第8話 中身は人間の男性だったなんて


 私は今、とても混乱している。

 モフモフ狼だと思っていたのが、実は驚くほど美形の人間の男性で。

 そして今、私の目の前で土下座している。

 一応、裸じゃない……と言っていいのかな。アレスさんの外套を借りている。あとは腰巻がわりにタオルを渡した。


「あの、シル……ヴァンさん。どうか顔をあげてください」


「本当に申し訳ない。許せないと思うなら俺をこの剣で刺しても構わない」


 重い。


「私、人は刺したくないんで……。とりあえず顔を上げてもらえますか。これじゃあお話ができません」


 シルヴァンさんが小屋に入るなり土下座をした際、アレスさんは「ごゆっくり」とあきれ顔で出て行った。

 シルヴァンさんが、ようやく顔を上げる。

 輝くような銀色の髪に、深い青の瞳。光の加減によっては黒にも濃い紫にも見える。

 鼻筋はすっと通って、唇の形もきれいで。

 こんなにきれいな男の人、俳優さんでも滅多にいない。

 私、こんな人と一緒に寝て、目の前で着替えて、一緒にお風呂に入る? とまで……。

 もう恥ずかしすぎて死んでしまいそう。


だましていてすまなかった。俺は神護の森の神狼じゃない。人間だ」


 うん、それは見ればわかる。

 でもこの人と狼のシルのイメージがなかなか結びつかない。

 まだ冷静でいられるのは、そのせいかもしれない。


「どうして嘘なんか」


「ここに……リナの側にいたかったからだ」


 そんな勘違いしそうなセリフ。

 たしかに人間の男性だってわかっていれば一緒には暮らさなかったし、そうなればシルは行き場もなく困っただろうけど。


「記憶がなかったっていうのは?」


「それは本当だ。だが、さっき人間に戻った時に唐突に思い出した」


 たしかに、アレスさんとの会話を聞いてれば、記憶がなかったっていうのは本当なんだろうなとは思う。

 

「どうして人間が狼に……」


「呪いの魔女と呼ばれる悪しき魔女がいた。俺たちはその魔女を討伐することに成功したが、魔女の最期の呪いを俺が受けてしまったんだ」


 人間が狼になる呪いっていうこと?

 呪いなんてあるんだ、この世界には。

 オルファが幻術を使えたんだから、ほかに何かの術を使える魔女がいてもおかしくはないんだろうけど。


「討伐っていうことは、シルヴァンさんは騎士か何かですか」


「ああ」


「……」


 しん、と小屋が静まり返る。

 色々聞きたいことがあるのに、なかなか出てこない。

 

「人間に戻ったということは、もう呪いは解けたということでしょうか」


「わからない。また狼に戻ってしまうことがないとも言い切れない。いずれにしろ、俺が人間に戻れたのはリナのおかげだという気がしている」


「私は何もしてません」


「だが今のところリナだけが狼の俺と会話できるし、会話が成立するようになったのはシルという名前をもらってからだ。狼でいる時は簡単に理性を失いそうになるが、リナがいつも理性を取り戻してくれる」


「でも私、本当に特別な力なんてないんです」


「気づいていないだけかもしれない」


 そう言われても。

 この世界に落ちてきて一度も特別な力のようなものを使ったことなんてない。

 どっちにしても、もう関係ない。だって、この人はここから去るんだから。

 そう思うと胸が痛んだ。

 この人はモフモフ狼じゃないのに。私が苦手な、人間の男性なのに。

 どうして寂しいと感じてしまうんだろう。


「あの、シルヴァンさん」


「なんだ?」


「今までありがとうございました。一緒にいて楽しかったし、助けてもらったことも本当に感謝しています」


 そう言うと、シルヴァンさんの顔が傷ついたように歪んだ。

 どうして?


「リナが男嫌いなのは理解しているが、狼じゃなくなったら俺はもう用なしなのか」


「そんなんじゃありません! でも記憶を取り戻して人間に戻ったシルヴァンさんはここを去るでしょう。立場のある人なんですよね」


 アレスさんのあの口調は目上の人に対するものだし、皆待っていると言っていた。

 騎士の世界のことは何もわからないけど、おそらく騎士団の中で上位にいる人なんだろう。


「たしかに俺には背負うものがある。思い出した以上、この小屋では暮らせないだろう」


 やっぱり。

 わかってた。傷つかないし寂しくない。大丈夫。


「だがリナとも離れたくない。俺と一緒に来てくれないか」


「……えっ?」


 心臓が大きく跳ねる。

 どういうこと?


