第6話 こわい男の人が現れた


「もうあんたの薬はうちでは扱わないよ」


 納品の日、薬屋の奥さんに開口一番言われた言葉。

 予想をしてなかったわけじゃないけど。

 やっぱり、ショックだ。


「あんたうちのジャックを狼を使って脅したんだって? ジャックは何もしてないのに」


 何もしてない?

 森の中、後ろから追いかけてきて腕をつかんで抱きつくことが何もしていない?

 男性側からすれば大したことじゃないのかもしれない。

 でもひと気のない中、断っても放してと言っても聞き入れられない恐怖を、何もしてないの一言で済ませていいんだろうか。

 けれど、そう言っても通じないのはわかってる。

 この人は息子の味方だろうし、彼だって自分の都合のいいように話しているだろう。

 そもそも私の言い分を少しでも聞く気があるなら、いきなり「あんたの薬は扱わない」なんて言うはずがない。


「もともと息子が魔女なんかを気にかけてるのが気に入らなかったんだ。さっさと出ていきな」


「……今までお世話になりました」


 薬屋のドアを開けると、ちりん、と鈴の音が鳴った。

 売るはずだった薬を持って町を歩く自分が、ひどくみじめに思える。

 フードを目深にかぶっていてよかった。こんな顔、人に見られたくない。

 ひそひそと小声で話す声が聞こえてそちらを向くと、町の女の子たちがこちらを見ながら半笑いで何かを話してた。

 ああ、こういうのあったな、高校でも。

 高校でサッカー部の先輩に、夏休みの少し前に告白されたとき。

 告白は断ったけど、上級生の女の子たちが「たいして可愛くないじゃん」「あいつ調子に乗ってない?」とか聞こえよがしに言っていた。

 その先輩のことなんて知らなかったし、私の何が悪かったのか今考えてもわからない。

 重いため息がもれる。


 町での買い物は、普通にできた。

 全員が悪意ある態度をとってくるわけじゃない。

 でも若い人を中心に、明らかに今までと態度が違う。

 狼で人を脅す悪い魔女だと思われたのか、薬屋の息子をたぶらかす悪女だと思われているのか。

 三年前、襲われたときですら隙があったとか悪く言う人だっていたんだから。

 人の悪口なんて、平気。

 ……ほんとは平気じゃないけど。

 ただ、薬が売れないのは困った。

 こんなときオルファだったら、どうしていたかな。

 オルファは町の人と信頼関係を築いていたし、そもそもこんな事態にはならないんだろうなぁ。

 万が一そうなっても、きっと他の誰かが口添えしてくれるに違いない、オルファなら。

 でも、私には信頼関係もツテも何もない。

 それは誰でのせいでもない、私のせい。人と関わってこなかったから。

 人に対する苦手意識やコミュニケーション能力の低さは、きっとこれからも変わることはないんだろう。

 でも。

 性格は変えられなくても、もう少しだけ勇気を出していろんな人と話していれば何か違ったのかな。

 先日の猟師のおじさんが親切にしてくれたように、少しだけいい関係が築けていたのかもしれない。

 今更言っても、仕方のないことだけど。


「はぁ……」


 ため息が声となってもれる。

 これからの生活をどうしよう。

 シルに遺産の全額をつぎ込んだとはいえ、少しの蓄えならあるし当面はなんとかなるはず。

 でも自給自足にも限界はあるし、薬を売る算段をつけなきゃ。

 もうすぐ森の入り口。

 シルにはこんな顔を見せられない。

 心配をかけないよう、しゃきっとした顔で帰ろう。


「失礼、お嬢さん」


 後ろから声をかけられて、心臓が大きく跳ねる。

 驚いて振り返ると、そこに若い男性が立っていた。

 男性に見覚えはない。

 ツンツンした短いアッシュブロンドの髪に、三白眼ぎみの鋭い瞳。一見細身に見えるけど、その外套からちらりとのぞく体は明らかに鍛えている人のもの。

 旅人? 町の人じゃないよね。

 なんだろう、ジャックさんとは違った意味でちょっと怖い感じがする。


「私に何か御用ですか」


「あなたはこの森の魔女ですよね」


 確信を持った様子で聞いてくる。


「はい、それが何か……」


「町の人からの情報で、あなたが大きな銀色の狼を飼っていると聞きました」


「……!」


 シルを狙う人?

