』


「戻るタイミングがわかるんだ」


『ああ。わかるようになってきた。狼になる前にかろうじて服も脱げたよ。しかし……まだまだ先は長いな』


「はやく元に戻れるといいね」


『ああ』


 のそのそとこちらに歩いてくるシルの後ろ足は、靴下をはいたままだった。

 かわいくて思わず笑ってしまう。

 彼の呪いが早く解ければいいと心から願うと同時に、この狼に会えなくなってしまうのはちょっと寂しいな、と思ってしまった。

 ごめんね、シルヴァンさん。



 それから三日後、呪術鑑定士という人が屋敷に来た。

 ここ数日は朝に人間に戻るようなので、その時間に合わせて来てもらったらしい。

 その人いわく、たしかに私には解呪の力があるとか。


「もしかしたら世界の落とし人であることが関係しているのかもしれません。落とし人は正の“気”を持つと言われているので、負の力である呪いを打ち消しているのではないかと」


「解呪をしているという自覚はないんですが……」


「自覚はなくても呪いによって歪められた理を正しているのは確実です。ただ、その力は微弱です。周囲にいる人間に徐々に影響を与える程度ですから、解呪にも時間はかかるでしょう」


「わかった。ひとまずリナに解呪の力があることがわかってよかった」


 シルヴァンさんは私に力があるとわかって上機嫌。

 でも微弱だっていうことだったし、一年で完全に解呪できるんだろうか。

 できなかったら、ここに通うことになるの? それともここに住むという契約の更新? うーん。


 シルヴァンさんは、その日以降さらに私を側に置くようになった。

 人間でいる間は一緒に食事をするし、狼のときはくっついてきたりする。

 私はそれが嫌じゃなかった。むしろ心地いい。

 私も感覚がおかしくなってるんだろうけど、どうしてもシルのときは距離感が近くなってしまう。中身は超美形のシルヴァンさんなのに。

 でも、彼は約束通り私が嫌がるようなことをしなかった。

 狼のときは時々扉の向こうから声をかけて部屋に入ってくるけど、人間の姿のときはちゃんと距離を置いてくれる。

 触れたりもしない。ただ微笑んで私を見つめるだけ。

 その笑みが時々艶を帯びたものになって、私はドキドキしたりするんだけど。


 それにしても、ここでの生活は至れり尽くせりすぎる。

 お風呂、食事、着替え、全部用意してもらえるし、せめて掃除くらい自分でやると言ってもメイドさんたちに断られる。

 肌も髪も小屋にいるときより明らかにツヤツヤだし、シルヴァンさんも美しいと褒めてくれるけど。

 これでいいのかなあ。

 なんだか、ここにいたらダメ人間になってしまう気がする。ちょっと怖い。

 せめて薬づくりだけでも再開できるよう彼に頼んでみよう。

 周囲の環境に甘え切ってないで、ちゃんと自立の準備をしないとね。

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