「俺の屋敷で一緒に暮らしてほしい。使用人も何人もいるから、俺と二人きりというわけじゃない。そのほうがリナも安心だろう」


「お屋敷で働くということですか?」


「メイド姿のリナも……じゃなくて、客人としてもてなす」


「どうして私を?」


「ひとつは、リナが解呪に関わっていそうなこと。呪いが完全に解けているのならその礼をしたいし、まだ解けていないならリナの力を借りたい。もうひとつは、リナと一緒にいたいからだ」


 そんなことを言われて、頬が熱くなる。

 ばか、何を期待してるの。

 使用人が何人もいるような人に。


「でも、私にもここでの生活があります。オルファのお墓もあるし」


「墓は移すなら手配するしそれを望まないならここに墓参りにも連れてくる。生活に関しては不自由はさせない」


「シルヴァンさんは、どういうお立場の人なんですか?」


「!」


 彼が黙り込む。

 しばしの沈黙のあと、彼はふう、と息を吐いた。


「言わずに一緒に来いというのは卑怯だったな。俺の名はシルヴァン・アーカント。銀狼騎士団の団長で、侯爵家の次男。もっとも妾の子だし実家とはほとんど縁が切れているが」


 騎士団長。

 侯爵家の次男。

 やっぱり、別世界の人だった。


「そんな顔をしないでくれ、リナ。屋敷は侯爵家ではなく俺のものだし、リナに嫌な思いはさせない」


「でも、やっぱり私……一緒には行けません。解呪も私とは関係ないと思います」


 異邦人で田舎出身の引きこもり魔女が、こんな立派な人に客人としてお世話になるのは苦しい。

 それに、不自由はさせないと言われても仕事すらせずいつまで客人として過ごせばいいの? そのあとは? ここに戻って、またもとの生活に戻れる?