 あんなにきれいで大きな狼だから、欲しがる人はたくさんいるに違いない。


「なんのお話かわかりません」


「悪いが裏は取ってあるんだ」


 男性の口調が変わる。

 体が恐怖に冷えた。


「お嬢さんと問答する気はない。狼がいるところに案内してくれ。オレの探している狼だった場合、代金はちゃんと払う。もちろん違った場合は一切手出しはしない」


 怖い。

 ただ立っているだけなのに、やけに迫力がある。

 でも目的もわからないのに、簡単にシルに会わせるわけにはいかない。


「どういう目的で狼を探しているんですか」


「あー、あれだ。あれはとある……貴族が飼ってた狼だ。連れ戻しに来た」


 怪しい。


「狼に危害を加えたりはしない。もちろん代金は支払うし、お嬢さんが買った金額より上乗せする」


「飼っていた方のお名前を教えていただけますか」


「え? いや、……。貴族の名前だ。簡単には出せない」


 目が泳いでいる。

 この人、嘘をついてる。


「金なら確かにここにあるから案内してくれ」


 男性が懐に手を入れてジャラジャラと音がする袋を見せる。

 たしかにお金はあるんだろう。でも。


「本当に狼を飼っていた方がいるんでしたら、その証明を持ってきてください。そうしたらお返しします」


 もちろんシルが帰ると言えば、だけど。


「……埒が明かねぇな」


 男性が舌打ちして、一歩前に出る。

 殺されるかもしれないという恐怖が、全身を巡った。


「ち、近づかないで!」


 ウエストポーチを探って、痺れ薬を丸めたものを投げつけた。

 人や物に当たれば砕けて粉が舞い散り、それを吸った人間を麻痺させる。

 でも、あっさりと避けられた。

 さらにポーチを探っているうちに、距離を詰められてその手をつかまれた。


「……!」


 強制的に体を反転させられる。

 手を背中側に捻りあげられて、痛みに顔をしかめた。


「い、いたっ!」


「悪いな、女にこんな手荒なこと。でもこっちも切羽詰まってんだ。案内しろ」


 背中のすぐ後ろで聞こえる、より一層低くなった男性の声。

 怖い。従わなければきっと殺される。

 でも、この人は明らかに嘘をついている。嘘が下手だし。

 私が小屋へ案内してしまえば、シルが連れていかれてしまう。下手をすれば殺されて毛皮にされてしまうかもしれない。


「でき、ません」


「……」


 男性は苛立ったようにため息をつくと、私のもう片方の腕も取って後ろでひとまとめにした。

 そしてロープのようなもので素早く縛り上げる。

 あまりに鮮やかな手並みに、背筋が寒くなった。

 この人は普通の人じゃない。

 口は悪いけど盗賊なんかとも違う気がする。

 傭兵とか、軍人とか、そういう類の人かもしれない。


「普通の人間は森で迷うんだってな。奥に入れるのはあんただけだとか」


 そこまで調べられてた。

 一体この人は何なの?


「あんただけが道順を知ってるのか、あんたがいれば奥に入れる仕掛けなのか。どっちかまでは調べられなかったが、後者に賭けるか」


 男性はそう言うと、私を荷物のように肩に担いだ。


「やっ、おろして!」


「暴れんな」


 足をばたつかせたけど、太ももの裏側を押さえつけられて動けなくなった。

 彼はそのまま森の中にずんずんと進んでいく。

 どうしよう、私がいたら三層まで入れてしまう。


「……お願い、殺さないで」


「柄が悪いのは自覚してるがオレは悪党じゃねぇ」


「狼を……殺さないで」


「!」

 

 男性はしばし黙ったのち、は、と笑った。


「この状況で自分じゃなく狼の命乞いとはな。こんなに震えてんのに。面白いね、あんた」  


「……」


 こっちは怖くてシルが心配で仕方ないのに、男は楽しんでる。

 いつもいつも、力がない自分はみじめだ。


「私はお願いすることしかできません。でも、狼を殺さないでください、お願いです」


 喉の奥が苦しくなって、涙があふれる。

 こわい。くやしい。シルを奪われたくない。殺されたくない。

 いろんな感情が、自分の中で渦巻いている。


「彼の毛皮は人間が飾るためにあるんじゃないんです。寒さをしのぐためにあるんです」


 そこで男性がブッと吹き出した。


「な、何がおかしいんですか!」


「いやいや。まあ、あれだよ。殺さないよ。お嬢さんも狼も。約束する」


 声音が妙に優しくなる。

 でも信用なんてできっこない。


「信用できないか?」


 考えを読まれたようでドキリとする。


「人を荷物のように担いで無理やり連れていく人のことは信用できません」


「そうか」


 彼の腕が緩んで、私の足が地面につく。

 もしかしてここで殺されるんじゃ? という考えがよぎって緊張のあまり硬直する。


「悪い。ちょっと我慢な」


 そう言うと、彼は私の口の中に布の塊のようなものを押し込んで、さらに口元を布で覆った。


「んん、んー……!」


 鼻にかかったような情けない声しか出ない。

  

「安心しな、殺すためじゃない。大声で狼に危機を知らせてもらっちゃ困るからな」


 さっさとシル逃げてと叫べばよかった。

 でも、そうしたらかえってシルが私を助けにくるかもしれないと思うとそれもできなかった。


「じゃあ行くか」


 また荷物のように担がれるのかと思ったけど、いわゆるお姫様抱っこの状態にされてしまった。

 やだ!


「んんー!」


「無理やり連れていくのは変わらないが、運び方くらいは変えてやる。両手がふさがるのは良くないが」


 こんな恥ずかしい運び方をされるくらいなら荷物扱いでいい。

 そう思って首をぶんぶんと振る。

 彼は小さく笑うと、私を抱く腕に力を入れた。

 体温を感じるほどに彼の体に押し付けられて、一瞬、頭が真っ白になる。

 私の体の側面に当たる彼の胸板や腹筋は驚くほど硬くて、やっぱり鍛え上げられた人間なのだと確信する。

 どうしよう。殺さないとは言ってるけど、そんなのあてにならない。


「狼の心配か? 殺さないと言ってるだろう。大事な存在なんだ」


 大事な存在?

 彼が神狼だから?

 わからない。本当に殺したり捕えたりするつもりじゃないことを願うしかない。

 私はどうすることもできず、ただ彼に抱き上げられながら見慣れた道を進んでいた。

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