 こういうネガティブな考え方がダメなんだって、自分でもわかってはいるんだけど。


「どうしても駄目なのか、リナ」


「はい」


「どうあっても、俺を拒むと」


 シルヴァンさんの瞳に焦れたような色が浮かんで、背筋がひやりとする。

 どうしよう。どう答えたら。

 逃げ出したい気持ちをどうにか抑えながらどう言うのが正解かを考えていると、彼がうう、と呻いた。


「どうしましたか?」


「く、これは……」


 彼が苦しげに床に手をつく。

 その手が、徐々に銀色の毛に覆われてくる。

 そしてみるみるうちに狼へと戻ってしまった。


「……」


『また戻ってしまったか……』


 馴染みにある姿になったことで、なぜかほっとする。

 そんな私を、シルヴァンさん、というかシルは複雑な表情で見ている……気がする。

 狼だから表情はわかりづらいけど。


『まだ完全に解呪されたわけではないようだ。だからこそ、リナには一緒に来てほしいんだが』


「でも……」


『一緒に来てくれないのなら、俺はずっと狼のままだ。だがそのほうがリナにとってはいいのかもしれないな。リナは人間の俺より狼のほうが好きだから』


「そ、そんな言い方」


 だって、一緒に過ごしてきたのは狼のシルなんだもん。

 そっちの姿に安心するのは仕方がないじゃない。

 人間のときは美形すぎて怖いし。


『一緒に来てはくれないのか。俺を見捨てるのか』


「それは」


 シルがベタッと床に伏せて、私を上目遣いで見上げる。

 ううっ、かわいい。絶対にわかってやってるこの人。

 アレスさんが小屋に入ってきて、ため息をつく。


「戻っちまったんだな」


「はい……」  


 シルがキューンキューンと鳴き始める。

 これじゃあ犬だよシル……。

 クーンクーンアゥオゥキューンキューンとひたすら鳴く。


「なぁ、なんて言ってんの?」


「何も。キュンキュン言ってるだけです」


「団長。あんたプライドとかどこに捨ててきたんですか」


 アレスさんがあきれ顔でシルを見る。

 シルはクゥン……と静かに鳴いて黙った。


「あー、まあ話は外でだいたい聞かせてもらった」


 聞いてたんだ。


「お嬢さん、あんたが色々躊躇うのもわかる。環境を変えるのも不安だし、先のことを考えるとよけいに不安だろう」


「はい」


「ただな、ここだって安全じゃない。現にオレは強引な手段でここまで来られただろう。それに幻術をかけたオルファが死んでるなら、それもいつまでもつかわからない」


 たしかに、それは考えていないわけじゃない。

 幻術があったから平和に暮らしてこられたけど、それがなくなったら森での一人暮らしなんてかえって危険だっていうのはわかってる。


「あと仕事の面。どうせフラれた男の腹いせだろうが、薬を売ることすらできなくなっただろう」


 胸が痛む。

 薬を作る以外、私にできることなんてない。

 この町で唯一の薬屋に薬を売ることができなくなったら、生計を立てていくのは難しい。


「ここを離れるなら今なんじゃないのか? それよりなにより、団長にもオレたち団員にも、あんた……リナの助けが必要なんだ。人助けだと思って、どうか」


「……」


 さっきみたいに断ることができない。

 たしかに、色々あってここに住み続けることが難しくなってきている。

 でも、貴族で騎士団長というシルヴァンさんと一緒に住むというのは、どうしても現実感がわかない。


「頼む、リナ。団長はオレたちをかばって呪いの全部をかぶったんだ。なんとしてでも助けたい」


 口は悪いけど、アレスさんはシルヴァンさんを慕ってるんだ。

 さっきの見捨てるのかというシルの言葉と、アレスさんの表情が一緒に行かないという私の決意を鈍らせる。

 シルヴァンさんが完全に人間に戻ったんだったら、断れただろうに。


「でも、私は本当に解呪の力なんて持っていないと思います」


「それならそれでもいい。団長の状態が以前より改善してるのは確実だから、何かあるんじゃないかとオレも思うが。そうじゃなかったとしても、今のところ通訳できるのはあんただけだから貴重な存在であることは間違いない」


「以前より改善というと?」


「団長は狼になっただけじゃなく、だんだんと理性を失って、ただの獣みたいになってオレたちの前から姿を消したんだ。高名な魔女オルファの噂を聞いて、彼女を訪ねようとしていた矢先だ」


「そうなんですか? シル……ヴァンさん」


『シルでいい。少なくとも狼のときはシルと呼んでくれ。記憶を取り戻してもそのあたりは曖昧だ。アレスの言う通り理性を失ってたんだろう。ただオルファを訪ねるという目的だけを漠然と憶えていて、それに従ったのかもしれない』


「そうだったんだ」


『リナ、先ほどはすまなかった。リナにとって一緒に行くなんて話はそう簡単に決められるものじゃないのに、感情で押し通そうとした』


「ううん、私のほうこそ。あなたにとっては一生がかかった一大事なのに、自分のことしか考えてなかった」


『リナは否定するが、やはりリナといると俺はどんどん人間に戻る気がするんだ。だから、ひとつ提案させてほしい。一年という契約で、俺のところへ来てくれないだろうか』


「一年の契約?」


『ああ。一年が終わって、リナが出ていきたいと言うなら俺は止めない。謝礼を支払うのはもちろんのこと、仕事を見つける手伝いもするし、リナが安全に暮らせる家も用意する。契約期間中も、薬作りを続けるなら薬草園を用意しよう』


 一年契約。

 それならいいのかな。

 もうこの町で暮らしていくのは難しそうだし。


『ただ、一年が過ぎても解呪が完全じゃない場合は協力はしてもらうと思う。もちろん、それとは関係なくリナがずっと俺と一緒にいてくれるなら嬉しい』


 彼のお屋敷で客人として住むのは躊躇われるけど、彼が人生を取り戻す手助けと思えばいいのかな。その後の自立の手伝いもしてもらえるというなら。


「わかりました。お役に立てるかどうかはわかりませんが、一緒に行きます」


『本当か! ありがとうリナ!』


「助かる」


「でも、月に一度くらいはここにお墓参りに来るのを許してもらえますか?」


『もちろんだ。馬車も手配する』


「じゃあ、よろしくお願いします」


 シルがぶんぶんと尻尾をふる。

 本当に喜んでくれてるみたい。

 解呪の力なんて本当にあるかどうかわからないけど、それでも一年なら試してみるのもいいかな。


「理性を失った猛獣でいられるのも困るが、こんな犬みたいなのもなぁ……」


 アレスさんが複雑な表情でつぶやくけれど、シルはそのまましばらく尻尾を振り続けていた。

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